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オーウェンの名著『ベールの彼方の生活』を読んでみた

2024年3月1日

モーゼスの霊訓、シルバーバーチの霊訓と並び、英国3大霊訓に数えられるのがこの『ベールの彼方の生活』。

著者(というか自動書記の媒体)であるジョージ・ヴェール・オーウェン(オーエンと表記されることもある)は英国国教会の聖職者。

この通信はオーウェンがぽつぽつと発表していましたが、それがジャーナリズム界の大物ノースクリフの目に止まり、「ウィークリーディスパッチ」に掲載されることになります。

これにより読者数は圧倒的に増えたものの(なおオーウェンは原稿料をいっさい受け取らなかった)、伝統的キリスト教と衝突する内容を英国国教会はよく思わず、オーウェンは国教会から追放されます。

この通信の特徴はある種の科学的な記述が多いこと。霊界の地形、植物、動物、建築、施設など、あの世の外的な構造を解説してくれるパートが多いのです。その点でスウェーデンボルグに近いものもあります。

啓示を送ってくる相手は複数います。後半に進むほど高い霊格の相手が送信者として登場し、内容も高度になっていく構成。

まずオーウェンの母親(すでに他界していた)が登場。次にアストリエルという名前の霊(18世紀半ばの英国で学校の校長をしてた人)。続いてザブディエルという名前の霊(正体は不明)。最後にアーネルという名前の霊が出てきます。

以下、印象的だったパートを記録していきましょう。なお近藤千雄訳を引用していきます。

第1巻 天界の低地

第1巻の目次は次の通り。

1章 暗黒の世界
・霊界の風景
・悲しみの館
・バイブレーションの原理
・光の架け橋
・キリスト神の顕現
・暗黒街の天使
2章 薄明の世界
・霊界のフェスティバル
・色彩の館
・思念の力
・死の自覚
・天界の祝祭日
・念力による創造実験
3章 暗黒から光明へ
・愛と叡智
・霊界の科学館
・霊界のパビリオン
・暗黒街からの霊の救出
4章 霊界の大都市
・カストレル宮殿
・死産児との面会
・童子が手引きせん
・炎の馬車
・縁は異なもの
5章 天使の支配
・罪の報い
・最後の審判
・使節団を迎える
・強情と虚栄心
6章 見えざる宇宙の科学
・祈願成就の原理
・神々の経綸
・天体の霊的構成
・霊的世界の構図
・果てしなき生命の旅
・予知現象の原理

最初はオーウェン母が通信の相手として登場します。

「確かにこちらへ来てすぐから地上と少しは勝手が違いますが、不思議さに呆然するほどは違わないということです。特に地上生活でこれといって進歩のない生活を送った人間が落着く環境も地上と見分けがつかない程物質性に富んでおります。

そういう人間が死んだことに気づかない理由はそこにあります。低い界から高い界へと向上するにつれて物質性が薄れて行き、環境が崇高さを増して行きます。しかし、地上性を完全に払拭した界、地上生活とまったく類似性を持たない界まで到達する霊は稀です。特殊な例を除いてまず居ないのではないかと思っております。が、

この問題については私に断定的なことを言う資格はありません。何しろ地上生活と全く異なる界に到達していないどころか、訪れてみたこともないからです。

今いる所はとても美しく、私はこの界の美と驚異を学ばねばなりません。学んでみると、実は地球はこの内的世界が外へ向けて顕現したものにほかならず、従って多くの細かい面において私たち及び私たちの環境と調和していることが判ります。もしそうでなかったら、今こうして通信していることも有り得ないはずです。

そして又──私みたいな頭の良くない人間にはそう思えるというまでのことですが──もしもあなた方の世界と私たちの世界に大きな隔たり、巨大な真空地帯のようなものがあるとしたら、地上生活を終えた後、どうやってこちらへやって来れるのでしょう。

その真空地帯をどうやって横切るのでしょうか。でも、これはあくまで私自身の考えです。そんなことはどうということは無いのかも知れません。ただ確実に言えることは、神と神の王国は一つしか無いこと、その神の叡智によって宇宙は段階的に向上進化して行くように出来ているということさえ銘記すれば、死とは何か、その先はどうなっているのかについての理解が遥かに深くなるであろうということです。」

・向こうには仕事がある。オーウェンの母は、おもに現世の人々の霊的向上をサポートする仕事をしている。

・向こうには森があり山があり草原があり家屋があり馬車がある。

現在のあの世には機械が存在したりするのでしょうか?

 

「死後の世界にも固い家屋があり、歩くための道があり、山あり谷あり樹木あり、動物や小鳥までいるということが全くバカバカしく思える人が多いことでしょう。その動物が単なる飾りものとして存在するのではなく、実際の用途を持っております。

馬は馬、牛は牛の仕事があり、その他の動物も然りです。が動物達は見た目に微笑ましいほど楽しく働いております。私は一度ある通りで馬に乗ってやって来る人を見かけたことがありますが、何となく人間よりも馬の方が楽しんでいるように見えたものです。でも、こうした話は信じて頂けそうにありませんから話題を変えましょう。」

・翼なくして空を飛べる霊もいる。

・あの世にも音楽がる。というより世界と音楽が一体となっている。向こうは音楽と色彩と美の世界。音楽の研究所があり、完成した音楽はフェスティバルのような場で使われる。地上の音楽家にインスピレーションを送ることも仕事のうち。

・紫外色と赤外色も見える。

・母とその友人たちが行った念力による創造トレーニング。心のなかで動物を思い浮かべて、それが正確に具現化するように努力する。

これは現代のスピリチュアル系の本にもよく出てくる話。向こうでは精神に思ったことがそのまま実現するというやつ。

そしてこれは西洋哲学でいう人間を超える知性の特質についての話に通じてる気もする。西洋哲学では、人間を超える知性は「それは存在するものを認識するのではなく、意志したものを存在させる」とよく言われる(古代や中世の哲学者だけでなくカントでもこのように言う)。

これけっこう謎なんですよね。人間以上の高級な知性が存在する可能性はまあ受け入れられるとして、しかしそれが「意志したものを存在させる」みたいな性質をもっているというのは、何が根拠になってどっから湧いて出た話なのか?

