ネリーとワルコフスキー公爵 ドストエフスキー『虐げられた人びと』【書評】

2021年9月30日ドストエフスキー

シベリアでの死刑をすんでのところで免れたドストエフスキー。監獄から解放された彼は、10年の遅れを取り戻そうと、怒涛の勢いで創作活動を再開します。

そうして執筆が進められたのが、『死の家の記録』と『虐げられた人びと』でした。

『死の家の記録』が現実の写実的なスケッチといった趣の傑作だったのに対して、この『虐げられた人びと』は純然たる小説作品です。このたび十数年ぶりに再読。

グロスマンの『ドストエフスキイ』によると、この作品は新聞に連載されるフェリエトン的小説のジャンルを意識して書かれたそう。ディケンズとか夏目漱石みたいな書き方ですね。

しかし批評家からの評価は散々だった模様(『死の家の記録』のほうは大絶賛された)。本人もそれは自覚していたようで、本作については「人間ではなく人形がたくさん並べてある」と述べていたようです。

しかし読んでてつまらない作品かというとそんなことないんですよね。むしろ面白いです。ドストエフスキーって仮にシベリアで死刑になっていたとしてもそこそこの作家として文学史に名前を残したんじゃないかと思う。『虐げられた人びと』も、後年の神作にかき消されることがないぶん、もっと評価されていたかも。

ドストエフスキーは本作について「真に迫る人物が2人はいるし、誇りに思えるページが50ページはある」みたいなことも言っています。

どの人物のことを指しているのかは不明ですが、個人的にはネリーとワルコフスキー公爵に注目すべきではないかと思います。

 

ネリーとワルコフスキー公爵

ネリーはディケンズの『骨董屋』に出てくるネルがモデルになっています。12歳くらいの少女で、「虐げられた者」を代表する存在。

この子が中盤から前面に出てきてラストに至るまで大きな役割を演じるのですが、他のキャラに比べて存在感の強さが異様です。

個人的にもっとも印象的なシーンは医者の老人との場面。ネリーが何度も癇癪をおこすも、老人は聖者のようにそれを受け入れ、しまいにはネリーと打ち解けるという一連の場面。

老人は少女のために、教育的な内容の絵入りの本を持ってくるようになった。その一冊などはわざわざ買ってきたらしい。次に老人は砂糖菓子や、きれいな箱に入ったキャンディをせっせと運び始めた。そういうおみやげがあるとき、老人はまるで命名日の当人のようにまじめくさった顔をして入ってくるので、ネリーはすぐに分かってしまうのだった。(ドストエフスキー『虐げられた人びと』小笠原豊樹訳)

やがて老人は勿体ぶって椅子から立ちあがり、キャンディの箱を取り出し、それをネリーに渡しながら、「私の未来の優しい奥さんへ」と必ず付け加えた。その瞬間、たぶん老人はネリーよりも仕合わせだったに違いない。(同書)

何気にこの老人も本作における最高のキャラかも。ドストエフスキーってこういう脇役にディケンズ的なユーモアをもたせることがよくありますよね。

 

ドストエフスキーの小説には典型的な悪役が登場します。スヴィドリガイロフとかスタヴローギンとか。その初めてのモデルが、おそらく本作のワルコフスキー公爵。その意味でこのキャラは重要な気がしますね。

公爵が主人公の小説を馬鹿にするシーンがあります(本作の主人公はデビュー当時のドストエフスキー本人がモデルになっていて、『貧しき人々』と思われる作品も登場)。

あれはたぶん、自作を公爵に批判させることで、初期の自分の浅さを表現したかったんじゃないでしょうか?

本作の主人公は、現時点では死の床に伏せっています。一方で現実のドストエフスキーはシベリアの監獄送りを生き延び、創作活動を再開しました。

おそらく本作は、監獄以前の浅かった自分を葬る作業でもあったのだと思います。以降のドストエフスキーは、公爵の批判を弁証法的に乗り越えていくような巨大な傑作群を世に送り出すことになります。

なおドストエフスキー作品については、この記事↑にまとめてあります。