ストア哲学の代表作 マルクス・アウレリウス『自省録』
プラトンは哲学者が国を統治する哲人王国を理想の政治システムとしました。
それに近い唯一の例が、ローマ帝国のマルクス・アウレリウス・アントニヌスの治世。マルクス・アウレリウスはパクス・ロマーナを代表する五賢帝の一人です。
彼はエピクテトスのストア哲学に感化され、自らもストア思想に奉仕しました。
そのマルクス・アウレリウスの著作が『自省録』です。
アフォリズム形式で書かれ、体系性はありません。短い断章で彼の思想がつづられていきます。パスカルとかニーチェみたいなスタイル。
ちなみに岩波文庫版の訳者はあの神谷美恵子です。
ローマ皇帝マルクス・アウレリウスは内省の人
マルクス・アウレリウスは紀元2世紀ローマ帝国のひと。
名家の生まれで、幼少期からハドリアヌス帝の加護を受けていました。
子どもの頃から優れた資質を見せていた模様。彼は当時のローマに普及していたストア派を吸収し、みずからもそれに奉仕するようになります。
やがてアントニヌス・ピウスの後を継ぎ、皇帝の地位につくことに。
マルクス・アウレリウスは内省の人でした。政治家の仕事は合わなかったようです。それでも異民族との戦争や、天災の復興事業にあたらなくてはいけない。
嫌な仕事にくじけそうになる自分をはげますように、『自省録』の文章はつづられています。なかには戦いの遠征先のテントで書かれた文章も。
誰かに語りかけるような本書の文体ですが、語りかける相手(そこらじゅうに登場する二人称の「君」)は皇帝自身のことです。この『自省録』は、まさしく自己との対話が収められているわけです。
そしてそのトーンは、彼が身につけてきたストア的な思想で充満しています。
ではマルクス・アウレリウスが奉仕したストア哲学とはいったいどのような思想なのでしょうか?
ストア哲学の特徴
ストア派は紀元前300年ごろ、ギリシアのゼノンによって誕生します。これが初期ストア派。
中期ストア派になると、パナイティオスらによってローマへのギリシア哲学導入が果たされます。
ローマ帝政のはじめ頃には、ついにストア派が時代を代表する哲学になります。ネロ帝の家庭教師セネカや奴隷エピクテトスらとともに、マルクス・アウレリウスもこの後期ストア派に属します。
ストア哲学は次の3つの分野から成ります。
・自然学
・論理学
・倫理学
現代のわれわれからするとなんか違和感ありますよね。こんなバラバラな内容を扱ってたの?みたいな。
しかし当時においては、この3つは独立していたのではなく、ロゴス(理性)と呼ばれるキー概念によって一体化されていたのです。
物質はただの意味なき塊なのではなく、神的なロゴスを体現している。これを探求するのが自然学でした。
もちろん人間にもこの神的なロゴスは分有されています。これを探求するのが論理学。
そして人間は、宇宙に浸透する神的なロゴスと一致する生き方をしてこそ善き人間たりうると考えられていました。この生き方を探求するのが倫理学です。
こうして神的ロゴスを原理にして自然学と論理学と倫理学は結びつきます。
ストア派はスピリチュアルな語彙を使うことはまれで、むしろマテリアル(物質的)な語彙が散りばめられた表現をしますが、そのベースにはこのような宗教感情が支配しています。
ストア派の倫理学は、倫理的に良いことが人間の幸福であると断ずる点が特徴です。ここはソクラテスを継いでいますね。
そしてこの幸福を達成するためには、利己的な欲望や願望からでなく、神的ロゴスそれ自体を志向する必要があるとされます。ここはカントの道徳哲学を思わせますね(キリスト教を経由して影響を与えたのかも)。
したがってストア派によると、人間が幸福であるためには外的な条件は一切関係ありません。
このように社会的な条件を無化することから、ストア派は平等主義の前進にも貢献しました。奴隷であれ女性であれ異民族であれそんなの関係ないと。
また「自然法」の概念を打ち立てたことも重要です。すべての人間が生まれながらにして同じ権利をもつというやつ。
これがストア派発祥なのは意外な気がしますが、外的な条件を無化したストア派だからこそ発想できた概念なんですね。
マルクス・アウレリウスはエピクテトスの継承者
マルクス・アウレリウスはエピクテトスの思想を継いでいます。
奴隷の思想を、皇帝が継いでいる。まさにストア派でしかありえないような事態。
マルクス・アウレリウスにオリジナルの思想はありませんが、その哲学をみずから体現したことで、彼は強烈な影響を後世に与えることになりました。
以下『自省録』からいくつか引用してみます。
あけがたから自分にこういいきかせておくがいい。うるさがたや、恩知らずや、横柄な奴や、裏切り者や、やきもち屋や人づきの悪い者に私は出くわすことだろう。この連中にこういう欠点があるのは、すべて彼らが善とはなんであり、悪とはなんであるかを知らないところからくるのだ。しかし私は善というものの本性は美しく、悪というものの本性は醜いことを悟り、悪いことをする者も天性私と同胞であること―それはなにも同じ血や種をわけているというわけではなく、叡智と一片の神性を共有しているということを悟ったのだから、彼らのうち誰一人私を損ないうる者はない。(マルクス・アウレリウス『自省録』神谷美恵子訳)
肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。しからば我々を導きうるものはなんであろうか。一つ、ただ一つ、哲学である。(同書)
以上、今回はマルクス・アウレリウスの『自省録』についてでした。
ちなみに岩波文庫版の訳者は神谷美恵子。
『生きがいについて』などの名著で知られる精神医学者です。神谷の『生きがいについて』も歴史に残る名著なので、実存的な思想や倫理学にふれたい人におすすめしておきます。