ショーペンハウアー哲学をわかりやすく解説【意志と表象としての世界】
19世紀ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアー。
独自のペシミズム(悲観主義)で有名。ニーチェやフロイトを通じて現代にも甚大な影響を与える人物です。
主著は『意志と表象としての世界』。久方ぶりに中公クラシックスの西尾幹二訳を再読してみました。彼の思想はこの主著にすべて出揃っています。大きなポイントは以下の3点。
・世界は意志と表象の2側面から成り、実体は意志、それがわれわれに現れたものが表象である(カントの影響)
・意志は苦悩そのものでありネガティブな性質をもつ(ここが西洋哲学史上における革命)
・意志の否定によって幸福は達成される(芸術哲学の創始とインド思想の影響)
といってもこれだけだと「意志」とか「表象」とか何が言われているのかよくわからないので、以下もう少しくわしく解説します。
世界は意志と表象から成る
ショーペンハウアーいわく、世界は意志と表象の2つの側面から成ります。
ここで意志という言葉で人間の意志をイメージするとよくわからなくなります。むしろ人間を含めた世界全体を織りなす実体が意志です。意志は存在を維持しようとする盲目の衝動であり、これが世界を構成します。宇宙も生物も人間の身体も、この意志が個別化した姿にほかなりません。
そしてこの意志がわれわれに現れたものが表象です。この表象という言葉がまた厄介なのですが、知覚によって人間の意識に映じるものと考えておけばいいです。表象は知覚を通した感覚的な性質を持つ点で概念や理念とは区別されますが、まあとりあえず人間の意識をイメージしておけばいいと思います。
この意志と表象の区別は一応カントの哲学に対応しています。カントはわれわれは物自体を認識できず、認識できるのは感性や悟性のフィルターを通して加工された現象だけだと考えました。この物自体と現象がショーペンハウアーにおいては意志と表象に対応します。
ただニュアンスはだいぶ違います。カントが認識論なのに対してショーペンハウアーは存在論的なんですよね。カントは「人間が認識している世界の外に物自体がある」といっているだけなのに、ショーペンハウアーは認識できないはずの物自体の性質について語り、それが世界の実体をなすとまで言っているのですから。
カントとショーペンハウアー
ちょっとおまけでショーペンハウアーとカントの関係について補足します。
ショーペンハウアーは自分に大きな影響を与えた存在としてプラトンとカントとインド哲学を挙げます。なかでもカントとインド哲学は大きな影響が見られるのですが、とくにカントに関しては、先の物自体の定義について見てもわかるように、かなり自分流にアレンジして受け入れています。
たとえばカントは人間の認識について感性(データ受容)と悟性(データ加工)と理性(データ統合)の3元論を展開しますが、ショーペンハウアーはこれを批判し、悟性(データ受容)と理性(データ加工)の二元論で考えます。
またカントは悟性のカテゴリー(データ加工のさいに使う道具)として12の種類を列挙しますが、ショーペンハウアーはこれをすべて一つにまとめ、因果性の名前で呼びます。
それどころかこの因果性を感性の形式(データ受容のためのフィルター)である時間&空間とひとまとめにし、根拠律のもとにまとめます。時間と空間と因果律は、根拠律の3つの形態だというのです。こういう所に、ショーペンハウアーのもつ一元論的な発想の癖がみてとれます。
実際、ショーペンハウアーの思想はむしろヘーゲルを例に考えたほうがわかりやすくなると思います。ショーペンハウアーはカントの徒を自称しヘーゲルを批判しますが、実はヘーゲルに近いところがあるんですよね。
ヘーゲルにとって世界の実体は精神でした。ヘーゲルのいう精神というのはスピノザ的な神の別名。この精神が自然として動物として人間として現象していき、経験値を積んでレベルアップしついには絶対精神にたどり着くのでした。
ショーペンハウアーの意志はこの精神に近いです。ヘーゲルは精神の一元論、ショーペンハウアーは意志の一元論という感じ。対してカントは物自体界と現象界の二元論です。ショーペンハウアーの哲学をカントと対応させようとすると頭がこんがらがってきますが、ヘーゲルの枠組みを使うとスッと理解できます。
ただしヘーゲルの精神が合理的なのに対して、ショーペンハウアーの意志は非合理でドロドロした盲目の生存欲求だという違いまあります。ここが哲学史におけるショーペンハウアーの最重要ポイントになっていきます。
意志は苦悩そのもの
ショーペンハウアーは世界の実体を意志であるとし、理性はそれに奉仕するための派生物にすぎないと考えました。そしてこの意志が苦悩をもたらすと。
これは西洋哲学史上でも革命的な立場です。なぜというに西洋哲学は理性を第一に置き、さらに存在をポジティブに捉えるのが特徴ですからね。
例えばライプニッツのオプティミズム(楽観主義)。彼はこの世界を、可能な選択肢のなかから神が選んだ最善の世界であるとみなします。そして世界は理性で満たされ、数学的なロジックでそれを表現することができると考えました。
