ドストエフスキーの伝記ならこれ『ドストエフスキイ』【書評】

ドストエフスキー

加賀乙彦の『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)にて、ドストエフスキーの伝記ならこれがいちばん良いと紹介されていたのが、この『ドストエフスキイ』(筑摩書房)です。

出版されたのは1963年。著者のグロスマンはソ連の人で、当時世界的にもよく知られたドストエフスキー研究者でした。

ボリュームは430ページ。二段組の構成ですので、ふつうの430ページより分量があります。

 

アンリ・トロワイヤによる文学的なドストエフスキー伝なんかと比べると、だいぶ落ち着いた文章です。

といってもドストエフスキーの生涯自体が異様なほど波乱万丈ですので、本作も自然と読み物としての面白さを持つにいたっています。読んでいて飽きるということはまったくありませんでした。

 

以下、3つのポイントに注目してみましょう。

1ドストエフスキー伝の種本のひとつ
2作中の人物や出来事の成立過程がわかる
3社会主義的イデオロギーのバイアスには要注意

1 ドストエフスキー伝の種本のひとつがこれ

ドストエフスキーには無数の伝記があります。日本でも色々な本が出版されていますよね。日本でいちばん有名なのは小林秀雄の『ドストエフスキーの生活』ですかね。

しかし実は、種本と呼ばれる数冊の伝記があり、他の伝記はそれらの種本を参照しながら書いているというのが実情なのです。

ドストエフスキー本人の手紙といった一次資料、さらにドストエフスキーの家族や知人へのインタビュー、こういった情報源に直接あたった種本は多くないのです。

 

そしてその種本のなかの一つが本書、グロスマンの『ドストエフスキイ』(筑摩書房)です。

グロスマンは一次資料を駆使しまくってこの本を書いていますから、他の伝記とはその点で別格の地位にあるわけです。

 

2 ドストエフスキーのインスピレーションの源がわかる

ドストエフスキーにはきわめて独特の作風がありますよね。哲学的な深みが非現実的なレベルにまで達するのですが、同時に登場人物には異様なリアリティがある。

ドストエフスキー本人はこれを「真のリアリズム」と呼んでいます。

だれにも真似できないこの作風を、彼はどうやって実現していたのか?本書を読むと、その秘密の一部が解明されます。

 

ドストエフスキーというのは、かならず現実世界からネタをもってくるんですね。人物にせよ出来事にせよ、かならず現実の日常にモデルがある。

親族とか友人とか文学仲間とか革命サークルの知人とか、そういう人をモデルにしてキャラクターを創り上げる。革命とか殺人とか家庭のいざこざとかにも、現実に起こったできごとを転用する。新聞を読み、ロンドンのスラム街を観察し、材料をかき集める。

そしてそれをアレンジし、哲学的な深みを与える。この順序が重要なのだと思います。

 

ドストエフスキーといえば思想的なの天才性が注目されがちですよね。しかし本書を読むと、外部世界に向ける観察眼という点でも彼が尋常の作家ではないのだとわかります。

彼がどのような事件や人物に着目し、それを作品に活かしたのか。グロスマンはそれを教えてくれます。

 

3 社会主義イデオロギーのバイアスには要注意

本書を読んでいくと気づくのですが、グロスマンの記述にはソ連のイデオロギーが反映していると思われます。社会主義思想のバイアスが強いのです。

社会主義は人間の理性と進歩を信奉するシステムです。その立場からすると、キリスト教や無知無学の民衆を信じるドストエフスキーの思想は、反動的で時代遅れなものと映るのですね。

本書にはそうしたイデオロギーの影響が色濃いです。

したがってドストエフスキーのある面に関しては、グロスマンは不当な過小評価をしていると思っておいたほうがいいでしょう。ここは注意すべきですね。

 

ただ、日本の場合はドストエフスキーを実存主義的な観点から読み込んでいくバイアスが強すぎるので、ドストエフスキー作品に社会小説の次元を見出す本書の読みによって、ちょうどいいバランスがもたらされる可能性もあります。

 

まとめ

以上、グロスマンの『ドストエフスキイ』を紹介しました。

絶版で手に入りにくくなっている本ですが、まぎれもない良書。中古で見かけたら、ドストエフスキーファンの方は購入したほうがよいかと思います。

 

ついでに言っておくと、最近の伝記でしたらジョゼフ・フランクのDostoevsky: A Writer in His Timeが有名です。

残念ながら日本語訳は出ていない模様。しかし世界的に高い評価を得ている伝記ですので、本格的かつ新しいドストエフスキー伝が読みたいという人には、これをおすすめしておきます。