ところが本書のようなスピリチュアル系の本を読んでいるとピンとくるものがあります。超人間的な高級知性の性質というのは、霊界の現象(その思い出か観察かはわかりませんが)を根拠にして組み立てられた話なのではないかと。

・あの世にも科学研究施設がある

自然科学や社会科学に興味のある人が読んだら、ワクワクして向こうに行くのが待ちきれなくなるような記述があります。

「新しい宇宙の創造」みたいな記述があるのも興味深し。宇宙創生って神の仕事じゃなくて霊界の科学者の仕業?

・名前には大きな力がある。霊界で使用されている名前を、通信上でみだりに使うことはできない。

・かつてはサマーランド(オーウェン母のいる場所)が天国と考えられていた。が、それは天界の入り口付近にすぎなかった。そこには暗黒界(いわゆる地獄)と光明界の二面性がある。

・天界には「距離」がない。

 

「これは実はこちらへ来る人の多くを戸惑わせる問題のようです。悪いことをしているので、どうせ神のお叱りを受けて拷問に掛けられるものと思い込んでいるので、そんな気配がないことに却って戸惑いを感じるのです。

また、自分は立派なことをしてきたと思い込んでいる人が、置かれた環境の低さ──時にはみじめなほど低い環境にとても落胆することがよくあります。内心では一気にキリスト神の御前に召されて〝よくぞやってくれた〟とお褒めの言葉でも頂戴するものと思い込んでいたからです。もう、それはそれは、こちらへ来てからは意外なことばかりです。喜ぶ人もおれば悲しむ人もいるわけです。」

最後の章(第6章)はオーウェン母ではなく、アストリエルと名乗る天使が通信しています。

・宇宙にはある精妙な粒子が行き渡っている。それは物質と霊の中間的存在であり、物質的法則と霊的法則の両方に反応する。

ライプニッツのモナドを思わせる。ライプニッツいわく存在の最小単位であるモナドには「魂」があります。素粒子物理学のあれこれを思わせる記述も頻出しますが、ここはとりあえず、安易に結び付けないでおくほうが賢明でしょう。

・「知性」をもつ存在は多くない。そして「知性」をもつ存在は中間レベルにある。下等な存在だけでなく、高等な存在も「知性」とは別の次元にいる。

 

「最後の審判」(キリスト教会の教義)を恐れる霊に向かって語られる天使の言葉↓

「それから、審判者はどこに居るのかとお尋ねですが、それ、そこにおられます。あなたご自身ですよ。あなた自身が罰を与えるのです。これまでの生活を総点検して、自分の自由意志によってそれを行うのです。

一つ一つ勇気を持って懺悔する毎に向上して行きます。ここにお出でになるまでのあの暗黒界での生活によって、あなたはすでに多くの罰を受けておられます。

確かにあれは恐ろしいものでした。しかしもうそれも過去のものとなり、これからの辛抱にはあんな恐ろしさは伴いません。もう恐怖心とはおさらばなさらないといけません。ただし苦痛は伴うでしょう。

大変辛い思いをなさることと思います。ですがその苦痛の中にあっても神の導きを感じるようになり、正しい道を進めば進むほど一層それを強く感じるようになるでしょう。」

 

第2巻 天界の高地

第2巻の対話相手はザブディエル。善と悪など哲学的な内容がメインとなり、文章のトーンも厳かなものに変化します。

目次は以下の通り。

一章 序 説
1守護霊ザブディエル
2善と悪
3神への反逆
4統一性と多様性
二章 人間と天使
1暗闇の実在
2天体の円運動の原理
3ヤコブと天使
4神とキリストと人間
5第十界の住居
三章 天上的なるものと地上的なる
もの
1古代の科学と近代の科学
2守護霊と人間
3種の起源
四章 天界の〝控えの間〟地上界
1インスピレーション
2一夫婦の死後の再会の情景
3 〝下界〟と地縛霊
4天使の怒り
五章 天界の科学
1エネルギーの転換
2〝光は闇を照らす。されど闇はこれを悟らず〟
3光と旋律による饗宴
4第十界の大聖堂
六章 常夏の楽園
1霊界の高等学院
2十界より十一界を眺める
3守護霊との感激の対面
4九界からの新参を迎える
5宗派を超えて
6大天使の励まし
七章 天界の高地
1信念と創造力
2家族的情愛の弊害
3霊界の情報処理センター
4宇宙の深奥を覗く
5霊格と才能の調和
八章 祝福されたる者よ、来たれ!
1光り輝く液晶の大門
2女性ばかりの霊団
3女性団、第六界へ迎えられる
4イエスキリストの出現
5ザブディエル十一界へ召される

「さて、悪とは法則として働くところの神への反逆である。賢明なる者はその法則の流れる方角へ向けて歩むべく努力する。故意または無知ゆえにその流れに逆らう者は、たちまちにしてゆく手を阻まれる。そして、もしもなお逆らい続けるならばそこに不幸が生じる。」

・天使が地上を訪れるのは深海に潜るようなもの。大勢の天使が大挙して地上を訪れたという事態はかつてない。ごくまれに少数が訪れただけ。

「宇宙のいかなる部分も他の影響を受けないところは一つとして無く、人間が地上において行うことは天界全域に知れ亘り、それが守護霊の心と思想に反映し、守護霊としての天界での生活全体に影響を及ぼすことになる。

されば人間は常に心と意念の働きに注意せねばならない。思念における行為、言葉における行為、そして実際の行為の全てが、目に映じ手を触れることのできる人々に対してのみならず、目には見えず手を触れることこそできないが、いつでも、そしてしばしば監視しながら接触している指導霊にも重大な影響を及ぼすからである。

それのみではない。地上から遠く離れた界層にて守護の任に当たる霊にも影響が及ぶ。私の界においても同じである。

この先更にどこまで届くか、それは敢えて断言することは控えたい。が、強いて求められれば、人間の行いは七の七十倍の勢いを持って天界に知れ亘る、とでも答えておこう。その行きつく先は人間の視野にも天使の視野にも見届けることは出来ない。何となれば、その行きつくところが神の御胸であることに疑いの余地は無いからである。」

 

