シェイクスピアはどれから読めばいい?【この順番でOK】

2021年3月11日シェイクスピア

劇作家かつ世界最大の詩人として知られるシェイクスピア。彼の作品はすべて日本語に翻訳され、その多くを文庫で読むことができます。

シェイクスピアは僕がもっとも好きな作家のひとりで、その作品はほぼすべて読破し、主要なものは3~4回は読んでいます。

The Complete Worksと呼ばれる全部入りの洋書も購入し、原文で読んだ(というか音読しつつ目で追った)作品もいくつかあるほどです。

その経験に基づき、この記事ではシェイクスピア作品のなかから特におすすめのものを紹介します。

ちなみに邦訳のバージョンですが、個人的には新潮文庫で読むのがおすすめ。福田恆存の訳がすばらしいからです(『ロミオとジュリエット』だけは中野好夫が訳していますが)。

基本的に新潮文庫で読み、新潮文庫で手に入らない巻だけ他の訳(ちくま文庫など)でそろえればいいと思います。

四大悲劇の最高峰『マクベス』

まずは『マクベス』から。シェイクスピア四大悲劇の一角です。

魔女の予言にそそのかされ、ダンカン王を暗殺し自ら王位につく武将マクベス。暴君と化した彼はやがてすべてを敵に回し、ニヒリズムの極地にいたり、没落へと向かいます。

内容が異様なほどコンパクトに圧縮されていて(文庫本で約110ページ)、あっというまに読み終えることができます。個人的にいちばん好きな作品がこれ。どれか一作だけ読んでみたいという人には『マクベス』をおすすめします。

マクベスをそそのかし飲み込んでいく運命の巨大な力が重装低音のように鳴り響き、とてつもないスケール感を読者に感じさせます。それにぶち当たり没落していくマクベスに、なぜか読者は慰められます。

妻の死亡を知らされたマクベスが放つ次の独白はあまりにも有名。

あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階を滑り落ちて行く、この世の終わりに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火!人の生涯は動き回る影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出番のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありもせぬ。(シェイクスピア『マクベス』福田恆存訳)

 

一番人気の『ハムレット』

シェイクスピアの劇作で最大の人気と知名度を誇る作品。「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」で有名なあれです。

父の亡霊に復讐を託された、デンマークの王子ハムレット。神に代わって復讐することは許されるのか?ここにハムレットの憂悶が始まります。

ホレイショーやオフィーリアといったキャラクターも本作に登場。そして伝説的な台詞が次々に繰り出されてきます。

To be, or not to beで始まるハムレットの独白は冒頭の言葉だけが有名ですが、それに続く一連の内容がまた素晴らしいものです。以下、一部引用しておきます。

死は眠りにすぎぬ――それだけのことではないか。眠りに落ちれば、その瞬間、一切が消えてなくなる、胸を痛める憂いも、肉体につきまとう数々の苦しみも。願ってもない幸いというもの。死んで、眠って、ただそれだけなら!眠って、いや、眠れば、夢も見よう。それがいやだ。この生の形骸から脱して、永遠の眠りについて、ああ、それからどんな夢に悩まされるか、誰もそれを思うと――いつまでも執着が残る、こんなみじめな人生にも。(シェイクスピア『ハムレット』福田恆存訳)

 

これが最強か?『リア王』

トルストイのシェイクスピア嫌いは有名です。彼がシェイクスピアを批判的に論じた文章があるのですが、そのなかで槍玉に挙げられたのが『リア王』でした。

なぜ『リア王』かというと、これが最強の作品と目されていたからなんですね。最強の作品を倒せばその他のすべてを倒せる、そう判断してトルストイは『リア王』を批判のターゲットにしたわけです。それだけ強烈な作品ということ。

シェイクスピアの悲劇には独特のカタルシスがあります。世界の秩序がすべて崩落するような、独特の感覚(ハムレットの言葉を借りれば「世界の関節が外れ」ているかのような)。それがなぜか心地良いんですよね。

そしてそのパワーがもっとも強いのがこの『リア王』だと思います。すべてを失い道化とともに嵐の荒野をさまようリア王の姿には、なにか神話的な威力があります。

いわば気まぐれな悪戯児の目に留まった夏の虫、それこそ、神々の目に映じた吾等の姿であろう、神々はただ天上の退屈凌ぎに、人を殺してみるだけのことだ(シェイクスピア『リア王』福田恆存訳)

 

