ネイションは国民か?民族か? 塩川伸明『民族とネイション』
「ネイション」ほど意味のつかみづらい用語もめずらしいですよね。
柄谷行人とかがよくこの語彙を使いますが、そのたびに頭が混乱します。
ネイションって何?国民なんだろうか?あるいは民族?それとも国家そのもの?
今回、塩川伸明『民族とネイション ナショナリズムという難問』(岩波新書)を読んで、そのへんの疑問が氷解しました。
民族、ネイション、エスニシティ、ナショナリズムなどの基本語彙の混乱を解きほぐし、明快な全体像を与えてくれる良書です。
2008年に出た新書でかなり評価も高かったのですが、なぜか読むのを先延ばしにしていた本。こういうのは早めに読んでおいたほうがいいですね。
本書のおおまかな構成は次のとおり。
第1章 概念と用語法…ここで基本語彙が理論的に整理されます(後述)。
第2章 「国民国家」の登場…国民国家がどのように成立してきたのかが歴史的に解説されます。取り上げられるのはヨーロッパ、オスマン帝国、アメリカ、東アジア。
第3章 民族自決論とその帰結…第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦、それぞれの混乱期の後の民族的再構成が解説されます。取り上げられるのは東欧、ソ連、インドネシア、中東、ベトナムなど。
第4章 冷戦後の世界…グローバル化時代の民族問題や歴史問題について。
第5章 難問としてのナショナリズム…良いナショナリズムと悪いナショナリズムを区別することは可能か?
エスニシティと民族の意味
この本、まずエスニシティの定義から入ります。
「わたしたちは~を共有する仲間だ」という意識。これが共有されている集団をエスニシティと呼びます。
これは必ずしも国家と関係するとはかぎりません。文化、伝統、習慣、宗教などなんでもあり。
「わたしたちは~を共有する仲間だ」という意識で結びついているのなら、それはエスニシティです。
そしてこのエスニシティが一つの国あるいはなんらかの政治的単位をもつことを望んだとき、その集団は民族と呼ばれます。
このようにエスニシティと民族は異なる概念ながらも重なっている部分もあり、どのような意味で使われているのか、その都度見極めが必要になります。
民族はかならずエスニシティですが、エスニシティがかならずしも民族とは限らないわけですね。
ネイションは国民でもあり民族でもある
では次に鬼門となるネイションについて。
これを理解するためにはまず「国民」概念の整理が必要です。
国民とはある国家の公式の構成員を指します。注意すべきは、国民がエスニシティとは限らないという点。
日本に住んでいると鈍感になりがちですが、ひとつの国民がかならずしもエスニックな同質性を共有しているとは限らないんですね。
したがって国民と民族・エスニシティは本質的にまったく異なる概念ということになります(ただし現実においては両者がほぼ重なり合う場合もありえます)。
そしてネイション概念のなにがややこしいかというと、この単語は国民と民族の両方を含んでいる点なんです。
まったく性質の異なる国民と民族が、ネイションという単語のなかに共存してしまっているんですね。
だからネイションと言われたら文脈からその正確な意味を推測する必要があります。
エスニックな同質性がもたされているようなら、ネイションは民族と訳します。逆にエスニシティとは切り離されて語られているようなら、ネイションは国民と訳します。
ちなみに英語圏やフランス語圏ではネイション(あるいはそれに相当する単語)にエスニックなトーンが薄いそうです。逆にドイツやロシアではネイションに相当する単語にエスニックな色合いが強く出てきます。
ナショナリズムとは何か
ナショナリズムとはなんでしょうか?実はこれも曖昧な概念らしい。
とはいえ有力な説はあって、政治的単位(国家)と民族的な単位とを逸しさせようとする思想や運動、これをナショナリズムと呼ぶものがそれです。
意外なことに、フランス革命以来、ナショナリズムは肯定的に評価されてきたといいます。
これが逆転したのは、1990年代以降、非合理的な情念としてのナショナリズムが暴走しだしたのが大きいとのこと。
暴力的紛争や移民排斥などの動きが世界的に見られるようになったんですね。日本ですらこの流れに同期していますよね。
戦後日本ですら実は愛国主義は盛んだったらしい。
しかし最近になってそれが逆転し、その見方が過去に投影されることで、戦後日本は終戦からずっとナショナリズムに否定的だった的なイメージが生まれたといいます。
現代でもナショナリズムの良い点を救い出そうとする試みはなされている模様。
そのさい、たいてい次の2点が言及されるといいます。
・弱小集団のナショナリズムは良いナショナリズム
・リベラルな性格をもつナショナリズムは良いナショナリズム
ただし本書の著者はこの点に関して慎重な姿勢です。
前者については、弱小集団とはいってもまた別のもっと小さい集団に対しては凶暴な巨人たりうると。
後者については、シヴィック・ナショナリズムへのかなり踏み込んだ批判がなされています。
本書は巻末の読書案内も有益。各章のテーマごとに重要書が多数掲載されていて、初学者の道しるべになってくれます。
個人的にはゲルナー、スミス、ホブズボームといった巨匠はいつか読んでみたいですね。あと大澤真幸の『ナショナリズムの由来』にも興味あります。
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