「こちらへ来て吾々が学んだことは、宇宙が今日の如き形態の構成へ向けて進化の道を歩み始めた時、その監督と実践とを受け持つ高き神霊が更に高き神霊界より造化の方針を授かり、その方針に基いて彼らなりの知恵を働かせたということである。(中略)ともかくも宇宙神が認可を下され、更に各神霊がそれぞれの才覚と能力に従って神の意志を反映させていく自由を保証されたということである。かくして動物、植物、鉱物のさまざまな種と序列、そして人類の種族と民族的性格とが生まれた。そしていよいよ造化が着手された時、宇宙神は改めて全面的是認を与えた。聖書風に言えば神がそれを〝なかなか結構である〟と仰せられたのである。が、造化に直接携わる神霊はいかに霊格が高いとはいえ全知全能の絶対神には劣る。そして宇宙の経綸の仕事はあまりに大きく、あまりに広いが故に僅かな不完全さが造化の進展に伴って大きくなって行った。」

種の起源についての記述。さらっとすごいこと言ってるような気がする。種を誕生させたのは神ではなくそれより下の霊。しかもちょっと手違いがあって思ったとおりにいかなかったと。

 

「人間は孤独な存在ではなく、孤独では有り得ず、また単独にて行動することも出来ず、常に何らかの目に見えない存在と共に行動し、意識し、工夫していることになる。その目に見えぬ相手がいかなる性質(たち)のものとなるかは、意識するとせぬとに拘らず当人自身が選択しているのである。

この事実に鑑みれば、当然人間はすべからくその選択に慎重であらねばならないことになるが、それを保証するのは〝祈り〟と〝正しい生き方〟である。崇敬と畏怖の念を持って神を想い、敬意の念を持って同胞を思いやることである。

そして何を行うにも常に守護・指導に当たる霊が自分の心の動き一つ一つを見守り注視していること、今の自分、およびこれより変わり行く自分がそのまま死後の自分であること、その時は今の自分にとって物的であり絶対であり真実と思えることももはや別世界の話となり、地球が縁なき存在となり、地上で送った人生も遠い昔の旅の思い出となり、金も家財道具も庭の銘木も、その他今の自分には掛けがえのない財産と思えるものの一切が自分のもので無くなることを心して生活することである。

こちらへ来れば地上という学校での成績も宝も知人もその時点で縁が切れ、永遠に過去のものとなることを知るであろう。その時は悲しみと後悔の念に襲われるであろうが、一方においては言葉に尽せぬよろこびと光と美と愛に包まれ、その全てが自分の思うがままとなり、先に他界した縁故者がようこそとばかりに歓迎し、霊界の観光へ案内してくれることであろう。」

 

「物質自体が実は霊的バイブレーションを鈍重なものに転換された状態なのである。それが今、地上の科学者によって分析されつつあり、物質とはバイブレーションの状態にあり、いかなる分子も静止しているものは無く、絶え間なく振動しているとの結論に到達している。

これは正解である。が、最終結論とは言えない。まだ物質を究極まで追跡しきってはいないからである。より正確に表現すれば、物質がバイブレーションの状態にあるのではなく、物質そのものが一種のバイブレーションであり、より精妙なバイブレーションの転換されたものである。その源は物質の現象界ではなく、その本性に相応しい霊界にある。」

↑1913年の対話であることを思えば驚きの記述。

 

「有難いことに今の貴殿にも肉体より一層実体のある、そして耐久性のある別のバイブレーションで出来た身体が具わっている。肉体より一段と精妙で、それを創造し維持している造化の根源により近い存在だからである。

その身体は、死後、下層界を旅するのに使用され、霊的に向上するにつれて、更に恒久性のある崇高な性質を帯びた身体へと転換される。この過程は延々と限りなく繰り返され、無限の向上の道を栄光よりさらに高き栄光へと進化してゆくのである。」

シュタイナーのいうアストラル体のことでしょうか。自分が死んだことに気づかないという現象がよくあるそうですが、これは身体が与えられることも一因か。

 

「この大ホールのさらに奥にもう一つ、特別のネーブが設けてある。そこは特別の招待を受けた者が天使の拝謁を受ける場所である。そこにおいて招待者は天使より上級界の秘奥についての教えを受けるが、それを許されるのは余ほどの進化した者に限られる。

なぜなら、そこで教わることは神の属性に関する極めて高度なものだからである。しかもそれは僅かずつ授けられる。無節操に炎を求める蛾が身を亡ぼすごとく、神の高度な叡智は一度に多くを手にし、あるいは授かると、魂が危害をこうむることにもなりかねないからである。

私自身はまだその聖殿の内部を覗いたことはない。霊的進化がまだそこまで至っていないからである。その時が至れば、いつでもお呼びがあることであろう。」

大十界の大聖堂の話。バガヴァッド・ギーターを思わせる。

・信念は科学的な解析のできるエネルギー。

 

「さて以上の話は読む者の見方次第で大して意味はないように思えるかもしれない。が、重要なのはその核心である。私は自信をもって言うが、こうして得られる子供たちのささやかな教訓は、これから幾星霜を重ねたのちには、どこかの宇宙の創造にまで発展するその源泉となるものである。今宇宙を支配している大天使も小天使も、その原初はこうした形で巨大な創造への鍛錬を始めたのである。」

この言葉はザブディエルが天界の子どもたち相手に信念の力を教えたエピソードに添えられたもの。この子どもたちは死産児や誕生後すぐに亡くなった者たち。普通の子どもたちとは違った扱いをされていて、いきなり高い階層にまで連れてこられてそこで教育を受けているといいます。

・神から遠ざかるにつれて世界は複雑さを増す。

 

「しかし今は地球以外の天体には言及しない。貴殿はまだそうした地球を超えた範囲の知識を理解する能力が十分に具わっていない。」

↑異星人についての示唆。

20世紀後半からはプレアデスだとかバシャールだとかシリウスだとかの異星人とのチャネリングが増えていきます。われわれの文明が新たなフェーズに突入したことの現れでしょうか?

