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ドゥルーズの哲学をわかりやすく解説【超越論的経験論へ】

2024年7月14日

ドゥルーズは20世紀フランスの哲学者。

俗に言うフランス現代思想の例に漏れず、異様に難しい本を書くことで知られます。デリダよりはマシですが、ハイデガーよりは明らかに難しい感じ。

河出文庫にドゥルーズの著作が続々と移植されたとき、僕も勢いで色々と買ってしまったのですが、どうにもまともに読み始める気にはなれず、今にいたるまで積ん読状態というありさまです。

國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』をいまさら読んでみたら、ドゥルーズの世界観が見通しよく語られていました。とくに前半が面白い。

忘れないうちに整理しておこうと思います。

そもそもドゥルーズに固有の思想なんてあるのでしょうか?本書はここからスタートします。

ドゥルーズは次の2面が知られていますよね。

・哲学史家としてのドゥルーズ
・政治思想家としてのドゥルーズ

しかし他人の哲学を解釈しているだけでそこにドゥルーズの思想はあるのでしょうか?

また、政治関連の本はガタリとの共著です。主要概念はガタリ由来。ということは政治思想家としてのドゥルーズはガタリなのであり、ここにもドゥルーズの思想など存在しないのでは?

ドゥルーズの哲学史読解法

ドゥルーズによると、ある哲学のポテンシャルはそれを生み出した哲学者自身によっても十分に意識化されることはありません。

哲学者は概念を発明します。その概念は真空のなかでぽっと出てくるものではなく、その概念の背景にある広大な意味空間のなかで生育しそれに根ざしたものなんですね。この背景をドゥルーズは「イメージ」あるいは「内在平面」と呼びます。

そしてドゥルーズが解釈するのは表面に現れた諸概念だけではなく、その背後にある広大な内在平面です。こうしてドゥルーズの解釈は、とある哲学者の単なるパラフレーズを超え、独自の思想へと生成していきます。

 

この解釈法ってハイデガーっぽいですよね。そしてハイデガーの記事でも言ったんですが、フロイトらの精神分析っぽくもありますよね。患者の意識の背後にある無意識を解釈するというやつ。

たとえばユングは概念の背後に「心象」を認め、無意識と連結するこの心象世界から意味を汲み取っている限りで概念は生きたものとなると言います。

患者が表出する概念を手がかりに心象へと遡り、無意識の世界を解釈する。この患者を過去の哲学者に置き換えると、ハイデガーやドゥルーズの哲学史解釈になりますよね。

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現代思想って精神分析から影響を受けてそうですが、ハイデガーが精神分析とどのような影響関係にあったのかは謎です(たまたま似たのか?)。

 

ドゥルーズの哲学原理は超越論的経験論

ではそのドゥルーズ独自の思想とはなんなのか。國分功一郎によると、ドゥルーズの哲学原理は超越論的経験論です。

これはデビュー作のヒューム読解から出てきたアプローチです。

ヒュームは徹底的な懐疑論で知られます。彼によると自我すらも実体としては存在せず、それは知覚の束にすぎない。

では、なぜあれこれの知覚がいわば同一の場所に降り積もって自我になれるのか?ドゥルーズによるとヒュームの根本問題はこの「主体の生成」にあります。

ヒュームの哲学はカントに深刻な動揺を与えたことで知られます。カントはなんとかこれを乗り越えようとし、『純粋理性批判』で超越論的観念論を打ち立てたのでした。経験を成り立たせるためのアプリオリな条件を探し求めるから超越論的というわけです。

そこではあれこれの知覚に先立つものとして超越論的統覚が想定されます。これすごくわかりにくいんですが、単なる自我とは区別されるんですよね。知覚が降り積もった場所に後から遡行して見出される主体のようなものだと思いますが、カントにおいてはそういう受動的な面はあまり強調されていない気がします。

関連:カントの『純粋理性批判』をわかりやすく解説【理性にはバグがつきもの】

ドゥルーズはカントの統覚を批判します。統覚の生成が説明されていないというんですね。経験的な普通の自我が超越論的なフィールドに密輸入され、それに統覚の名前をつけただけで、なぜそんなものが成り立つのか結局は不問に付していると。

カントはヒュームを乗り越えたと言われますが、主体の生成場面に着目しているという点で、むしろヒュームのほうが先鋭的なわけです。

カントの超越論的アプローチを引き継ぎ、その弱点ともいえる主体生成の場面(ヒュームの着眼点)をも組み込んだ哲学、これがドゥルーズの目指す超越論的経験論です。ライプニッツ読解が導入されるのもこの文脈。

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ちなみにここに関しては木村敏の分裂病研究が大きな示唆を与えてくれると思います。知覚を束ねて自我を生成することに失敗する事例がいくつも研究されているので。

実際ドゥルーズも精神分析に関心を移した模様。

カントが前提したような主体はそもそもいかにしてできあがるのか?これを探究したのがフロイトだと言えなくもないですから。無意識という主体以前のテリトリーに注目し、そこと主体(自我)の関係を考えるフロイトの方法はいかにもそれっぽいですよね。

 

見通しが良くなるドゥルーズ入門書

國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』、後半はガタリとの共著へと話が進んでいきます。『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』といった政治哲学的な分野ですね。

個人的にはあんまり関心が湧かないのでそのへんは未読に終わりました。興味のある人は本を買って読んでみるといいと思います。

全体的に見通しの良くなる本でした。なぜヒュームなのか、なぜライプニッツなのか、なぜ精神分析なのか、これらの疑問がスッと氷解します。

 

これからは哲学の解説記事はnoteに書いていく予定↓

哲学の本

Posted by chaco