『賭博者』ギャンブル依存症者ドストエフスキーの真骨頂【書評】

2020年3月1日ドストエフスキー

ドストエフスキーの『賭博者』(新潮文庫)を読みました。

ドストエフスキーは自らがギャンブル依存症だったことでしられ、その体験が本作にも表れています。

 

訳文はあまりよくないですね。というか、直前に読んでいた『死の家の記録』の訳(工藤精一郎)が美しすぎたのかも。

ドストエフスキーは悪文で知られるので、どちらが本人の文章に近いかといえばこっちかもしれません。

 

ジョセフ・フランクによるドストエフスキー伝によると、本作には以下の特徴があります。

・主人公の語りが歪んでいる
・国際的な観点がある

 

作品は主人公アレクセイの一人称で物語れるのですが、そのパースペクティブが歪んでいるのですね。読者はその歪んだ視点から作中世界を見ることになります。

評者などはよく作中の主人公をドストエフスキー本人と、そしてポリーナをかつてドストエフスキーが苦しめられた悪女スースロワと同一視しますが、ジョセフ・フランクによるとこれは問題があるという。

悪女スースロワに見えるポリーナは主人公の歪んだ視点のなかに現れる女性にすぎないのであり、ほんとうのポリーナはそれとは別の人格をもつからです。

ドストエフスキーは語り口にも特殊なトリックを忍ばせることで有名ですが(『悪霊』におけるナレーターの二重性など)、本作もその例にもれないといえそうです。

 

もう一つの国際的な観点というのは、ヨーロッパ各国の民族を抽象化し、その特徴を並べ立てていくような性格のことです。

ロシアを中心に置き、フランス、イギリス、ドイツなどの民族性と対比させていく。

作中ではロシアが詩的な民族であるとされます。ここでいう詩的というのは、形而上学的とか宗教的とかいう意味ですね。

現世的な合理性におさまりきらず、それをぶち壊してしまうような熱情がロシア人にはあるという論調。西欧近代システムにも、資本主義にも、ロシア人は馴染めないのだとくりかえし強調されます。

これは『地下室の手記』でピークに達した、ドストエフスキー得意の近代批判に通じるものがありますね。

 

ちなみにドストエフスキーがギャンブル依存から脱したエピソードはおもしろい。

ギャンブルのせいで生活がめちゃくちゃになったドストエフスキーは、もうこれじゃいかんという気持ちになって、キリスト教の教会に落ちのびようとします。

しかし決死の思いで飛び込んだ場所は、キリスト教の教会ではなく、ユダヤ教のシナゴーグだった。

信心深いドストエフスキーはその出来事にただならぬ暗示を読み取り、一発でギャンブル依存症が治ってしまったそうです。

 

本作は出版社との契約のために急ごしらえで作られた中編であり、ドストエフスキー作品のなかではとくに面白いほうではありません。

後期ドストエフスキーに特徴的な宗教的次元もほぼ皆無。

ドストエフスキーに入門したいのであれば、別の作品から入るべきですね。

おすすめは後期の長編ですが、短いのがいいならデビュー作『貧しき人びと』か『白夜』がいいと思います。