そういえば異星人系のチャネリングってだれが初めて行い、発表したんでしょうね。

 

ベールの彼方の生活第3巻 天界の政庁

第3巻ではカスリーンと呼ばれる女性がチャネリングの相手になります。カスリーンは第6界の住人。

とはいえメッセージを送ってくる霊団は7人くらいいる模様。カスリーンは媒介者としてオーウェンと霊団のあいだにいる。『シルバーバーチの霊訓』におけるシルバーバーチ(インディアンの霊)と同じ役割を、カスリーンは果たしている構造ですね。

霊団の霊格があまりに高いため、直接的なコンタクトが難しい。したがって地上に近い存在の霊をあいだに挟むことによって、コミュニケーションを円滑にさせているというわけです。

目次は次の通り。

一章 天使による地上の経綸
1 霊界の霊媒カスリーン
2 憩いの里
3 生命の河
4 生命の気流
5 天界の音楽と地上の音楽
6〝過ぎにし昔も来る世々も〟
7〝後なる者、先になること多し〟

二章 霊的交信の原理
1 思念の濾過装置ーカスリーン
2 通信を妨げるもの
3 人間診断のスペクトル
4 男性原理と女性原理

三章 天界の経綸
1 寺院の建造
2 象徴(シンボル)の威力
──十字を切ることの意味
3 勇気をもって信ずる
4 美なるものは真なり
5 宇宙のすべてが知れる仕組み

四章 サクラメントの秘義
1 聖体拝領(最後の晩餐)
2 婚姻
3 死

五章 生前と死後
1 一兵士の例
2 一牧師の場合

六章 宇宙の創造原理・キリスト
1 顕現としてのキリスト
2 イエス・キリスト
3 究極の実在

七章 善悪を超えて
1 聖堂へ招かれる
2 使命への旅立ち
3 苦の哲学
4 さらに下層界へ

八章 暗黒街の探訪
1 光のかけ橋
2 小キリストとの出会い
3 冒涜の都市
4 悪の効用
5 地獄の底
6〝強者よ、何ゆえに倒れたるや〟
7 救出

・天界にも音楽はある。それに比べれば地上の音楽は影のようなものにすぎない。身体に制限された人間能力では、天界の音楽を想像することもできない。

ショーペンハウアーは芸術のなかで音楽をもっとも高く位置づけました。影にすぎないとはいえ、やはりそれは天上とのつながりをとどめているのかもしれない。

 

先ほど述べた神の大計画も、数多くの界層を通過して来るからには当然、各界の色合いを加味され、いよいよ地上に至った時はあまりの複雑さのために究極の目的が曖昧模糊として見分け難く、吾々のように地上に関わってある程度のコツを身に付けた者にとっても、往々にして困難なことがある。そこに実は信仰の目的と効用があります。

すなわち自分の義務は自覚できても、それ以上のことは判らない。そこで計画を立てた高級界の神霊にはその目的が瞭然と見えているに相違ないとの確信のもとに勇気を持って邁進するのです。

その計画遂行の手となり足となるべき者が信念に燃え精励を厭わなければ、計画を立てた者にとっては目的成就の為の力を得たことになる。が、もし信念を欠き精励を怠れば、成就は覚束(おぼつか)ないことになる。

なぜなら全ての人間に選択の自由があり、その問題に関するかぎりいかなる者も意志を牛耳られることはないからです。信頼心をもって忠実に突き進んでくれれば目的成就は固い。

が、たとえ計画からそれたコースを選択しても、吾々はそれを強制的に阻止することはしない。教育的指導はするが、それも穏やかに行う。そしてもしそれが無視されるに至った時は、もはや好きにやらせるほかはない。

一人ぼっちになってしまうという意味ではありません。すぐに別の種類の霊的仲間が付くでしょう。数に事欠くことはありません。

地上でなされるプロジェクトが、天界からの影響をうけているということ。ヘーゲルのいう絶対精神の世界です。

たとえばヘーゲルいわく、ナポレオンは自分ではそうと知らずに、絶対精神のプロジェクトを地上に実現するための手足として働きました。これをヘーゲルは「理性の狡知」といいます。

話は続きます。

具体的に説明してみよう。たとえば科学に関する書物が必要になったとします。するとまず〝科学〟を基調とする界層の霊団が内容の概略を考える。

それが〝愛〟を基調とする界層へ届けられます。そこで和(やわ)らかい円味(まるみ)を吹き込まれ、今度は〝美〟を基調とする界層へ送られます。すると調和と生彩を出すための解説が施され、それがさらに地上人類の特質を研究している霊団へ送られます。

その霊団はその内容を分析検討して、それを地上へ届けるのに最も相応しい(霊界の)民族を選択します。選択すると、最終的に託すべき界層を慎重に選ぶ。と言うのは、仕上げとして歴史的事例を付加する必要があるかも知れないし、詩的風味を注入した方がよいかも知れないし、もしかしたらロマンス精神を吹き込む必要があるかも知れません。

かくして、ただの科学的事実として出発したものが、地上に辿り着いた時は科学的論文となっていたり、歴史的梗概(こうがい)となっていたり、小論文となっていたり、はては誌とか讃美歌となっていたりするわけです。

 

今この天界より振り返り、これまでの旅路を短縮して一枚の絵の如く平たく画いてみると、そのカンバスでとくに目立った点が浮き彫りにされ、そこから読み取れる教訓に沿って本来のコースを定めることも可能です。

それにしても、天界の光に照らし出されたその絵は、かつて吾々がその最中において悪戦苦闘した時に想像していたものと何という違いであろう。そこで貴殿に忠告しておくが、人生全体と日々の暮らしを形作っているさまざまな要素の価値判断においてあまりに性急であってはならないことである。

あの世では今までの過去生をまとめて思い出せるのでしょうか?だとしたら思い出にふけるのも面白そう。

 

私が携えてきたメッセージは人物の選択において決して間違いを犯すことのない大天使からのものです。さ、参りましょう。その一団は決してあなたの知らない方たちではありません。と言うのは、あなたの疲れた肉体が眠りに落ちた時、あなたはその肉体から脱け出て、いつもその界を訪れていたのです。そうです。地上にいる時からそうしていたのです。

地上で目立たぬ靴職人として人生を終えた素朴な男の霊に対して、天使が語る言葉。高い地位へ招かれて、男はおののいています。夢の中で天界を訪れていた、という記述が興味深い。

・霊界の住人からすると、地上の人間の精神は無形のものではなく、具体的な実質があって触れると実感がある。

 

