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中国哲学の入門におすすめの本10冊【古代から現代まで】

良書まとめ記事

日本に多大な影響を与えてきたにもかかわらず、それを知ろうと思うと、案外その手立てが不足している中国哲学。

どうやって入門したらいいのか?

この記事では、僕が読んだことのある本のなかから、中国哲学入門に最適な良書をいくつか紹介していこうと思います。

最初の1冊目に最適 森三樹三郎『中国思想史』

専門家の書いた本のなかには、奥深さとわかりやすさと作品としての面白さを兼ね備えた奇跡のような良書が時折現れます。中国哲学史のジャンルではこれがそのような存在に当たるかと思います。

レグルス文庫という若干マイナーなレーベルから出ているので、知っている人は少ないかも。文庫を謳ってはいますがサイズは新書です。上下巻の2冊構成。

古代から近代まで全体像がつかめます。最初の1冊に最適。

この著者の偏りとして、近代的な構えが強い点は注意しておいていいかもしれません。宗教と哲学をきっぱりと分けて、哲学のほうだけ重視するとかですね。本書でもたとえば孔子の宗教性については一瞬にしてスルーされます。

森三樹三郎の『中国思想史』にもとづいて中国哲学の一般的性格を解説した記事↓

 

中島隆博『中国哲学史 諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』

こちらは2022年に中公新書から出た新しい本。諸子百家の時代から21世紀の現代まで広くカバーしているのが本書の強み。

けっこう雑多な内容というか、浅く広くという感じで、いまいち議論が深まらないもどかしさはあります。森の本に比べると核心をえぐってくれない感じ。仏教系の哲学がほぼスルーされている点も要注意。

しかし近代以降の中国哲学史を教えてくれる本はやはり貴重です。

20世紀の新儒教、21世紀の普遍論争(スコラ哲学のそれではなく、中国思想をいかに世界化していけるかという問題関心)に、それぞれ1章が割かれています。現代中国で哲学がこれほど盛んであるとは知らなかった。

また欧米と中国哲学の相互関係もカバー。中国が近代西洋にいかに反応したのか、そして欧米が中国の知にいかに反応したのかが、ざっくりと解説されます。

新儒家は、「内聖外王」というよく知られたスローガンが示すように、まず何よりも、自らの内において「成聖」を目指す一種の宗教的・道徳的な実践(内聖)である。そのために、新儒家は、儒教だけでなく仏教も積極的に取り込んでいる。(中略)
しかし同時に、新儒家は、もう一つの儒家的価値観、すなわち経世済民の学であることも引き受けている。政治的な統治を意味する外王と、宗教的・道徳的実践である内聖を何としても接続しなければならない。とはいえ、前近代のように、修身から始めて、斉家・治国・平天下へと、内聖と外王を連続的に接続させる枠組みのもと、聖王が君臨して統治するというモデルを取ることはもはやできない。外王として考えられたのは、西洋由来の民主主義だからである。この新しい政治体制(新外王)と内聖をどう繋ぎ合わせるのか。これが新儒家にとって重要な課題であった。

(中島隆博『中国哲学史』)

なお本書でたびたび言及されるアンヌ・チャンの『中国思想史』は、フランス人の中国研究者が書いた大著。ちくま学芸文庫あたりが文庫化してほしい。

 

儒教は宗教なのか? 加地伸行『儒教とは何か』

儒教は中国、朝鮮半島、日本に強力な影響を与え、東アジアは儒教文化圏とも呼ばれます。

儒教というと、倫理や道徳のイメージが浮かぶ人が多いと思います。親孝行しなさいとか、目上の人に礼儀正しくしなさいとか、そういうルールで人々を厳しく縛るみたいな感じ。

儒教は宗教といえるのでしょうか?

