スカーレット・オハラは未来人か『風と共に去りぬ』
アメリカ文学を代表するベストセラー『風と共に去りぬ』。
南北戦争時代の南部アメリカを舞台にした歴史小説です。南部アメリカ、そして歴史小説というところがポイント。
映画バージョンの影響なのか、本書に関してはよく「恋愛小説」と呼ばれますよね。
しかし原作をちゃんと読んだことのある人なら「恋愛小説」でくくられることに違和感を覚えるはずです。
ましてや「スカーレットとレット・バトラーの恋愛を描いた作品」などと総括されては、違和感どころの騒ぎではない。
今回、原書でこの名作を読み返してみて、その思いを新たにしました。
アメリカ南北戦争を描いた歴史小説
『風とともに去りぬ』は、1936年にアメリカの作家マーガレット・ミッチェルによって発表された長編小説。
アメリカ南部のプランテーション文化、南北戦争、そしてその戦後の再建時代を背景とした壮大な歴史絵巻です。物語の中心には、主人公スカーレット・オハラの激動の半生がありますが、彼女の恋愛だけを描いた物語ではありません。
1860年代のアメリカ合衆国南部、特にジョージア州アトランタ周辺を舞台に、豊かな農園主の娘として何不自由なく育ったスカーレットが、南北戦争によって一変した世界の中で、何度も困難に直面しながらも自らの生存と富、そして愛を求めて奮闘する姿を描いています。
アシュリー・ウィルクスやレット・バトラーといった象徴的な人物も登場し、スカーレットの内面の成長、あるいは成長の欠如といったテーマを通して、人間の強さと弱さが織り交ぜられた複雑なドラマが展開されます。
またこの小説は、アメリカ南部に対する独特のノスタルジアを漂わせながらも、奴隷制をめぐる議論や、戦争の惨禍、そして社会秩序の崩壊と再編という歴史的現実を描いており、その点でも「歴史小説」としての性格が非常に強い作品です。
登場人物たちは、旧来の価値観や制度が崩れていくなかで、時代の変化にどう適応するかが問われており、それが単なる恋愛劇では表現しきれない深みを作品にもたらすのです。ちょっと平家物語を思わせるトーンも出てくる。
この作品は発表当初から大きな話題を呼び、1937年にはピューリッツァー賞を受賞し、その人気を決定づけました。
1939年には映画化され、ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルの名演によって、さらなる世界的な知名度を獲得。この映画版が一番有名かもしれません。
ただし、評価の歴史は一様ではありません。
20世紀後半以降、とくに公民権運動の進展とともに、本作に描かれた黒人像や奴隷制度に対する描写が「南部の美化」であるとする批判が高まり、アメリカの文学界でも評価は二分されるようになります。
現在のアメリカにおいては、非常に難しいポジションに立たされた作品ですね。
しかしわれわれ日本の読者からすれば、そのような複雑な事情からは距離を起き、本書を大いに楽しむことが可能です。
スカーレット・オハラはなぜ唯一無二なのか?
この『風と共に去りぬ』という作品でいちばん有名なのは、主人公のスカーレット・オハラです。
これが強烈なキャラクター。一言でいえばめちゃくちゃ性格が悪い。
以下、スカーレットの性格の特徴を列挙してみましょう。
・わがまま
・傲慢
・目立ちたがり
・男好き
・女嫌い
・無知
・公共的な領域への無関心
よくこの人が主人公で人気が出たなという感じですが、実際スカーレットは文学史を代表する嫌われ者のひとりといってもいいように思います。
それでも作品そのものが嫌われないのは、スカーレットが相応の報いを受け続けるからですね。いつもコテンパンにやられている。
スカーレットのことを「強く美しい女性」とか呼ぶキャッチコピーもありますが、原作をちゃんと読んだ人からすると、違和感全開だと思います。むしろ「醜いけどへこたれない女性」と言ったほうが的確でしょう。
「強く美しい女性」といえば、たとえばジェイン・オースティンの『高慢と偏見』に登場するエリザベスや、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に登場するポーシャなどが有名です。しかしスカーレットは、このような人物たちとはまったくことなるベクトルをもつ主人公です。
また、スカーレットを「悪女」と呼ぶのもちょっと違和感があります。
というのも、スカーレットの特徴のひとつに「頭の悪さ」があると思うんですね。周りの状況を把握できず、いつも運命や人びとからコテンパンにやられている。
悪というものが成立するには冷徹な認識が不可欠ですから、こういうキャラクターを悪女と呼ぶのはちょっと違うと思う。物事を理解し、その上で悪事を行うのでなければ、悪人とはいいづらいのです。
これでもし頭がよければ、いかにもレット・バトラーの女版みたいな感じになって悪女たりえるのですが。しかしそれだと作品の人気はでなかったでしょう。
レット・バトラーの女版みたいな悪女キャラならそう珍しくないですよね。スカーレットが唯一無二なのは、知性的じゃないからだと思われます。
スカーレット=現代アメリカ人?
スカーレットを見て思うのは、現代アメリカの女性ぽいなということ。
ミッチェルは現代(といっても1939年ですが)のアメリカに典型的な女性を、南北戦争直前の南部アメリカに置いたのではいかという気がしなくもない。
スカーレットは未来のアメリカを表し、メラニーやアシュレーらは南北戦争に敗れ崩れ去っていく貴族的な南部アメリカを表すわけですね。
現代アメリカの女性が南北戦争前の南部アメリカにトリップして、運命に翻弄されながらも成長し、やがて南部アメリカの偉大さを知るみたいな、そういう現代っぽいファンタジーとしても読める気がします。
この場合スカーレットは南部社会のたんなる異分子ではなく、南部の栄光と未来のアメリカを橋渡しするための調停者のような役割を負わされている可能性があります。
そう考えると、メラニーやアシュレーがスカーレットに対してとる肯定的な態度も意味深なものに思えてきます。
明日は明日の風が吹く(After all, tomorrow is another day)
作品の終盤ですべてを失ったスカーレット。彼女が最後につぶやく言葉があの「明日は明日の風が吹く」という有名な台詞です。
原書では最後の台詞は次のようになっています。
After all, tomorrow is another day.
直訳すれば「だって明日はまた新しい一日なんだから」みたいな感じですね。
これを「明日は明日の風が吹く」と訳したのはすごいですよね。おそらく「風と共に去りぬ」というタイトルから風の比喩を思いつき、最後の台詞とリンクさせたのだと思います。
今回僕が読んだのはWarner Booksという会社から出ているマスマーケット版。真っ赤な表紙のデザインです。正直ちょっとダサいのですが、中古本屋で見かけて、即座に購入しました。
2年前に岩波文庫の日本語バージョンを読んだことがあるので、『風と共に去りぬ』を読むのは今回で2回目。
先に日本語訳で読んだ影響もあるかもしれませんが、文章が読みやすくてびっくりします。1939年に出た本が、今読んでもこんなに読みやすいのかと。
僕が読んだバージョンは1,024ページもあるのですが、スラスラいけます。英語多読の中級者ならなんの問題もなく読めると思います。