もっとも有名な作品の一つ『ロミオとジュリエット』

『ハムレット』と並ぶ知名度を誇る作品。宿敵の関係にあるモンタギュー家とキャピュレット家、両者の子息であるロミオとジュリエットが恋仲になり、やがて破滅にいたる恋愛悲劇です。

その人気にも関わらず、本作は四大悲劇には加えられません。その理由はロミオとジュリエットに「ヒューブリス」がないからといわれています(河合祥一『シェイクスピア 人生劇場の達人』)。

ヒューブリスとは「運命や神々に対する反逆」といった意味で、これがシェイクスピア四大悲劇の主人公の根幹にあります。しかし本作ではそれが見られず、ロミオとジュリエットはむしろただ運命に流されていくんですね。

ロマンティックな甘い作品としてイメージする人が多いかと思いますが、シェイクスピアによる原作はむしろ機知やユーモアが飛び交うピリッとした作風です。

ちなみに本作は2001年にフランスでミュージカル化され大ヒットしたことがあります。これが音楽といい役者といい奇跡的な出来栄えの傑作なので、おすすめしておきます。

 

前期喜劇時代のクライマックス『十二夜』

シェイクスピアは史劇で劇作家としてデビューし、作家人生の前半は喜劇を書き、後半はおもに悲劇に取り組みました。

そして前期の喜劇時代の最後を飾るのがこの『十二夜』です。個人的にシェイクスピア喜劇でいちばん好きな作品がこれ。

シェイクスピア喜劇にはお決まりの構造があります。

当たり前だった秩序の喪失→カーニバル的な混乱→自分を一段成長したレベルで取り戻しハッピーエンド(最後に結婚することが多い)

この作品も一応その型に沿ってはいるのですが、すでに暗い悲劇の足音が聞こえるのが特徴。なにかいやーな予感というか余韻が残るのです。それが本作に独特の奥行きを与えているような気がします。

エピローグで道化フェステが口ずさむ歌が、シェイクスピア悲劇の最高峰『リア王』に登場する道化の歌と呼応する内容をもつのはたんなる偶然なのでしょうか?

おいらがガキで いた頃は
来る日も 来る日も 雨と風 ヘイホウ
悪さをしても 笑ってすんだ
今日も 明日も 雨と風

けれども大人に なった時
来る日も 来る日も 雨と風 ヘイホウ
ゴロツキ 盗っ人 閉め出し食った
今日も 明日も 雨と風

それから 女房を もらったら
来る日も 来る日も 雨と風 ヘイホウ
ホラ吹くだけでは 食ってはゆけず
今日も 明日も 雨と風

やがて寝たきり 爺いになって
来る日も 来る日も 雨と風 ヘイホウ
ボケた頭に 見る夢は
今日も 明日も 雨と風

この世の幕開き はるかな昔
来る日も 来る日も 雨と風 ヘイホウ
ままよ芝居は 今 幕が切れ
今日も 灯りが 消えてゆく
(シェイクスピア『十二夜』安西徹雄訳)

 

ベアトリスというカリスマ『から騒ぎ』

シェイクスピアは女性嫌いとして有名です。しかしそれにしては、カリスマ性のある女性キャラをやたら創出しているんですよね。

男性キャラクターがたじたじとなるような主人公然とした女性キャラが活躍し、物語を大きく動かす。そういう場面がかなり多いと思います。

『から騒ぎ』に登場するベアトリスは、シェイクスピアが創造した女性キャラクターのなかでももっとも強力な人物のひとりではないでしょうか。

男嫌いのベアトリスと女嫌いのベネディック。ツンツンしまくった二人の男女が周囲の奸計にまんまとはまりこみ、恋仲になってしまう。この面白おかしい喜劇が『から騒ぎ』なのですが、ベアトリスのマシンガントークが最大の見どころだと思います。

以下一部だけ引用しておきます。

よくて、ヒーロー――求婚、結婚、後悔は、たとえてみればスコッチ踊りに宮廷舞踊にシンク・ペース踊りのようなものだわ、第一の求婚は熱っぽくて急調子でスコッチ踊りそのまま、おまけに気まぐれのでたらめと来ている、結婚は程を得て品よき事、宮廷舞踊さながら、重々しく古風な趣あり、その次に来るのが後悔で、不様に脚をばたつかせるシンク・ペース踊りそっくり、それが段々早調子になって、四苦八苦の七転八倒、とどのつまりは墓穴に滑り込むという訳。(シェイクスピア『から騒ぎ』福田恆存訳)

 