地上の寺院は天界の寺院のお粗末な模倣に過ぎない。が、その目的と機能は本質的には同一である。イスラエルにおいては雲が地上界とエホバ神との中継をすると考えられた。

古代エジプトにも同じ考えがあった。ギリシャの都市国家においては寺院の霊的活力が衰えていたが、まだ少しは残っていた。イスラエルにおいては天界からの援助と高揚という特殊な側面にはまったく関心を示さないようである。

私はイスラムの霊界を訪ねてみたことがあるが、そこには顕幽の交わりが根本的に違った形で行われていることを知った。キリスト教の(霊界の)教会堂にも同じくその観念はあるが、程度の差が著しい。

「イスラムの霊界」という表現が興味深い。

 

さて吾々が特にこの例を挙げたことにはいろいろとわけがあるが、その中で主なものを指摘しておきたい。

一つは、こちらの世界では地上での親切な行為は絶対に無視されないこと。人のために善行を施した者は、こちらへ来てからその相手から必ず礼を言われるということです。

次に、こちらへ来ても相変わらず地上時代の言語をしゃべり、物の言い方も変わっていないことです。ために、久しぶりで面会した時にひどくぶっきらぼうな言いかたをされて驚く者もいる。今の二人の例に見られるように軍隊生活を送った者がとくにそうです。

また、こちらでの身分・階級は霊的な本性に相当しており、地上時代の身分や学歴には何の関係もないということです。この二人の場合も、先に戦死した男は軍隊に入る前は一介の労働者であり、貧しい家庭に育った。

もう一人は世間的には恵まれた環境に育ち、兵役に就く前は叔父の会社の責任のあるポストを与えられて数年間それに携わった。が、そうした地位や身分の差は、負傷した前者を後者が背負って敵の陣地から連れて帰った行為の中にあっては関係なかった。こちらへ来てからは尚のこと、何の関係もなかった。

こういう具合に、かつての知友はこちらで旧交を温め、そしてともに向上の道に勤しむ。それというのも、地上において己れの義務に忠実であった者は、美と休息の天界において大いなる歓迎を受けるものなのです。

そこでは戦乱の物音一つ聞こえず、負傷することもなく、苦痛を味わうこともない。地上の労苦に疲れた者が避難し、生命の喜びを味わう〝安らぎの境涯〟なのです。

あの世で再開したふたりの友人同士のエピソードを語った後の言葉。

 

吾々が教わったかぎりにおいて言えば、キリストは地球がまだ形体を持つに至る以前、すなわち非物質的存在の時から存在していた。

そして、いよいよ物質が存在し始めたとき宇宙神は、物的宇宙を今貴殿らが知るところの整然とした星座とするために、キリストをその霊力の行使の主宰霊 Master Spirit とされた。

が、存在はしても、当時まだ物的宇宙に形態がなかったごとくキリストの霊みずからも形態を具えていなかった。そして宇宙が物的形態を賦与された時にまず霊的形態を具え、それから物的形態を具えるに至った。

当時の天地創造の全現象の背後にキリストの霊が控え、無限の時を閲して混沌(カオス)より整然たる宇宙(コスモス)へと発展するその道程はすべてキリストの霊を通して行われたのであった。それは混沌たる状態を超越するあの強大な存在による外部からの働きかけなくしては不可能であった。

何となれば、秩序に欠けるものから秩序を生ずるということは、新たな要素を加えずしては有り得ないからである。かくして宇宙はキリスト界とカオスとの接触の産物にほかならない。

カオスとは物質が 未知の可能性を秘めた状態である。コスモスとは物質がその潜在力を発現した状態である。とは言え、その顕現されたものは〝静〟の状態を〝動〟の状態へと転じさせた、その原動的エネルギーの現象的結果に過ぎない。

動とはつまるところ潜在的意念の活動の総計である。意念はその潜在的状態から顕現へと転換する過程においては、その創造力として働く意念の性質に相応しい動の形を取る。

かくして万物の創造主はキリストの意念を通してその創造活動を悠久の時の流れの中で行使し続け、ついにコスモスを生んだのである。

キリストについての説明。あくまでも第十界の天使の知識ではありますが、ところどころスピノザを思わせる理論が語られています。

地球そして宇宙はキリストの身体であると。鉱物も植物も動物もキリストの一部として存在している。

 

太陽系の他の惑星上には人類とは異なる知的存在が生活を営んでいる。他の太陽系の惑星上にもまた別の存在が生活を営んでいる。さらに他の星雲にも神およびそのキリストとの間に人類と同じつながりを持つ存在がいて、人類と同じように霊的交わりを持つことが出来る。

が彼らの形態は人類とは異なり、思念の伝達も、人類が言語と呼んでいる方法とは異なる。それでいて創造神とそのキリストとの関係は人類の場合と同じなのです。

彼らにとってもキリストは彼らなりの形態を持って顕現する必要があったのであり、今なお必要です。が、それはナザレ人イエスと同じ人間的形態をまとって現われるのではありません。それでは彼らには奇異に思われるでしょう。否、それ以上に、意味がないでしょう。

彼らには彼らなりの形態をとり、交信方法も彼ら独自のものがあり、彼らなりの合理的プロセスを活用している。こうしたことは、地動説を虚空にかなぐり棄てながらも精神的には相も変わらずまるでミイラの如く物的観念によってぐるぐる巻きにされている者にとっては、およそ納得のいかないことでしょう。

彼らはその小さい世界観から一歩も出ることが出来ず、創造神にとって重大な意義を持つ天体がこの地球以外にも存在することが得心できないのです。

そこで吾々はこう表現しておきましょう──ガリラヤに来たキリストは宇宙的キリストの地球的顕現に過ぎない。が、真のキリストであるという点では同じである、と。

ガリラヤのイエスはキリストの地球用バージョン。

異星人の存在が語られていますが、地球のわれわれと同じ物質的スペクトラムのなかに存在しているわけではないでしょう。スウェーデンボルグが見たのも、別のスペクトラムに住む異星人だったのだと思います。

 