この問いに対して加地伸行は「儒教はまぎれもなく宗教である」と答えます。なぜというに、儒教は何よりもまず死にかかわるものだからです。儒教は孔子以前に長い歴史をもち(原儒)、そのルーツは死者の霊とかかわるシャーマニズムにありました。

こうした宗教性と、外面的な礼といった礼教性がミックスされたのが儒教なのです。本書は儒教の宗教性に焦点を当てて、その歴史を辿っていきます。

20世紀以降の新儒教については上述の中島隆博『中国哲学史』のほうがくわしいです。なお孔子に焦点を当てた本なら白川静の『孔子』が有名。

 

天才朱熹の哲学 島田虔次『朱子学と陽明学』

12世紀中国の哲学者朱熹が打ち立てた壮大な哲学体系を朱子学といいます。

江戸時代の日本にも圧倒的な影響を及ぼしました。その後の日本の歴史は、朱子学がなければだいぶ違ったものになっていたでしょう。まさしく朱子学の成立は東アジアの大事件。

本書はその朱子学を中心に、朱熹にまで至る宋学の流れ、さらに朱熹以降の明代の陽明学を解説した名著。入門書というには歯ごたえがありすぎる新書。しかし議論の流れ自体は明快で理解しやすいです。

これを読むと、西洋の形而上学が中国哲学から受けた影響が察せられます。形而上学をやらせたら西洋よりもインドや中国のほうが上な印象。

人と万物とは、それぞれの度あいでの気の凝集・結合の状態にほかならない。気は空気状ガス状の、もちろん、物質である。ただわれわれは物質ということばによって、なにか陳腐な、とるにたらぬもの、というふうなイメージをもちやすいが、しかし気は、あるいは気のある種の凝集体は、本来的に「霊」的なるもの、つまり、悟性によっては予測しえぬまでに精妙自在な作用もしくは性能(それを特に「神」と呼ぶ)をもつ。人間の「心」と「鬼神」とは、気のこのような霊的性格の二つの極地ということができるであろう(心は物質的なものである、物質に対する精神というようなものではない)。つまり、気の凝集としての万物も、この意味で、あくまで霊的なものであり、ややもすれば考えられるかもしれぬごとく、単に人間のみが霊的であるのではない。ただ人間は特にすぐれた気———しいて具体的にいえば、過度に濃厚でもなく、過度に希薄でもないような気とでもいおうか———の凝集として出現したために、他の万物が霊的である以上に霊的なのである。

(島田虔次『朱子学と陽明学』)

 

天台宗の誕生 田村芳朗・梅原猛『絶対の真理 天台』

角川ソフィア文庫から出ている仏教の思想シリーズの第5巻。このシリーズは5~8巻が中国仏教を扱っています。

この巻の主人公は6世紀中国の天台智顗

彼はインドから大量に流入してきた仏教経典を、自分の哲学をベースに序列化し、『法華経』を頂点とする体系を構築しました。

俗世から隔絶した理想郷ではなく、俗世をも包み込む真の無限としての悟りの世界を説くところが特徴。この思想があるから『法華経』が一番上に置かれるわけです。彼の思想内容にはヘーゲルの哲学を先取りする部分も多く見られ興味深いところ。

日本の最澄が天台宗を日本に持ち帰ったのは周知の話。そして最澄が比叡山に作った仏教センターから多数の天才たちが世に現れ、天台哲学は日本の仏教に、いやそれどころか文学や芸術をふくめた文化全般に甚大な影響をもたらすことになります。

なおこのシリーズはそれぞれの巻が三部構成になっていて、第一部が仏教専門家による概説、第二部がその専門家と企画者たる哲学者の対談、第三部が哲学者による話題の拡張(ヨーロッパ哲学との比較など)、というふうに進みます。最初は第二部の対談を読んでいくだけでも、全体像がつかめて有益だと思います。

 

究極の東洋哲学 鎌田茂雄・上山春平『無限の世界観 華厳』

天台宗と双璧をなす華厳宗を論じたもの。

インドから入ってきた『法華経』をベースにしたのが天台宗でしたが、同じくインド由来の『華厳経』をベースに究極的な哲学を展開したのが華厳宗でした。

天台宗が俗世に重点を置き下から真の悟りを目指すのに対し、華厳宗は完全に脱俗した悟りの境地、光の世界を説き、上から俗世を包み込みます。

一粒の砂の中に世界のすべてが入っているという思想は、のちのライプニッツのモナドロジーを思わせます(ショーペンハウアーがインド哲学から直接の影響を受けていたように、おそらくスピノザやライプニッツも、インドや中国の哲学から直接の影響を受けています)

