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デュルケムの宗教社会学をざっくり解説【宗教生活の原初形態】

2024年7月13日

エミール・デュルケムは19世紀フランスの社会学者。

社会学という学問を成立させた創始者のひとりであり、ドイツのマックス・ウェーバーとならび理論社会学の二枚看板と呼ばれることもあります。

ウェーバーが個人の内面活動を重視したのに対し、デュルケムはマクロな社会システムを客観的実在と見なし、その機能に着目したところが特徴です。

デュルケムの代表作といえば『社会分業論』や『自殺論』ですが、それらに劣らず重要なのが彼の最後の作品となった『宗教生活の原初形態』。

長らく積ん読状態にありましたが、ようやく読みました(古い岩波文庫版で)。

 

デュルケム宗教社会学の特徴

この『宗教生活の原初形態』、いったいどんな内容か?

ひとことでいえば、未開社会の宗教生活を観察することで宗教一般のコアを取り出さんとする試みです。

デュルケムの宗教定義には次の2つの柱があります。

・聖と俗の区別
・社会的な性質

1つ目は当時からすでに宗教学ではおなじみの概念でした。宗教は聖と俗の区別をその核心にもっている、というもの。

いちばん有名なのはオットーの研究ですが、これを指摘する研究者は多いですよね。デュルケムもその例にもれません。

 

注目すべきは2つ目で、デュルケムは宗教のコアに社会性を見出します

教えは集団によって共有され、儀礼によって新たなエネルギーを得る。そして社会の連帯はより強くなっていく。ここが本体なんだと。ここが彼の特徴。

 

それどころかデュルケムは、ついには宗教と社会をほぼ同一視します。

宗教というとむしろ社会から脱俗したカリスマ的個人みたいなのが思い浮かびますが、デュルケムいわくそれは本質じゃないと。

社会が社会のために生み出すのが宗教であり、どんな聖人の理念や理想でもそれは社会によって与えられたものだといいます。

一つの社会は、それと同時に理想を創造しないでは、自らを創造することも、再創造することもできない。(デュルケム『宗教生活の原初形態』古野清人訳)

社会は、単に、それを構成している個人の群集によって、個人が占めている土地によって、個人が使用する事物によって、個人がする運動によって構成されているだけでなく、何にもまして、社会がそれ自体について作る理念によって構成されている(同書)

 

ここまでくると、デュルケムはどうも宗教をだいぶ広い意味で捉えている感じがしてきますよね。

バーガーやルックマンにしてもそうですが、社会学者は宗教をマクロに捉え、広いい意味に解釈する傾向が強い気がします。

 

デュルケムの生涯のテーマは社会の連帯でした。

当初は分業の発達による有機的連帯が社会の道徳を強めるという見方をしていましたが、後期になると、分業のかわりに宗教に社会統合のカギを求めていたらしい(このへんは大澤真幸の『社会学史』がわかりやすい」)。

とはいえどんな社会でもそれ自身のために有効な宗教を生み出せるのなら、社会統合の失調(アノミー)など起こりうるはずもなく、万事オッケーとなってしまうはず。

したがって問いは、宗教を生み出せない社会の病原へとつながっていくと思われます。

ウェーバーが宗教に対して並々ならぬ関心をもっていたことは有名ですが、デュルケムもその社会学の根底に、宗教的なものへの関心があったようです。

 

終盤は哲学的な問題にも言及。

デュルケムはカントの認識論を受け入れているようですが、カントと違って、悟性のカテゴリー(純粋悟性概念)が社会的に形成される可能性について述べています。

カテゴリーはカントが思っているほど普遍的なものではなく、共同体ごとに別種の性質をもつのではないか、と。

カントが理論理性と実践理性のふたつを別種の能力ではなく同じ能力のふたつの側面としたことへの肯定的解釈もちらっと述べられていて、何気にここが本書いちばんの鳥肌ポイントだったかも。

 

ちなみにこの『宗教生活の原初形態』、僕は岩波文庫で読みましたが、訳は戦前のものなので古くてだいぶ難しいです。

今から買うならちくま学芸文庫バージョンのほうがいいかも。

なお他のおすすめ社会学本については以下の記事に色々と書いてます。

宗教学のおすすめ本はこっち。