『ドストエフスキーとカント』カラマーゾフと純粋理性批判【書評】

2020年10月24日カント, ドストエフスキー

ゴロソフケルの『ドストエフスキーとカント』(みすず書房)を読みました。

カントの『純粋理性批判』をカギにして『カラマーゾフの兄弟』を読み解くこころみ。けっこう有名な論考らしい。

 

ゴロソフケルによると、ドストエフスキーは『純粋理性批判』を意識しながらカラマーゾフを書いていたそうです。

具体的には『純粋理性批判』後半に出てくるアンチノミーの箇所ですね。テーゼとアンチテーゼを対立させて、どちらも無矛盾に成立してしまうことを示し、理性の無力を示すうんぬんのあの箇所です。

 

著者によるとドストエフスキーはテーゼ側とアンチテーゼ側にキャラクターを配分し、理性の弁証論を再現しているらしい。

そしてアンチテーゼ側に配分されたキャラクター(イワンなど)を崩壊させることにより、ドストエフスキーはカントと対決した…という話の流れになるのですが、このへんよくわからない。

なぜアンチテーゼ側を敗北させることがカントへの批判になるのか?カントは別にアンチテーゼ側を信望しているわけではないですからね。純粋理性批判においては、アンチテーゼだけでなく、テーゼの側も無矛盾に成立します。

またカント個人の性格を見ても、彼はおそらく素直に神を信仰していたタイプの人間ですね。だからこそ信仰を試すような議論にも踏み込めるわけです。

アルセニイ・グリガは『カント』のなかで、「ゴロソフケルはカントをヘーゲルと取り違えたのだろう」と書いているそうですが、ぼくも同じような感覚を覚えました。

波多野精一が言うように、カントは啓蒙主義に足を引っ張られた宗教的思想家ですからね。西洋の理性中心主義の権化としてカントを扱うと、色々と無理が出てくるように思う。

 

ゴロソフケルの『ドストエフスキーとカント』、記述スタイルがかなり文学的です。そのため、逆に読みづらくなっています。著者の論点を理解することが、すごく難しい。

内容も哲学的に高度で、カントを知らない人が、本書でカントの主張を理解することは不可能でしょう。

ちなみにカントに入門するのなら、黒崎政男の『カント「純粋理性批判」入門』(講談社選書メチエ)がいちばんわかりやすいです。

そこから石川文康『カント入門』(ちくま新書)、さらに岩崎武雄の『カント』(勁草書房)と進んでいけば、そうとうな水準の理解に達することができます。