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超ひも理論vsループ理論 ロヴェッリ『すごい物理学講義』『時間は存在しない』

2025年1月8日

相対性理論と量子力学を統合しようとすると、エラーが発生してしまう。どうすれば両者を兼ね備えた統一理論が作れるのか?

これが現代理論物理学の最大の課題といわれてきました。

そしてその解決を試みる量子重力理論のうち、最有力の一つと見なされているのがループ理論です。

『すごい物理学講義』(河出文庫)は、そのループ理論研究の第一人者カルロ・ロヴェッリが一般向けに物理学史を解説した本。この人は文才にも恵まれ、彼が書いた科学啓蒙書は各国でベストセラーになっています。

実際おもしろいです。今まで読んだ物理学の啓蒙書では一番かも。

文学や哲学の知識をも兼ね備え、縦横無尽に引用を行う姿はかなりインパクトあります。いかにもヨーロッパの学者という感じ。

ロヴェッリは「ホーキングの再来」と言われることもあるそうですが、この点ではむしろアインシュタインやハイゼンベルクを思わせる気がしますね(ホーキングは専門以外のことを語ると意外と平凡)

 

本書の内容ですが、第一部ではニュートンとファラデーまでの物理学がざっくり解説されます。デモクリトスを中心とした古代ギリシアの哲学が参照される構成も独特。

空間と時間は絶対的な容器としてイメージされます。このへんめちゃくちゃわかりやすくて頭の整理が進む感じ。

第二部は相対性理論と量子力学の解説。主役はもちろんアインシュタイン。

空間と時間は巨大な軟体生物としてイメージされます。時空間という軟体生物が存在し、その部分があれこれの存在者をしている感じ。

相対性理論の説明もわかりやすくて感動的。ただし量子論はかなり駆け足の説明で、このへんからわかりやすさという点では雲行きが怪しくなってきます。

第三部が本書のコア。ループ理論の説明です。

相対性理論と量子論には矛盾があり、両者をなんとか統合しようという試みが量子重力理論なのでした。

量子重力理論でもっとも有名なのは超ひも理論です。興味深いことに、日本では研究者も解説書もこればかりだそうです。

しかし量子重力理論にはもう一つの有力候補があって、それがループ理論にほかなりません。著者のカルロ・ロヴェッリはループ理論研究の第一人者です。

 

ループ理論とはなにか?

ループ理論とはどのような内容なのでしょうか。

細かい部分はよくわからないのですが(究極的には研究者たちにすらわかっていない模様)、そのコアにある主張は「世界には最小の長さが存在する」というものです。

言い換えると「空間は粒からできている」ということ。ニュートン時代、空間は容器としてイメージされました。アインシュタインではそれが時間と一体化した軟体生物に変わる。そしてループ理論では空間は粒として理解されます。

空間のなかに粒が存在しているのではありません。そうではなく、それ以上分割できない最小の粒から空間ができあがっているわけです。

相対性理論は量子場を組み込んでいません。一方で量子論は時空間の屈曲を組み込んでいない。この矛盾が空間の量子(というか空間そのものである量子)を想定するループ理論によって解決すると著者は言うのです。

本書で古代の原子論者デモクリトスやその後継者ルクレティウスがやたらと参照されるのも納得。彼らはループ理論など知りませんが、根底的なレベルで発想が同じですから。

↓本書でたびたび引用されるルクレティウスの本がこれ。岩波文庫から『物の本質について』というタイトルで出ています。

それから、日本で超ひも理論のほうが人気なのもここと関係がありそう。

日本人の世界観って生成をベースにしていますよね。流れがあってそのプロセスとして存在者が生成してくるみたいな。

最小の単位としての存在者が世界の構成要素としてガチッと存在してるみたいな原子論的世界観は、日本人には合わないのだと思われます。

だから原子論的な発想のループ理論よりも、連続的な世界観の超ひも理論のほうが流行るんじゃないでしょうか?

 

『時間は存在しない』も読んでみた

『すごい物理学講義』(河出文庫)が異常な面白さだったので、続編のこっちも読んでみました。

本書の内容ですが、物理的世界に時間は存在しない→じゃあ僕たちの体験してる時間ってなんなんだろう、という構成で進みます。

物理学の方程式には、過去と未来を区別する内容がありません。つまり方程式の教えに従えば、時間は存在しないということ。

ロヴェッリはここから、宇宙には時間が存在せず、それは人間が作り出したものにすぎないという結論にいたります。

なぜ数学が人間から独立した宇宙の構造を知っているのかという疑問が頭をよぎりますが、とりあえずそうなってるとしかいえません。これは物理学者も数学者も不思議でしょうがない模様。

とにかく現代物理学のコアには数式に映し出される自然構造を解釈する仕事があり、しかも往々にして、数式の教える事象は実験により実証されます。

物理学の基本方程式は過去と未来を区別しない。しかし、興味深い例外があります。

熱力学の方程式がそれ。この理論には「前」と「後」を区別する指標があるのです。ロヴェッリはここに、僕たちが生み出す時間という幻の根源を見て取ります。

ここらへんの議論がすごくわかりにくいです。

前半はわかりやすい。相対性理論や量子論を紹介しつつ、物理的世界には時間が存在しないと説くくだり。また後半もわかりやすいです。僕たちが感じる時間の根を主観の内側に探るというアプローチ。

しかし中盤の熱力学を扱った部分、ここがよくわからないし、それが前後の話とどうつながっているのかになると難解さを極めていると思う。

・物理学的世界には時間が存在しない←これはわかる

・人間の視点がぼやけてるから時間が生じる←発想としてはよくわかる

・熱力学におけるエントロピー増大の法則が上記2つの論点をつなぐカギだ←どういうこと?

とりあえず熱力学の理解しがたさが異常であることはわかりました。

 

なお、さらなる続編の『世界は関係でできている』も読んでみましたが、内容的にだいぶヌルくなっていてそれほどの威力は感じませんでした。

やはり『すごい物理学講義』がいちばん面白いと思います。

 

ところで、ロヴェッリの本を読んで再確認したのは、相対性理論とか量子論って哲学的だなということ。これは多くの人が感じることだと思うんですよね。

なぜそのように感じるのでしょうか?

これはおそらく日常的な概念が再構成されることと関係していると思われます。概念が流動し新しいカタチに再構成されるんですね。

科学は基本的に概念の同一性を前提として実験や観察がなされます。ウィトゲンシュタインが「科学はレールの上を走るだけ」と言ったのはこれを指しています。

しかし相対性理論や量子論では、時間とか空間の概念自体が変わってしまうのです。意識が内側へと向き、ゲーム盤のルールそのものを書き換えてしまう感じ。われわれはここに哲学的なものを感じるんだと思います。

ヘーゲルは悟性的な思索と理性的な思索を区別しました。概念を固定して、あれこれと研究した結果をその概念のもとに結びつけるのが悟性的な思索です。これは哲学ではないといわれます。

一方で理性的な思索は、スタート地点となる概念が流動し、研究の結果新しいものへと再構成されてしまいます。ヘーゲルによるとこれが哲学です。

この観点からすると、相対論とか量子論とかループ理論ってもろに哲学なんじゃないかと思えてきますね。

もっとも、自然科学としての実証性や技術への応用可能性をもっていますから、現代の狭義の哲学に閉じ込めることも適切ではないのですが。