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『罪と罰』ドストエフスキーを英語で読む

2024年7月11日洋書

ドストエフスキーのCrime and Punishmentを読みました。『罪と罰』の英訳版です。

『罪と罰』を読むのはこれで3回目か4回目。英訳バージョンで読むのは2回目です。

僕がもってるバージョンはRichard PevearとLarissa Volokhonsky夫妻の名訳。英語圏ではこれが定番になっています。

長所としては、まず読みやすい。そして原文の特徴をできるかぎり活かそうとつとめています。英語で読むならこれがオススメですね。

ついでに言っておくと、英語圏の洋書よりも、英語圏以外の洋書の英訳バージョンのほうが読みやすいです。

英語の多読をする場合、かならずしも英語圏の読み物にこだわる必要はないです。

関連:ドストエフスキーの小説はどれから読むべきか?【この順番がおすすめ】

罪とは何か?罰とは何か?

本書のタイトルは「罪と罰」。これには二重の意味が込められています。

ひとつは社会的な次元での罪と罰。このラインを越えたら犯罪、それに対してこういう罰があるよ、というような。

もう一つが宗教的ないし道徳的な次元での罪と罰。神の前での罪、そして個人の良心がそれに与える罰です。

 

本書の主人公ラスコーリニコフは殺人という犯罪を犯します。表面的な理由としては、自分や家族のために金を工面しようとしたんですね。

Right Caption
ちなみにドストエフスキーは本作を執筆中、極端な極貧状態にあり、「もう3日間、お茶だけで過ごしています」と手紙に書くありさまでした。

ここで重要なのは、(自称とはいえ)正義の人が悪人(高利貸しの老婆)を葬ったという構図。どうしようもない悪人が犯罪を犯し、それで罰を受けるという話ではないんですね。

社会全体の幸福を考える正義の理論家が、いかにも社会に悪しか提供していないような老婆を葬った。これは許されるのか?

ラスコーリニコフのなかでは、これは許されるべき行為となります。

したがって彼は本書の後半にいたるまで一貫して、自分の犯罪と罰を社会的な次元でのみ捉えようとします。そして社会の掟を超越した観点からみれば、それはむしろ偉大な正義の行為なのだと考える。

Left Caption
ラスコーリニコフは、アクシデントで善良なリザヴェータをも殺害してしまう。彼はなぜこれを思いださないのか?山城むつみのドストエフスキー論はここに着目します。

 

とはいってもそれは頭のなかの理屈にすぎず、現実のラスコーリニコフは自分の行った行為に持ちこたえられません。彼はプレッシャーから狂気に追い込まれていきます。

それを救うのがヒロインのソーニャという構図。

ソーニャはドストエフスキーが考えるキリスト的な隣人愛の体現者です。

神の前ではすべての人間が平等。どれほど無価値に見える人間にも、神の前では無限の価値がある。どれほど強力に見える現世の価値も、神の前では無に等しい。

ソーニャの原理が、ラスコーリニコフを屈服させていきます。

主人公は物語の終盤ついに再生し、自らの立場を宗教的な次元での「罪と罰」として捉えます。

 

ちなみにソーニャのモデルはデカブリストの妻たちだと思われます。ドストエフスキーらが囚われていたシベリアの監獄にまでついてきた献身的な女性たちですね。

彼女らはドストエフスキーに一冊の聖書を与え、ドストエフスキーは獄中で聖書のみを繰り返し読んでいました。

ドストエフスキーの小説に出てくる人物には、かならず実在のモデルが存在します。彼の作品が哲学的テーマを扱うにもかかわらずやたらリアリティに富むのは、このへんにも理由があると思われます。

 

バッドエンドも収録されてます

このようにラスコーリニコフの再生で幕を閉じる『罪と罰』。しかし実はバッドエンドも収録されています。

ドストエフスキーはよく主人公の分身を登場させるんですね。本作においてはスヴィドリガイロフが主人公の分身です。それを匂わせる発言が、しょっちゅう出てきますね。

スヴィドリガイロフは物語の終盤、ラスコーリニコフが自白をする直前に、自殺します。

これはラスコーリニコフが川に飛び込んで死ぬか、出頭して自白するかを悩んでいたまさにそのときの出来事。

ここでは異なる人物の運命が対比されているのではなく、主人公のもつ異なる可能性がいずれも作中に収められたと考えるのが適切でしょう。

 

スリラーとして読んでも面白い

ドストエフスキーの小説は哲学者が裸足で逃げ出すくらいの深遠さを持ちますが、単純に小説として読んでも面白いです。

だから世界中で圧倒的な人気を誇るんですね。深いだけじゃこんなに売れませんよ。

それは本書『罪と罰』も例外ではなく、スリラーとして楽しめます。

犯人がわからないのがミステリです。その謎をたとえばシャーロック・ホームズだとかが解明していく。

一方でスリラーは最初から犯人が読者に開示されています。『罪と罰』はまさにこの構造ですね(余談ですが本書のポリフィーリー判事は色んな意味で最強の探偵かもしれない)

本書においては、ラスコーリニコフの逃亡劇を読者は見守ることになります。

 

副読本にはこれがおすすめ

『罪と罰』には様々な仕掛けが仕組まれています。

それを解読するのなら江川卓の『謎とき「罪と罰」』がおすすめ。色んな小ネタを提供してくれ本です。

ドストエフスキーという思想家の根本思想に迫りたいのなら、ベルジャーエフの『ドストエフスキーの世界観』がオススメ。そこらへんの哲学書よりも圧倒的に深い名著です。