『グノーシスの神話』人間中心主義の宗教【書評】

2020年10月24日キリスト教

大貫隆の『グノーシスの神話』(講談社学術文庫)を読みました。

ナグ・ハマディ文書やマンダ教、マニ教の文献を多数引用し、読者にグノーシスの全体像を与えんとする本です。

とにかく引用の多い本。全体の4分の1ぐらいが引用です。グノーシス文書に直接触れたい人にとっては貴重な本になっていますね。

さて、そもそもグノーシスとは何か?著者は次のように定義しています。

 

初期ユダヤ教の周縁に、原始キリスト教とほぼ同じ頃に現れ、その後キリスト教と接触するに及んで、最大の「異端」とされた思想である。

 

重要なのは、最初から異端だったわけではないこと。まず正統があり、それに対する異端として始まったのではありません。

そうではなく、正統が「捏造」される過程で、グノーシスに異端の配役が与えられたというのが正解です。

引用文中の異端にカッコがついているのは、この事態をほのめかしているからでしょう。

 

ではグノーシス主義の思想内容はどのようなものか?簡単にまとめると次のような感じです。

人間は神の一部である。しかしアクシデントにより、本来の場所を追われ、悪しきこの世界に閉じ込められた。人間は知を武器にして、本来の神的世界に戻らなくてはいけない。

世界中いたるところで、「悪はどこから来たのか」という問いが古来つねに問題とされてきました。グノーシスのこの思想は、その問題に対する究極の解答のひとつになっています。

 

興味深いのは、著者がこの思想を「人間中心主義」と同一視している点。人間が神の一部であるのなら、その人間を超えるものはなにもないからですね。そしてそこに、著者はグノーシスの限界を見てとっています。

逆にグノーシスを論駁しようとしたキリスト教の教父たち(エイレナイオスなど)から、現代社会に通じる教訓を引き出そうとしているところがおもしろいです。

 

グノーシスとスピリチュアリズム

またグノーシスとニューエイジの関係性についても述べられていて、これがすこぶる興味深い。

以前から僕も思っていたのですが、ニューエイジ系のテキスト(たとえばA Course in Miriclesなど)にはグノーシス的なトーンがありますよね。

著者はここから、ニューエイジの指導者たちがグノーシスの伝統と接触していた可能性を推測しています。

過激な見方をするなら、ニューエイジの指導者に与えられた啓示は真理そのものであり、したがってやはりグノーシスはキリスト教よりも完全に近いかたちで真理をつかんでいたのだ、という可能性もないことはないのかもしれません。

 

しかし著者いわく、グノーシスとニューエイジには決定的な違いもあります。それがこの世界を受け入れるか否かという点。

ニューエイジやそこから派生したスピリチュアルには、世界肯定的な面が非常に強いですよね。「世界のすべては完璧なんだ」というような。

これは世界を否定するグノーシスとは真逆の立場です。

著者がいうように、この点に関していえばニューエイジはグノーシスよりもストア派に近いといえます。