論理哲学論考の「論理」はフレーゲの論理学
ウィトゲンシュタインの代表作といえば『論理哲学論考』。
降って湧いたかのような天才による降って湧いたかのような著作ですが、実は哲学史的な地盤のうえに位置づけることができます。この著作にも、それが書かれた文脈があるんですね。
フレーゲに始まる論理学革命がそれです。実は『論考』の「論理」はフレーゲの論理学のことを言っているんです。
鬼界彰夫は『ウィトゲンシュタインはこう考えた』(講談社現代新書)で次のように言っています。
彼は、フレーゲ(そしてラッセル)によって体系化された新しい論理学が一体いかなる意味を持っているのか、それが証明する論理の諸定理は何を意味しているのか、それは何についてどのようなことを物語っているのか、を問うたのである。ウィトゲンシュタインは「論理とは何か」という問いを、フレーゲの概念記法に基いて確立されたばかりの新しい論理学に即して考えたのであり、『論考』の「論理」とは、何よりフレーゲの論理学なのである。(鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』)
実際、『論考』に登場する独特な記号や用語は、だいたいがフレーゲの論理学から引っ張ってきたものだといいます。「論理形式」とか「対象」とか「名」とかのタームもすべてフレーゲ由来。
ではフレーゲとは何者なのか?
フレーゲはドイツの数学者です。彼の野望は人間の思考を計算化することでした。人間の推論をすべて論理記号に置き換えることで、その思考全体をそろばんの計算のようなものとして表現しなおすことが狙いです。
さらにフレーゲは数学という営みをこの論理のなかに閉じ込めようとします。新しい論理学のうえに数学を置いて、数学がゆるぎのない土台のうえに成り立っているのだと証明しようとしたわけです。
しかしフレーゲの論理学はラッセル指摘(有名な「ラッセルのパラドクス」)によって挫折。フレーゲの野望はラッセルとホワイトヘッドが受け継ぎ『プリンキピア・マテマティカ』として結実します。
ウィトゲンシュタインはラッセルの教え子ですから、ケンブリッジの地でラッセルらの奮闘を目撃していました。フレーゲと会って議論したこともあるそう。
ウィトゲンシュタインの『論考』は「論理とは何か」を掘り下げていきますが、この問いは以上のような重大な哲学史的展開のなかで芽生えたものでした。
生誕の地ウィーンで吸収したショーペンハウアー的な生の哲学と、フレーゲに端を発する論理学革命。この2つの融合体が前期ウィトゲンシュタインであると見なしていいと思います。
ウィトゲンシュタインの哲学が哲学史的な観点から解説されることってあまりないですよね。鬼界彰夫の前掲書はそのようなアプローチも取っていて、非常に興味深く読めます。
またフレーゲ以降の現代論理学に興味のある人は飯田隆『言語哲学大全』(全4巻)にチャレンジしてみるとよいでしょう。僕は第一巻で力尽きましたが、論理学が好きな人なら楽しく読めると思います。
ウィトゲンシュタインのおすすめ解説書については以下の記事も参考のこと。