世界は合理的であり、しかもその存在は善である。この考え方はライプニッツに限らず西洋哲学の主流です。キリスト教にしても中世・近世哲学にしてもこの流れなのなかにいます。
それをひっくり返したのがショーペンハウアーなわけです。理性はただの派生物。世界の根底は非合理かつ盲目の欲動である。そしてそれは否定されるべき悪しきものだ。理性と善の伝統に対して、意志と悪のコンボです。
ショーペンハウアーのこの思想はニーチェに影響を与え、そこから意志重視の現代思想につながっていきますが、この流れのなかでもショーペンハウアーは独特の位置にいます。なぜというにニーチェやその末裔は意志を肯定するからですね。ニーチェ以降の主流は意志と善のコンボです。意志とその否定のショーペンハウアーはどこまでも独特です。
ショーペンハウアーの哲学はフロイトにも影響を与えていますが、しいて言えばフロイトは比較的ショーペンハウアーに近いかも。逆にユングはニーチェ的ですね。
さてショーペンハウアーの意志の思想は彼独自の道徳哲学にもつながっていきます。
個々の違いなんていうものは表象が生み出した幻影にすぎない。実際のところ世界の実体は意志なのであり、われわれはみなその意志が形を変えた苦悩の存在だ。したがってわれわれはともに苦悩を背負うものとしてお互いを理解しあえる。…こうして「共苦」をキーワードにした道徳思想が生まれます。
注目すべきは共苦の対象が人間に限られないこと。動物や植物だって意志の具体化ですから(もしかすると星や鉱物でさえそうかも)。こうしてショーペンハウアーの道徳哲学は、動物倫理学や環境思想とも接続しうる射程をもつことになります。
意志の自己否定から幸福へ
ショーペンハウアーが凄いのは、意志の否定へも着眼点を向けるところ。意志の沈静化によって幸福が実現できると解きます。
具体的な方法は次の2つ。
・芸術的な美の体験
・宗教的な解脱
芸術を扱うのが『意志と表象としての世界』の第3巻(中公クラシックス版では第2巻)、宗教を扱うのが第4巻(中公クラシックス版の第3巻)です。それぞれ芸術哲学と宗教哲学の趣。とくに芸術を哲学のメインテーマとして扱う近代以降の流行りはショーペンハウアーが生み出したものです。
ショーペンハウアーいわく、芸術による意志の沈静化は一時的なものにすぎないとのこと。一時的ではない真の解脱は宗教的体験を通じてなされると説かれます。
ここはブッダの悟りをイメージするとよいでしょう。実際ショーペンハウアーは仏教を含むインド哲学にも通暁していました。『ウパニシャッド』は座右の書だったそう。インドの覚者たちからインスパイアされ、意志の苦悩から脱却することが可能なのだと発見したのだと思います。
ただ哲学的にはここで問題が発生してしまいます。なぜ意志から成る世界に意志を否定できる要素が存在しうるのでしょうか?
ショーペンハウアーは意志一元論です。自然も人間も意志の現れであり、人間の知性は意志の欲求を叶えるための道具。なぜこの世界の登場人物が意志を否定できるのか?
これは従来の神学的問題とロジックは同型です(向きは逆)。なぜ善なる神が創造した世界に悪がはびこれるのか、というやつ。
たとえばキリスト教の異端グノーシスでは二元論が導入されてこのへんがスッキリしました。この世界は偽りの神が創造した悪しき世界。人間は知恵の光(エデンの蛇はそれへと導いた)によってこの世界を脱却し、真の神に回帰すると。
しかしショーペンハウアーの意志一元論ではこのへんはスッキリしないことになりますよね。どこかに別の世界があるのではなく、すべては悪しき意志の現実化なわけですから。
とはいえ宗教者の実践を見ればショーペンハウアーの理想は現実的だと思います。実際に解脱を達成したモデルが存在するわけですからね。
ショーペンハウアーは見た目に反して真の意味での科学的精神みたいなのをもってるタイプでした。常識にしばられず、発想が自由。だから宗教的覚者が示す事実をスルーせず、その事実を事実として自分の思想体系のなかに置こうとしたのだと思います。
ショーペンハウアーの体系に間違いがあるとしたら、やっぱり物自体を悪しき意志とするところじゃないかなと思いますね。たとえばインドの賢者ラマナ・マハルシは、存在は至福であると言っています。このような覚者の言うことをヒントにして考えると、苦悩が属するのは物自体ではなく、人間の表象世界のほうではないかと思われるのです。
関連:20世紀最大の覚者かく語りき ラマナ・マハルシ『あるがままに』
なおショーペンハウアーの入門書や解説書はあまり出ていませんが、清水書院の「人と思想」シリーズに『ショーペンハウアー』があるので、読むならこれがおすすめです。前半が伝記、後半が思想の解説。
本人の著作なら『意志と表象としての世界』をいきなり読んでもいいと思います。ゲーテに褒められるほどの文学センスの持ち主ですから、文章も綺麗で、他のドイツの哲学者に比べると格段に読みやすいです。ただし分量が多いのは欠点。
もっとコンパクトなのがいいという人はエッセイから入るとよいでしょう。『幸福について』(新潮文庫)が一番おすすめです。
光文社古典新訳文庫からも新しい訳が出ましたが、個人的には新潮文庫版が訳といい表紙といい最高な気がします。
これからは哲学の解説記事はnoteに書いていきますのでよろしければ↓