それに、こちらへ来て見て吾々も霊というものが本質は確かに崇高この上ないとは言え、まだ存在のすべてではないということを知るに至りました。

物質界を超えたところに霊界があるごとく、人智を超えた光と、至純の中に至誠を秘めた、遠く高き界層のそのまた彼方に、霊のみの存在にあらずして、霊たるものの本質をすべて自己の中に収めてしまい、霊的存在のすべてを包含して、さらに一段と高き崇高さを秘めた宇宙を構成している実在が存在するということです。

天使や異星人ですらも、神やそれに近しい世界がどうなっているのかは知らないようです。

そう考えると、地上の人間が神学とか哲学とかで神の本質についてうんぬんしているのは、だいぶ無謀なプロジェクトといえますね。

・イエスは死後、まず地獄に赴いてユダと会った。

 

貴殿にも知っておいていただきたいことですが、地上に近い界層の方がはるか彼方の進化した界層に較べて細かい点での変化が激しいのです。

いつの時代にも、地上における学問と国際的交流の発展が第二界にまで影響を及ぼし、中間の第一界へはほとんど影響を及ぼしません。

また死後に携えてきた地上的思想や偏見が第二界でも色濃く残っておりますが、それも一界また一界と向上して行くうちに次第に中和されて行きます。かなり進化した界層でもその痕跡を残していることがありますが、進歩の妨げになったり神の子としての兄弟関係を害したりすることはありません。

臨死体験でよく報告される死後の世界(第一界)が、牧歌的な光景をしている理由はこれでしょうか?

 

第3巻のラスト部分は妙に漫画的な演出。

おそらく漫画家やゲームクリエイターには、こういう本から大きな影響を受けた人が多いでしょうね。こっそり読んでインスピレーションの源にしていると思われます。

ひょっとすると自分自身でベールの彼方を垣間見ている人もいるのかもしれませんが、いたとしてもよほど稀でしょう。

 

ベールの彼方の生活 第4巻

第4巻の目次は以下の通り。

一章 測りがたき神慮
1 大聖堂への帰還
2 静寂の極致
3 コロニーのその後
4 バーナバスの民へ支援の祈りを

二章 聖なる山の大聖堂
1起 源
2構 造

三章 霊の親族(アフィニティ)
1 二人の天使
2 双子の霊
3 水子の霊

四章 天界の大学
1 五つの塔
2 摂理(ことば)が物質となる
3 マンダラ模様の顕現 の発育

七章 天界の大群、地球へ
1 キリストの軍勢
2 先発隊の到着
3 お迎えのための最後の準備
4 第十界へのご到着

八章 地球浄化の大事業
1 科学の浄化
2 宗教界の浄化 キリスト教の間違い
3 キリストについての認識の浄化
4 イエス・キリストとブッダ・キリスト

九章 男性原理と女性原理
1 キリストはなぜ男性として誕生したか
2 男性支配型から女性主導型へ
3 崇高なる法悦の境地
4 地球の未来像の顕現

五章 造化の原理
1 スパイラルの原理
2 文明の発達におけるスパイラル
3 二人三脚の原理
4 通信の中断

六章 創造界の深奥
1 人類の未来をのぞく
2 光沢のない王冠
3 神々による廟議 火星人
4 キリスト界
5 物質科学から霊的科学へ
6 下層界の浄化活動
7 人類の数をしのぐ天界の大軍
地球浄化大作戦の理由

十章 天上、地上、地下のものすべて
1 地球進化の未来
2 宇宙的(コズミック)サイコメトリ
3 精霊とその守護天使の群れ

 

「彼らの中にはかつてこの地上に生活し地上社会で交わった者もいる。生まれながらにして邪悪だった者もいれば名声と地位を誇った者もいる。このようなことを述べるのは、死後の真相を貴殿を通じて地上の人々に伝えたいと思うからです。

と言うのも、地上には、絶対神は愛そのものであるが故に地獄は存在しないと論ずる者がいます。確かに神は愛そのものです。が、そう述べる者がどこまでその絶対愛を理解しているか──ほんの初歩的なものでしかない。」

暗黒界の住人たちについての話。

現代のスピリチュアルではこういう階層の存在はほとんど語られませんよね。

たとえばニール・ドナルド・ウォルシュ『神との対話』では、「あの世には天国しかない」と明言されています(その「天国」が何を意味するかを掘り下げていけば、本書の暗黒街の記述とも折り合いをつけることは可能ですが)

また「現代では地球の波動が急上昇しており、その過程で幽界と冥界はすみやかに消滅中である」とも聞きます。

それが本当だとしたら、『ベールの彼方の生活』のような古典に書かれた記述をすべて真に受けるのは気をつけたほうがよさそうですね。

いわば江戸時代の地図をもって東京の街を散策するような事態になりかねませんから。

 

「貴殿が見られた動物は一度も地上に生を享けたことのない動物たちです。地上に生を享けた動物は明るい界層へ向かいますが、あそこの動物たちは悪の勢力によって創造されたもので、彼らにはそこまでは創造できても、地上へ誕生させるほどの力はありません。

そこで暗黒界の環境を形成している成分によって形態だけは立派な動物の姿をしておりますが進化はせず、これからもずっとあのままです。

貴殿があの境涯での動物の存在を不審に思われたのも無理はありません。あの種の動物は地上の動物的生命の秩序の中に組み込まれていないのです。地上の動物種族の進化に関与できる能力を有するのは創造界においてもよほど高い界層まで到達した神霊に限られます。」

暗黒街の動物たちの話。

動物の進化については『シルバーバーチ』でもくわしく語られています。

 

「こちらの世界では情緒も思念も、何一つとして外部に形体をとって現われないものはありません。貴殿が身のまわりにご覧になる地上のものも、元はといえばすべて思念の表現体です。思念はことごとく、全生命の根源である究極の実在すなわち神に発しています。

現象界の思念はすべてその神という焦点へ向けて内向していきます。つまり、すべての思念の根源は神で、そこから発したものが再び神に回帰していくという、果てしない循環運動をしております。その途中の過程において思念の流れはさまざまな序列の権威、忠誠心、ないしは神との一体性を有する存在の精神的操作を経てゆく。

つまり大天使、中天使、小天使、そして普通のスピリットの影響を受けて、ある者は天国、あるものは地獄、あるものは星雲、あるものは太陽系、その他、民族、国家、動物、植物、要するに貴殿らが〝もの〟とよぶものすべてとなって顕現されている。」

