『暴君 シェイクスピアの政治学』独裁者の誕生と没落【書評】

2020年10月24日シェイクスピア

スティーブン・グリーンブラットの『暴君 シェイクスピアの政治学』(岩波新書)を読了。2020年の9月に発売されたばかりの新書です。

一昨年だったか、ドイツのメルケル首相が読んでいたことでも話題になった本。

岩波新書がこのように海外の作品を翻訳して出すのはかなり珍しい気がする。昔のだったらカーの講演録とかがありますが。

この『暴君』、シェイクスピア作品の読解を通じて暴君の誕生と没落を見つめます。非常にアクチュアリティのある内容。全編そこはかとなく哀愁が漂い、鬼気迫るトーンに近づくような場面もあります。

文芸批評って「それを言うためにどうしてわざわざ文学者の作品を読解する必要があるんだろう」と感じてしまうことが多いと思うんです。しかし本書の場合はテーマ性のゆえか独特の説得力がありますね。

大きく取り上げられるシェイクスピア作品は以下の通り。

・ヘンリー五世
・ヘンリー六世
・リチャード三世
・マクベス
・リア王
・冬物語
・ジュリアス・シーザー
・コリオレイナス

とくに強烈な印象を残すのは『ヘンリー六世』を取り上げた第3章「いんちきポピュリズム」。あまりの現代性に読んでいて背筋がゾクゾクします。

とくにジョン・ケイドに着目するところがインパクト強し。党派争いを繰り広げるイングランドの史劇に、階級対立の側面を読み込んでいくんですね。

党派争いから始まった騒乱はやがて大衆の不満を焚き付け、天才ポピュリスト、ジョン・ケイドのもとに動員されていく。大衆はエリートへの不満をぶちまけ、国はカオスへと陥ります。

この破壊において、一般市民は彼らが持っていたわずかな力―議会選挙で投票によって表明する力―さえ失うことになるが、それはもうどうでもよいのだ。ケイドの熱烈な支持者にとって、歴史ある代表選出制度など意味がない。そんなもので自分たちが代表されたことなどないのだから。(グリーンブラット『暴君』)

大衆は、ケイドが嘘つきであることは重々承知している。だが、金銭ずくで、残酷で、私利私欲の男であっても、皆の夢をはっきり口にしてくれるのだ。「今後は一切、皆で共有するんだ」(同書)

伝統的なエリート政治家や教養ある人たち全員がケイドを馬鹿だと思ったところで、ケイドの一派はスッと消えてくれたりはしないのだ。(同書)

このへん本当におもしろい。

また『リチャード三世』の解説も鬼気迫るものがあります。本書を読んでいると、シェイクスピアの史劇が読みたくなってきますね。僕は本書に触発されてシェイクスピア熱が再燃してしまいました。

 

シェイクスピアの時代のイングランドに言論の自由が存在しなかったという事実は意外な気がします。

ちょっとでも政府を批判しようものなら大変なことになった模様。刑罰は過酷を極めたそうです。

シェイクスピアはつねに検閲の眼と格闘していました。それがあの意味の多重性やほのめかしを連発する高等テクニックの洗練につながったのかもしれません。制限があったほうが才能って伸びるんですよね。