ベルジャーエフ『ドストエフスキーの世界観』【書評】
ベルジャーエフは『ドストエフスキーの世界観』で次のように言っています。
「ドストエフスキーを読んで、ただなんの救いもない暗黒のなかに突き落とされる感じをうける人、苦しさだけが感じられて喜びを感じえない人は、彼を見ず彼を知らない人である」
これはドストエフスキー好きの人は共感できるはず。ドストエフスキー作品って決して暗くないんですよね。
トンネルの向こうに光が射している感じというのがずっとある。
ベルジャーエフにいわせるとドストエフスキーは肯定の作家であり、ニヒリズムの敵だということです。
ではなぜドストエフスキーは明るいのでしょうか?大きな理由として、キリスト教がベースにあるからというのがありますね。
このドストエフスキーの信仰そして思想。それを解き明かすのがベルジャーエフの名著『ドストエフスキーの世界観』です。
これがとんでもない名著。オーソドックスなキリスト教やニーチェ哲学と、ドストエフスキーの違いがわかります。
ドストエフスキーの真髄は自由の哲学
ドストエフスキーのコアにある思想はなにか?ベルジャーエフいわく、自由の思想がそれです。
中世的なキリスト教は近代のヒューマニズムによって解体され、個人の自由が到来しました。
重要なのは、ドストエフスキーがこのヒューマニズムを経ていること、そしてそれを否定しないことです。
ドストエフスキーというと保守的なキリスト教徒みたいなイメージがありますよね。ロシアの農民に賭けるみたいな。
しかしベルジャーエフにいわせればそれは偏見であり、ドストエフスキーは単なる反動家ではないのです。ここは大きな発見。
スラブ主義と西欧派なら後者に味方する。それがドストエフスキーなのですね。
ただし単なるヒューマニストでも当然ありません。
ドストエフスキーは我欲の追求がやがて自由の否定にいたることを見抜き、近代の批判者となります。
自由な自我はやがてその自由を重荷に感じ、どうにか自由を打ち捨てようとします。それが完全な平等、幸福な社会主義、システマチックな水晶宮であり、大審問官の哲学です。
ドストエフスキーはこれに反対するんですね。彼はどこまでも自由を貫徹しようとします。そして真の自由はキリストを通して初めて可能だと考えるわけです。
この自由の哲学こそがドストエフスキーのキリスト教のコアにあるものであり、大審問官物語に登場したキリストの正体にほかなりません。
ドストエフスキー作品に登場する暗い主人公たちには、この自由がありますね。したがってそのぶんだけ作者の恩寵を受けているのです。
単なる保守や、自由の廃棄を目指す社会主義者、合理主義者よりはよっぽどマシだと。
しかしそこにはキリストがいない。これが地下室住人、スタヴローギン、キリーロフ、イワンらの没落を予告します。
またドストエフスキーとニーチェの道が分かたれるのもこの地点においてですね。
ニーチェもまた近代的な自我を突き詰めることでその最大の批判者となったのですが、彼にはキリストがいなかった。
ニーチェは一見すると力強い思想を述べていますが、ドストエフスキーとは反対に、その作品にはいつも陰鬱なムードが漂っています。その原因はここにあると思われます。
ニーチェの没落の原因までもをここに求めたら、行きすぎかもしれないですが。
2020年のナンバーワンになるかも
最後にわかりやすく図式化しておきましょう。
中世→近代的自由ときて、その次をどう志向するかでわかれます。
・反動家は中世への復帰
・社会主義者や合理主義者は自由を否定して圧政へ(大審問官のディストピア)
・ニーチェは人神を目指す(ドストエフスキーの暗い主人公たち)
・ドストエフスキーはキリストとともに真の自由を目指す(ドストエフスキーの明るい主人公たち)
ベルジャーエフという名前だけは知っていました。しかしまさかここまで凄いとは。
たぶん本書が、2020年に読んだ本のなかでナンバーワンになると思います。