プロティノスやドイツ観念論を思わせる記述。

プロティノスは神通力があったようですが、ドイツ観念論はなぜああいうレベルの知見を持ちえたのでしょうか。

ヤコブ・ベーメとかスピノザあたりが源流か。

スピノザにしても本人には霊的インスピレーションなどなく、そのアイデアの元はもっと遡った場所にありそうですが。

哲学者がただ頭で考えだしたものではなく、どこかにインスピレーションの源があったんでしょうね。それが後世に伝わった。

 

「地上の人でも、地獄にいる者のためにしてあげられることがあることを理解してくだされば、地上にまで及んでいる彼らによる禍(わざわい)を減らすことにもなるのです。

つまり、その気の毒な霊たちを少しでも光明へ近づけ、その苦しみを和らげてやることによって、地上へ大挙して押し寄せては霊的に同質の人間、ひいては人類全体の邪悪性を煽っている霊たちの数とその悪念を減らすことにもなるのです。

人間は上へ目をやって光明を求めて努力することはもとより結構なことです。が、下へ目を向けて、苦悶の淵にあえいでいる霊がその淵から脱け出るように手助けすることはそれ以上に徳のあることです。」

地上の人間の祈りには現実的な効果があるという話。現実的といってもこの世ではなくあの世への働きかけですが。

 

「では名前のことからお話ししましょう。これは死後しばらくは記憶しています。しかしそのうち新しい名前をもらってそれをいつも使用するので、地上時代の名前は次第に使わなくなります。

すると記憶が薄れ、おぼろげとなり、ついにほとんど、ないしは完全に記憶が消滅してしまいます。地上に親族がいる間はさほどでもありませんが、全員がこちらへ来てしまうと、その傾向が促進されます。」

地上の生で使っていた名前についての話。

 

「──それはいつの時代で、どこだったのでしょう?

イタリアです。美しいフローレンスでした。いつだったかは憶えてはいません。が神が物事を刷新しはじめた時代で、人々はそれまでになかった大胆な発想をするようになり、教会が一方の眉をひそめ国家がもう一方の眉をひそめたものです。

そして──そうでした。私は人生半ばにして他界し、それ以上の敵意を受けずに済みました。

──何をなさっていたのでしょう。牧師ですか?

いえ、いえ、牧師ではありません。音楽と絵画を教えておりました。当時はよく一人の先生が両方を教えたものです。

──ルネッサンス初期のことですね?

吾々の間ではそういう呼び方はしませんでした。でも、その時代に相当しましょう。そうです! 今日と同じように神がその頃から物事を刷新しはじめたのです。」

高級霊アーネルの現世時代。中世が宗教性において冬の時代であり、ルネサンスは宗教性にとってもまた夜明けの時代だったことが示唆されています。

われわれの実感とはかけ離れますが、現代はどんどん人類のスピリチュアリティが向上している時代なんですよね。バシャールなどもそう言っています。

これを実感できないのは、『ファクトフルネス』で説かれているような、人間の認知につきものの錯覚ゆえでしょう。

 

「初めに実在があり、その実在の核心から神が生まれた。
神が思惟し、その心からことばが生まれた。
ことばが遠く行きわたり、それに伴って神も行きわたった。神はことばの生命(イノチ)にして、その生命がことばをへて形態をもつに至った。」

天使が歌ったとされる聖歌の一部。

神よりも先に「実在」があったとされているところが興味深い。

シェリングは神のなかに存在の根拠を置き、それを「神の内なる自然」と呼びました。

神と実在のどちらを先に置くかは異なっているように見えますが、神と実在を二元論的にわけて論じるところは共通しているかも。

 

「創造的生命のあらゆる部門においてその発展を司る者が必ず遭遇し適応しなければならないものに、潜在的な反抗的衝動があります。

その影響力が生ずるに至った始源をたどれば悠久の太古にさかのぼり、しかもそれは神の心を物質という形態での顕現を完遂させようとする天使群の努力の中から生じたものなのです。

当時──はるか太古のことですが──その完遂へ向けての道程に関して天使群の間で意見が二つに分かれました。時間をかけるべきと主張する側と早く仕上げるべきと主張する側です。と言っても真っ向から対立したわけではありません。

その考え方には共通した部分がいろいろとありました。が、不一致から生じた混乱によって今日人間が〝悪〟と呼ぶ要素が生まれたのです。」

悪がなぜ存在するのかということ。

前述のシェリングは神の実存たる「神の内なる自然」に悪の根拠を求めました。

しかしここでアーネルが言っているのはもっとわかりやすい事態です。

 

「大事業への参加を求められたあと私が最初に手がけたのは下層界の浄化活動でした。太古においては下層の三界が地球と密接に関係しており、また指導もしておりました。その逆も言えます。すなわち地球のもつ影響力を下層界が摂り入れていったことも事実です。

これは当然のことです。なぜなら、そこの住民は地球からの渡来者であり、地球に近い界ほど直接的な影響力を受けていたわけです。」

いわゆる幽界、冥界のことでしょうか。

信用できなくもなさそうな一部の界隈では、これらの浄化は1987年以降に加速し、現在ではほとんど消えかかっていると言われています。

そして幽界が掃除されると汚れが地上に降りてきます。だから心身の衰弱している人間は悪い影響を受けやすくなる。このようにマイナス面もあります。

本書では過去2~3世紀(つまり17~19世紀のこと)にわたって大掃除の悪影響が地上に現れたことが示唆されています。

 

「当時の人類の発達の流れは下流へ、外部へ、物質へ、と向かっていました。それが神の意志でした。

すなわち神はご自身を物的形態の中に細かく顕現していくことを意図されたのです。ところがその方向が下へ向かっていたために勢いが加速され、地上から侵入してくる誤謬の要素が、それを受け入れ変質させていく霊的要素をしのぐほどになったのです。

そこで吾々が地上へ下降していくためには下層界を浄化する必要が生じました。地上への働きかけをさらに強化するための準備としてそれを行ったのです。」

 

