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なぜドスト作品は明るいのか ベルジャーエフ『ドストエフスキーの世界観』

2023年11月21日

ドストエフスキー論のなかで最強の作品はなんでしょうか?

僕は日本なら森有正の『ドストエーフスキー覚書』(ちくま学芸文庫)、海外ならベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』だと思ってます。

ベルジャーエフは20世紀ロシアの哲学者。反共産主義に転向してのちは、神秘主義や自由主義の信条からドストエフスキーに最大限のリスペクトを寄せていました。

昔の日本でもかなりの存在感をもって読まれていた模様。僕は加賀乙彦の『小説家が読むドストエフスキー』でその存在を知って、中古で本書を購入、読んでみたらものすごい説得力で腰を抜かしたというわけです。

ベルジャーエフはドストエフスキー作品について次のように言っています。

ドストエフスキーを読んで、ただなんの救いもない暗黒のなかに突き落とされる感じをうける人、苦しさだけが感じられて喜びを感じえない人は、彼を見ず彼を知らない人である。

(ベルジャーエフ『ドストエフスキーの世界観』斎藤栄治訳)

これドストエフスキー好きの人は共感できますよね。ドストエフスキー作品って決して暗くないんですよね。たえずトンネルの向こうに光が射している感じがある。

ベルジャーエフにいわせるとドストエフスキーは肯定の精神をもつ作家であり、ニヒリズムの敵ということになります(逆にトルストイは肯定的作品を書こうとするものの自身はニヒリスト)。

ではなぜドストエフスキーは明るいのでしょうか?

おそらくキリストへの信仰、そしてそれを通じた、人間とその運命への信頼があるからだと思われます。

ベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』は、この思想家ドストエフスキーの信仰と思想を解き明かしていく名著です。

ドストエフスキーの真髄は自由の哲学

ベルジャーエフはドストエフスキーの思想を問題にします。バフチンなどは(検閲回避の目的もあって)思想の問題を避けて作品の形式を取り上げましたが、ベルジャーエフが焦点を当てるのは哲学者としてのドストエフスキーです。

ではドストエフスキー作品のコアにある思想とはなんなのか?

ベルジャーエフいわく、自由の哲学がそれです。

西洋においては、中世的なキリスト教は近代のヒューマニズムによって解体され、個人の自由の時代が到来しました。

重要なのはドストエフスキーがこのヒューマニズムを経ていること、そしてそれを否定しないことです。むしろこの自由主義を極限まで推し進め、その結果を見定めんとするのがドストエフスキーです。

ドストエフスキーというと保守的なキリスト教徒みたいなイメージがありますよね。ロシアの農民に賭けるみたいな。実際『作家の日記』ではそういうニュアンスのことを言っていて、それが元でドストエフスキーには反動的なイメージがつきまといます。

しかしベルジャーエフにいわせればそれは偏見なんですね。ドストエフスキーは単なる反動家ではなく、西欧近代やヒューマニズムを通過した自由の哲学者です。実際、スラブ主義(近代化以前のロシアに復古しようとする反動主義)と西欧派なら、ドストエフスキーは後者に味方します。

 

ただし単なるヒューマニストでも当然ありません。

ドストエフスキーは我欲の追求がやがて自由の否定にいたることを見抜き、近代の批判者となります。

自由な自我はやがてその自由を重荷に感じ、どうにか自由を打ち捨てようとします。自由のせいで人間は不幸になる。幸福は自由よりよっぽど大事だ。ならば自由などうっちゃっておいて、苦痛のない合理的な社会システムを設計すればいいのではないか?

こうして導き出されるのが画一的な平等、社会主義、(ドストエフスキーが理解するところの)カトリック、システマチックな水晶宮であり、『カラマーゾフの兄弟』に登場する大審問官の哲学です。

 

ドストエフスキーはこれに反対するんですね。

彼の理解ではキリスト教は自由の宗教です。神は人間を尊敬し、自由を与えました。悪を選び取る自由をもつ存在が善を選び取ってこそ、その善には価値があると考えられているからです。

ドストエフスキーは自由を、ということはつまり悪と苦痛に満ちた世界を、なんとか肯定しようとします。そしてキリストへの信頼によってのみそれは可能だと彼は考えるわけです。

自分より高いもの(キリスト)への信仰なしに自由を極大化すると、すべてが許されたニヒリズムへと帰結し、自己が自己を食い尽くし、無意味な虚無と退屈のなかに没落していくことになります。

ドストエフスキー作品に登場する暗い主人公たちは、この運命をたどりますね。彼らは自由に目覚めた人間です。したがってそのぶんだけ単なる保守や社会主義者、合理主義者よりは作者の恩寵を受けてはいます。

しかしその自由にはキリストが欠けている。これが地下室住人、スタヴローギン、キリーロフ、イワンらの没落を予告します。

 

整理すると次のようになります。上から下に向けて、思想が弁証法的に深まっていきます。

1. 単なる反動主義(スラブ主義)
2. 西欧近代のヒューマニスト(ナイーブな自由論者、無神論者。ドストエフスキー作品ではよく脇役として登場し道化のように扱われる)
3. 自由な自我が行き着くとこまで行き着き自己が虚無化し自由と世界の否定を望む者たち(ドストエフスキー作品の暗い主人公たち)
4. 自由の深淵に飲み込まれるもキリストへの信頼によってそこから復帰し自由と世界を肯定する者たち(ドストエフスキーの明るい主人公たち)

ドストエフスキー作品では3と4のバトルがメインになってきます。『カラマーゾフの兄弟』に出てくる大審問官のエピソードがいちばんわかりやすいですね。

 

またドストエフスキーとニーチェの道が分かたれるのもこの地点においてですね。

ニーチェもまた近代的な自我を突き詰めることでその最大の批判者となったのですが、彼にはキリストにあたる存在がいませんでした。その結果、彼は『悪霊』に登場するキリーロフのように一種の人神思想を肥大化させていくことになります。

ニーチェは一見すると力強い思想を述べていますが、ドストエフスキーとは反対に、その作品にはいつも陰鬱なムードが漂っています。その原因はここにあると思われます。

 

もういちど図式化。中世→近代的自由ときて、その自由に対してどういう態度をとるかによって各々の立場が明確にわかれてきます。

・反動家は中世への復帰
・社会主義者や合理主義者は自由を否定して幸福な圧政へ(大審問官のディストピア)
・ニーチェは人神を目指す(ドストエフスキーの暗い主人公たち)
・ドストエフスキーはキリストとともに真の自由を目指す(ドストエフスキーの明るい主人公たち)

ドストエフスキーはよく「現代の予言者」みたいに言われますが、それは違う気がしますね。

彼はもう少し未来に属していると思われます。今の人類にはちょっと早いんじゃないかと思う。未来の人間はさらなる理解度をもってドストエフスキーを読むことになると僕なんかは予想しますね。

ベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』、思ってたよりずっとすごい本でした。必読といっていいレベルだと思います。

文学の本

Posted by chaco