ロバート・ベラー『徳川時代の宗教』日本教と資本主義
ロバート・ベラーの『徳川時代の宗教』(岩波文庫)を読みました。中古本屋でたまたま手に入れた名著です。
ベラーは20世紀アメリカの社会学者で、あのタルコット・パーソンズの教え子でもあります。
本書でもパーソンズの社会システム理論の枠組みが応用されています。
しかし本書の根幹は、ウェーバーの宗教社会学ないし近代化論の日本社会への応用にあります。
ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、宗教の合理化が近代資本主義社会を準備したと述べました。その合理的な宗教こそが、キリスト教のプロテスタントだった。
これはマルクスを標的としてなされた、過度に単純化された思想ではあるのですが、とにかく宗教が経済システムを変動させたと考えるところがポイントです。
ところで、日本は非西洋の国で唯一(当時)、近代化に成功した国でした。
ならば、ウェーバーの理論が正しいとして、日本のなかにもプロテスタンティズムに対応するものがあるのではないか?
それを探るのがベラーの『徳川時代の宗教』です。
江戸時代の日本に、プロテスタンティズムに相当するものを探ろうというわけです。日本の宗教には合理化の要素があり、それが後の近代化成功を準備したのだ、というふうに話をもっていきたいわけですね。
とはいえ、今では中国をはじめ多くの非西洋諸国が近代資本主義化に成功しています。だから本書のような問題設定は無効なのかもしれません。
後追いのキャッチアップなら誰でもできるのかもしれないですね。その一番目がたまたま日本だったというだけなのかも。
ただ、なぜ西洋で資本主義が生まれたのかという命題は今でも有効で、近年の歴史学や社会科学ではこのウェーバー的な問いかけが再ブームになっているほどです。
ただ悲しいことに現在の欧米(とくにドイツとアメリカ)では社会学が死滅状態で、ウェーバー的な仕事を担当しているのは今では歴史学者や人類学者、あるいは経済学者なのですが。
日本などで生き延びている社会学も地味な社会調査への回帰が起こっていて、マクロな理論的仕事は出なくなりました。
日本人の宗教は日本教
本書で注目すべきは、ベラーが「日本宗教」を考えているところ。
仏教とか儒教とか神道とかの個別の宗派を見るのではなく、それらが渾然一体となった「日本宗教」が日本の宗教だと考えています。それが平均的日本人の精神を方向づけている。
これは山本七平(イザヤ・ベンダサンなるペンネームでも活動)のいう日本教にも通じる考え方で、本書を読むと非常に説得力があると思います。
また儒教を強調しているところも注目したいですね。日本を支配する宗教は日本教なのですが、それはかなり儒教的な色調が強いと。
これ納得できると思うんです。近代以降の日本人ってかなり儒教的ですよ。異常に秩序を大事にしたり、異常に働き者だったり。しかしこれを指摘する人はなぜか少ない。
ベラーがここを強調してくれて、我が意を得たりの思いをしたのでした。
ちなみに『徳川時代の宗教』にもっとも大きな反応を示した日本人はあの丸山真男だそうで、本書にも付属している「ペーパーバック版まえがき」には、丸山の批判への応答が書いてあります。
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