『白夜』初期ドストエフスキーの隠れた名作【書評】

2020年3月1日ドストエフスキー

ドストエフスキー初期の隠れた名作『白夜』。ドストエフスキー再読プロジェクトの一環として、光文社古典新訳文庫バージョンを読み返しました。

一種の恋愛小説ですかね。夢想家の青年と、少女の出会いを描いています。基本的にはデビュー作『貧しき人びと』と同じような構成。

光文社古典新訳文庫版は他にも重要な文章が収められているので、読むならこのバージョンにすべき。他の収録作は以下の通り。

・キリストのヨルカに召された少年
・百姓のマレイ
・おかしな人間の夢
・1864年のメモ

 

最後のメモ以外はいずれも『作家の日記』に挿入されている小品です。『作家の日記』はドストエフスキーの時事評論みたいなテキストで、本人の主張がダイレクトに出ている点が特徴。小品にもそれが表れています。

最後のメモは妻のマーシャが亡くなった直後に書かれた文章。ここにもドストエフスキー本人の思想が強く表れています。

ドストエフスキーという人は人物造形が上手すぎるせいで、どれが本人の本音なのかがわからなくなりがちですが(ポリフォニー性)、これらの小品を読むとドストエフスキー自身の思想がつかめます。

 

孤独な夢想家の描写が上手すぎ

『白夜』の主人公は孤独な夢想家なのですが、その描写が上手すぎですね。同じようなタイプの人間なら、自分のことを書かれているように感じるはずです。

たとえば以下のような場面。

あのねえ、今の僕は、かつてそれなりに幸せを感じたことのあるあちこちの場所を思い出しては、一定の時期にそこを訪ねるのが好きなんですよ。もはや永遠に過ぎ去ってしまった過去に合わせて自身の現在を築き上げるのが好きなんですね。それでしょっちゅう、影のように、何の必要も目的もなしに、ペテルブルグのひっそりとした横町だの、表通りだのを物憂げに、悲しそうな顔で彷徨い歩いているのです。

 

やはりドストエフスキー本人もこういうタイプの人間なのでしょうかね。いくら天才でも、他人を観察しただけで本作のような文章が書けるとは信じられない。

 

白夜は明るい小説か?

物語のラスト、夢想家である主人公の夢は、現実に打ち砕かれてしまいます。この作品にはどのようなニュアンスが込められているのでしょうか?

訳者はポジティブな意味を汲み取っています。孤独な魂同士が、「心の隣人」となりえた話として。

ドストエフスキーの作品を「邂逅」という観点で捉えたのは森有正でした(『ドストエフスキー覚書』)。訳者はこの視点で「白夜」を評価しているといえます。

おそらく訳者はこの線にそって文庫の収録作を選んだのでしょうね。「百姓のマレイ」では少年ドストエフスキーとマレイが、「おかしな人間の夢」であは主人公の男と貧しい少女が、「心の隣人」となる瞬間が描かれています。

そして最後の「メモ」では、それを総括するドストエフスキーの思想が綴られる。

 

主人公は未来の地下室住人か?

一方で気になる描写もあって、あとがきによると、ドストエフスキーは夢想家の生き方を否定しているんですね。

そして物語の最後、主人公の周りの世界が色あせていく描写が書き込まれています。非常に不気味な予感を漂わせる文章です。

おそらく本作の主人公は、『地下室の手記』の主人公へとつながるのだと思います。なんらかの作用で自我の世界が打ち砕かれないかぎり、白夜の主人公の未来は地下室住人になってしまう。

必ずしもポジティブなだけの作品とはいえず、このような不気味なニュアンスも込められている気がしてきました。