文学史上最大の悪役『リチャード三世』

ここからは史劇になります。実在の歴史と人物を題材にして劇作化したものを史劇と呼びます。

まずは『リチャード三世』。文学史上に残る悪役リチャード三世が、極悪の限りをつくしついには没落していく作品。シェイクスピア史劇で最大の人気を誇る名作です。

四大悲劇にも通じるようなエネルギーをもった傑作なので、史劇を読むならまずはこの作品から入るのがおすすめです。

そうさ、そういう俺に、戦も終わり、笛や太鼓に踊る懦弱な御時世が、一体どんな楽しみを見つけてくれるというのだ。日なたで自分の影法師にそっと眺め入り、そのぶざまな形を肴に、即興の小唄でも口ずさむしか手はあるまい、口先ばかりの、この虚飾の世界、今さら色男めかして楽しむことも出来はせぬ、そうと決まれば、道は一つ、思いきり悪党になって見せるぞ、ありとあらゆるこの世の慰みごとを呪ってやる。筋書きはもう出来ている、けんのんな序開きがな。(シェイクスピア『リチャード三世』福田恆存訳)

 

なおシェイクスピアの史劇には2つの四部作があることで有名です。

最初の四部作は『ヘンリー六世』3部作にこの『リチャード三世』を合わせたもの。第二の四部作は『リチャード二世』と『ヘンリー四世』二部作に『ヘンリー五世』を合わせたものです。

順番に読まなくても楽しむことはできます。ちなみに『リチャード三世』の次に有名なのは、ハル王子とフォールスタッフが活躍する『ヘンリー四世』です。

関連:シェイクスピア『ヘンリー六世』百年戦争と薔薇戦争【書評】

 

古代ローマ帝国の『ジュリアス・シーザー』

「ブルータス、お前もか」で有名なあれ。ジュリアス・シーザー(カエサル)時代の古代ローマを舞台に繰り広げられる名作です。

シェイクスピアといえば過剰なほどの修辞が特徴ですが、何気にこの作品ほど彼らしいド派手な言い回しが炸裂する劇はないんじゃないでしょうか?

シーザーの死を予兆して流星が飛び交いまくるのはまだわかります。しかし空から火が降り、ゾンビたちが街を練り歩く(しかも身体は炎に包まれている)というのは流石に彼の作品でもなかなかない描写だと思う。

ブルータスはジーザーの右腕マーク・アントニーに情けをかけ、その命を見逃してやります。これがブルータスの命取りになりました。

もういい、さ、お別れだ、早く。これでもうブルータスは生涯の歴史をすべて語り尽くしてしまったようだ。夜の闇がおれの目の上に蔽いかぶさり、おれの骨は休息を求めている、思えば、この現在の一瞬に辿りつこうとして無我夢中うごきまわってきたおれだったからな。(シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』福田恆存訳)

 

第二次三頭政治の終幕『アントニーとクレオパトラ』

『ジュリアス・シーザー』の続編です。あまり知名度はありませんが、これも前作に勝るとも劣らない面白さを持ちます。

ブルータスを打ち破り世界支配者の一角となったマーク・アントニー。エジプトの女王クレオパトラと結託したアントニーは、かつての盟友オクタヴィアス・シーザーとの最終決戦に臨みます。

訳者の福田恆存によると、これがシェイクスピア作品のなかでもっとも訳しにくいらしい。写実的で散文的な文章に近づいていて、その多元的な意味構造を日本語に移し替えるのが至難の業とのこと。

本作の文体についてはコールリッジやエリオットが四大悲劇にも劣らぬとして絶賛したことでも知られます。

アントニー 雲を見ていて、時にはそれが竜の形に見えることがある、その同じ塊が時にはまた熊にも獅子にも見えてくる、聳え立つ砦、落ちかかる巌、峨々たる尾根のうねり、樹々に蔽われた岬の青と、その時々に形を変えて下界を見おろし、大気を隔てて人の目を欺く。お前もそれを見たことがあろう、皆、暮れそめるたそがれ時の絵巻物なのだ。
エロス はい。
アントニー 今、馬かと見えたものが、見る見るうちに風に吹き消され、水に混じった水のように、それと見分けがつかなくなってしまう。
エロス はい、本当に。
アントニー なあ、エロス、今のお前の主人が正しくそれだ。このとおり、おれはアントニーだ、だが、この姿をいつまでも保っていることが出来ないのだ。
(『アントニーとクレオパトラ』福田恆存訳)