『小説家が読むドストエフスキー』小説とキリスト教のプロが語る【書評】

2021年7月26日ドストエフスキー

このあいだ読了した『21世紀ドストエフスキーがやってくる』に、亀山郁夫と加賀乙彦の対談が収録されていて、おもしろく読みました。

そのなかで亀山が加賀の『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)をべた褒めしてたんですよね。

それ以来ずっと気になっていたこの本。先日、中古本屋で見つけ即座に購入。ついに読みました。

2003年に朝日カルチャーセンターで行われた講義が元になっています。そのため文章はですます調でなじみやすく、気軽な気持ちで読むことのできる本。

『死の家の記録』『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』の5作品が順番に解説されていきます。

カトリック教徒にしてプロの小説家

この『小説家が読むドストエフスキー』には、他書にはない重大な特徴があります。それが以下の2点。

・著者がプロの小説家であること
・著者がキリスト教徒(カトリック)であること

 

加賀乙彦はプロの小説家にしてキリスト教徒なんですね。なぜこれが重要かというと、ドストエフスキーもプロの小説家にしてキリスト教徒(ロシア正教ですが)だからです。

いわば本書は、同業者が同業者を語るかっこうになるわけです。これは他のドストエフスキー本ではなかなか見られない特徴でしょう。

著者自身この2点を存分に活かして本書を書いています。これが、本書を興味深いものにしている理由です。

プロの小説家だから発見できるドストエフスキーの創作テクニック、キリスト教だから理解できるドストエフスキーの思想。これらへの指摘がふんだんに盛り込まれ、新書ながらも非常に読みごたえのある本になっています。

 

ドストエフスキーは宗教小説家だ

加賀乙彦の本でとくに重要なのは、ドストエフスキーを宗教小説家と規定している点ですね。

ソ連や日本のドストエフスキー研究には、これは欠けがちな視点なんです。

たとえば小林秀雄のドストエフスキー論は、登場人物の近代的自我うんぬんが問題にされますが、宗教的な次元の話は出てこない。これは間違いであると、加賀ははっきり主張しています。

日本のドストエフスキー研究が平坦なものになりがちなのは、宗教への理解が浅いからというのが大きいと思います。戦前はともかく、戦後の日本人は非常な宗教音痴ですから。

 

ソ連のドストエフスキー研究にも同じことがいえますね。ただしソ連は宗教音痴というよりも、社会主義のドグマが宗教を圧殺していたことの影響です。

社会主義というのは理性と科学を信奉する体制で、宗教はかえりみられませんでした。ドストエフスキーも当時はあまり人気がなかったらしい。

 

今のロシアでドストエフスキー研究がどうなっているのか興味深いですね。

世界の他の地域と同様に、ロシアでも宗教のリバイバルが起こり、ロシア正教の勢いが復活したといいます。それにつれて、ドストエフスキーもナンバーワンの地位に返り咲いたとか。

ということは、現在のロシアでは宗教的視点からの深いドストエフスキー研究が行われている可能性が高いですよね。どういう研究がなされているのか、興味深いところです。

 

印象的だったところ

以下、印象的だった内容をいくつか挙げてみます。

・夏目漱石『吾輩は猫である』の入浴シーンはドストエフスキー『死の家の記録』へのオマージュ

・シュナイダーの『精神病質人格』はドストエフスキー副読本になる

・サルトル以降、人物を外面的に描いてはいけなくなった

・癲癇の天才はドストエフスキーとナポレオンとマホメット

・ドストエフスキー作品の登場人物には奥行きがあり、この技術を受け継いだのはプルースト、ジョイス、フォークナー

・白痴は最高傑作である

・イワンだけ顔の描写がない

・ドストエフスキーの小説はソナタ形式

・ザビエルの死体は腐らなかった

・ドストエフスキーはニーチェを読んでいた

 

本書で加賀は、グロスマンのドストエフスキー伝ベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』を挙げています。

両書とも絶版状態で手に入りにくくなっている名著。しかし僕は先日、いずれも古書店で発見しました。しかもどっちも700円。

どっちもすさまじく面白いので、ドストエフスキーファンの方には中古で探してみることをおすすめします。