なお本書は哲学史的な解説が主で、華厳の内容については歯切れの悪い解説が続きます。内容を解説したものなら井筒俊彦の『コスモスとアンチコスモス』(岩波文庫)に収められている「事事無礙・理事無礙」がもっとも明晰だと思います。

また中沢新一の『レンマ学』は、華厳をアップデートして現代の知と接続するこころみとして興味深いです。

 

禅宗の誕生 柳田聖山・梅原猛『無の探求 中国禅』

天台や華厳の哲学は中国の庶民には合わず、より現実的で実践的な思想が求められるようになっていきます(天台も華厳も、俗世を包み込む真無限であることをポリシーにしてはいるのですが)

そうして華厳思想をバックボーンにして、7世紀に猛烈な勢いで成長してきたのがです。本書は禅の思想史を探求した巻。

今や仏教といえば最初に禅のイメージが思い浮かぶ人も少なくないと思われますが、禅宗が表舞台に登場するのはこのタイミング。瞑想自体はインド仏教の時点であったものですが、それをより日常性の方向に近づけて、現在の禅のもとになったのは中国禅でした。

禅は道元らの影響によって日本にも根づきます。念仏が庶民に普及したのに対し、禅を受け入れたのは武士層でした。やがて鈴木大拙によって禅は西洋へと輸出され、世界のZENとなります。

 

そして念仏へ 塚本善隆・梅原猛『不安と欣求 中国浄土』

中国仏教では禅とならびもう一つ巨大な潮流が生まれました、それが浄土教です。

曇鸞によって基礎が敷かれ(のちに親鸞はこの曇鸞から己の名前のヒントを得る)、道綽らによって深められ、善導によって完成する中国浄土教。

やがて日本の法然はこの善導から強烈な影響を受け、専修念仏を編み出します。そして法然のもとから親鸞が輩出し、浄土教は日本で最大の宗教勢力となっていく…という流れ。

浄土イコール念仏のイメージがありますが、最初からそういうものだったわけではありません。本書では中央アジアに媒介されたペルシア・ギリシアの影響も言及され、非常に興味深い。親鸞の思想が西方ぽいのって、こうして西から伝わってきた世界観の影響なのかもしれません。

 

孔子先生の涼しい語録『論語』

言わずと知れた儒教の最重要文書です。孔子とその弟子だちとのやりとりを記録した不思議な本。

ヘーゲルいわく、単なる通俗道徳の集成。マックス・ウェーバーいわく、アメリカインディアンの族長を思わせる語り。

本書にウィトゲンシュタイン的な知性を発見する思想家もいます(柄谷行人など)。伊藤仁斎や平田篤胤といった真逆の哲学者から、同様に高く評価されるのも不思議なところ。

岩波文庫版は訳も独特な涼しさがあって読みやすいです。

仏教哲学や宋学と違い、諸子百家時代の哲学は文章が平易でだれでも読むことができます。文学書としても一流。入門書とか必要なし。

 

最強の東洋思想『荘子』

儒教の最大のライバルが老荘思想。

かつて白川静が見抜いていた通り、実際には老子よりも荘子のほうが先です。老子のほとんどの文章が、荘子よりも後に成立したものであることが現代の研究で明らかになっています。

荘子のほうが混沌としています。老子はそれをクリアに編集した感じの文書。

哲学的な発想の深みと、圧倒的文学センスの融合。荘子に比肩しうる才能があるとすれば、古今東西を見渡してもプラトンぐらいでしょうか。

『荘子』は中公クラシックス版が読みやすいと思います。

老子も荘子も文章自体は簡単なので、入門書とか挟まなくても普通に読めます。

老子の解説記事はこちら↓

 

まとめ

中国哲学の入門におすすめの本を紹介しました。

・森三樹三郎『中国思想史』
・中島隆博『中国哲学史 諸子百家から朱子学、現代の新儒家まで』
・加地伸行『儒教とは何か』
・島田虔次『朱子学と陽明学』
・田村芳朗・梅原猛『絶対の真理 天台』
・鎌田茂雄・上山春平『無限の世界観 華厳』
・柳田聖山・梅原猛『無の探求 中国禅』
・塚本善隆・梅原猛『不安と欣求 中国浄土』
・『論語』
・『荘子』

このへんから入れば、上手いこと全体像を把握できるでしょう。

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