ニール・ウォルシュ『神との対話3 宇宙になる自分になる』【書評】
ニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話3 宇宙になる自分になる』を読みました。
「神との対話」シリーズの第3巻。
1巻は個人レベル、2巻は社会レベル、そしてこの3巻は宇宙レベルでのお話になっています。
「神との対話」シリーズは、文字取りニールが神と対話する内容。ぶっ飛んだ情報が次々に繰り出されます。
これをどう捉えるか?
僕なんかは普通に受け入れてしまいますが、人によってはとてつもなくデンジャラスな読み物と映るでしょうね。
とくに既成の宗教を信仰している人ほど強烈な打撃を受けると思われます。今まで信じてきた言説を神から否定される可能性が高いですから。
たとえば本書で神は、次のような発言をしています。
・聖書の記述はすべてが本当ではない
・カルマは存在しない
日本人からすると「ふーん」ぐらいの感想かもしれませんが、海外でこういうこと書いたら命が危ないレベルだったりしますよ。
あとがきでニールは「私というフィルターを通した情報なので過大評価はしてほしくない。けれども過小評価もしてほしくない」と言っています。
思うに、ニールのように神から語りかけられる事例ってそこまで珍しくないのかもしれません。
ソクラテスとかイエスとかマホメットの例が有名ですが、ごく一部が特権化されているだけで、実はわりとありふれた事象なのかも。
逆に言うとあれですね、ニールがもっと大昔の人間だったら、ほぼ確実にニール教団みたいなのが発生したかと思います。
あるいは権力によって葬られ、ニールが神と対話した事実そのものが歴史から抹消されたか。
哲学者にも真理は宿るか
このシリーズを読んで思ったことの一つに「哲学者ってすごいな」というのがあります。
たとえばヘーゲルの哲学。あれなんかはだいぶ本書の水準に近いと思う。
ヘーゲルは別に宗教的な天才でもなんでもないんですね。神と対話していたわけでもないでしょう(たぶん)。
なのにその思考内容は多くの場面で本書の次元に肉薄している。
なぜそれが可能なのだろう?
本シリーズの記述に従えばヘーゲルも神の一部なのだから、そこに真理が宿ったとしてもおかしくはないのかもしれませんが…
単なる思考だけでそこまでいけるもんなんだなっていう驚きがありますね。
本書は深く啓発的な内容ですが、それと並行して単に好奇心を満たしてくれるネタとして興味深い情報も多々含まれています。例えば以下のような。
・人類はかつて一度だけ今以上に高度な文明をもった
・宇宙に知的生命体を有する星は数千ある
・そのほとんどが地球よりも高度なレベル
・数千年前の人類はテレパシーで意思疎通していた
・死から復活したのはイエスだけじゃない
なお本書には死についての対話も含まれますが、このテーマに関してはシリーズ最終巻の『神に帰る』のほうがすばらしいです。
シリーズは何巻も出ていますが、とりあえずは『神との対話』の第1巻と『神に帰る』だけ読んでおくのがいいと思います。