「しかし他の惑星の住民はその原因を察知し、地球を困った存在と考えておりました。たしかに彼らは地球人類より霊的には進化しています。

ですから、この度の問題をもしも吾々のようにかって地上に生活して地上の事情に通じている者が処理せずにいたら、恐らくそれらの惑星の者が手がけていたことでしょう。

霊的交信の技術を自在に使いこなすまでに進化している彼らはすでに審議会においてその問題を議題にしておりました。彼らの動機はきわめて純粋であり霊的に高度なものです。

しかし、手段は彼らが独自に考え出すものであり、それは多分、地球人類が理解できる性質のものではなかったでしょう。そのまま適用したら恐らく手荒らにすぎて、神も仏もあるものかといった観念を地球人に抱かせ、今こそ飛躍を必要とする時期に二世紀ばかり後戻りさせることになっていたでしょう。」

プレアデスによると、地球というのは宇宙にとって重要な位置を占めていて、その影響力が宇宙全体におよびます。だから地球が荒れると異星の住人は困るわけですね。

 

「たしかに地上の科学はぎこちなく狭苦しいものではありますが、全体としての進歩にそれなりの寄与はしており、吾々もその限りにおいて敬意を払っていました。それを吾々が膨張作用によって変質させ、今なおそれを続けているところです。

カスリーン嬢の援助を得て私および私の霊団が行っているこの仕事は今お話したことと別に関係なさそうに思えるでしょうが、実は同じ大事業の一環なのです。

これまでの吾々の通信ならびに吾々の前の通信をご覧になれば、科学的内容のもので貴殿に受け取れるかぎりのものが伝えられていることに気づかれるでしょう。大した分量ではありません。それは事実ですが、貴殿がいくら望まれても、能力以上のものは授かりません。

しかし、次の事実をお教えしておきましょう。この種の特殊な啓示のために貴殿よりもっと有能で科学的資質を具えた男性たち、それにもちろん少ないながらも女性たちが、着々と研さんを重ねているということです。道具として貴殿よりは扱いやすいでしょう。」

科学の浄化について。

19世紀の近代スピリチュアリズムや超心理学のことでしょうか。それともアインシュタインやその後の量子力学まで含むのだろうか。

この辺を読むと唯物論はやはり望ましいものではないのかも。それはそれで固有の役割を与えられているんじゃないかと思ったりもしていましたが。

 

「キリスト教ではキリストのことを神(ゴッド)と呼び、人間を超越した存在であると言います。これは言葉の上では言い過ぎでありながら、その意味においてはなお言い足りておりません。キリストについて二つの観点があります。

一つの観点からすれば、キリストは唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のお一人です。父と呼んでいる存在はそれとは別です。

それは人間が思考しうるかぎりの究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です。

しかし別の実際的観点からすれば、吾々にとってキリストは人間が父なる神に帰属させているいかなる権能、いかなる栄光よりも偉大なものを所有する存在です。キリスト教徒にとって最高の存在は全知全能なる父です。

この全知全能という用語は響きだけは絶大です。しかしその用語に含ませている観念は、今こうして貴殿に語っている吾々がこちらへ来て知るところとなったキリストの真の尊厳にくらべれば貧弱であり矮小(わいしょう)です。

その吾々ですらまだ地上界からわずか十界しか離れていません。本当のキリストの尊厳たるや、はたしていかばかりのものでしょうか。」

キリスト教会への批判。

三位一体説を公式とした教会の会議、あれはまさしく悪い意味で「そのとき歴史が動いた」だと思います。

聖書も真実のごく一部しか表現していないとのこと。

このへんは東洋人からすると当たり前のことしか言ってないと感じます。

東洋のほうが宗教の核心が無傷のまま残っていますよね。

一神教エリアというのはいわば顕教が力をもちすぎた地域といえるでしょう。

東洋にもそういうスタイルはいくつもあったのですが、それが本物を超えて力を得ることはほとんどありませんでした。

なぜこのような違いが生まれたのかはわかりません。一般民衆の知力が違うのはその一因だったかも(東洋はずっと先進国エリアだった)

 

「実はそれ以外に地上の人間の視力では捉えることの出来ない別の種類の惑星が存在するのです。精妙化がすでに物質的段階を超えてエーテル的段階に至っているのです。霊的までは至っていません。物質的状態と霊的状態の中間です。

その種の天体の住民には地球を含む惑星系のすべてが見えます。そして強力な影響力を行使することができます。それは、地球人類より進化はしていても、霊格において霊界の住民よりはまだ地球人類に近いからです。」

バシャールのエササニ星などはまさにこれに当てはまるのでしょう。地球も急速に非物質化のほうへ舵を切り始めたと最近よく聞きますね。

 

「ところが、それとはまた別の意味でのエーテル的天体がいくつか存在します。その一つが地球を包みこむように重なっております。その天体の構成するエーテルの粗製状態のものが地球に瀰漫しているのです。

と言って、地球のためだけの存在ではありません。また、のっぺらとしたベルト状のものではなく、表面には大陸もあれば海もあり、住民もいます。

その大半はかつて地球上で生活したことのある者ですが、中には一度も地上生活の体験のない者もいます。血と肉とから成る身体としての顕現の段階まで達していないのです。

──いわゆる幽界のことでしょうか。

その名称は使用する人によって必ずしも同じように理解されておりませんが、貴殿の理解しているものに従って言えば、私のいうエーテル的天体は幽界とは違います。

今お話したとおりのものです。聞くところによれば、そこに安住している人間に似た住民はみな、ずいぶん古くからの生活者で、これから先いつまでそこに住んでいられるか確かなことは不明であるとのことです。彼らは太古の地球人類の一種の副産物なのです。

──あなたがこの地球へ降りてこられる時はそのエーテル的天体を通過してくるわけですか。

場所的に言えばそういうことになります。が、通過する際にその環境に対して何の反応も感じません。感覚的にはその存在を感じていないということです。私がこれまで第一界、第二界、第三界と呼んできた界層とは何の関係もありません。

造化の系列が別で、実に不可思議な存在です。吾々の行動の場から離れており、したがって詳しいことはほとんど知りません。」

地球と重なるように存在するエーテル的世界について。

これは聞いたことがない気がする。

「地底世界」とか言われてるものがこれに当てはまるのでしょうか。「地球の内部から来るUFOもいる」とか言われますよね。非常に興味深い。

宗教の本

Posted by chaco