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西洋文学史上最強の書 ダンテ『神曲(地獄篇・煉獄篇・天国篇)』

2024年7月13日

西暦2000年、ロンドンのTimes紙が、「過去1000年間の最高傑作はなにか」というアンケートを文芸批評家に問うたことがありました。

結果、ダンテの『神曲』が1位に選ばれました。日本人からすると正直あまりピンとこないところもあるかと思いますが、西洋世界においてはこの作品はそれほど突出しているんですね。

こないだエベン・アレグザンダーの『プルーフ・オブ・ヘヴン』(自身の臨死体験を科学的に分析したもの)を読み、「そういえばダンテの神曲ってこれと似たような構造をもつ作品だな」とふと思い、それがきっかけで久々に『神曲』を再読してみました。

この有名作、いったいどんな内容なのか?

一言でいえば、ダンテがあの世を見学ツアーする本です。地獄篇、煉獄篇、天国篇にわかれていて、地獄と煉獄ではローマ時代の詩人ヴェルギリウスがガイドを務め、天国ではダンテの憧れの女性ベアトリーチェがガイドを努めます。

それぞれの巻をざっと紹介してみましょう。ちなみに、名訳といわれ比較的読みやすい平川祐弘訳が河出文庫に入っているので、買うならこれがおすすめです。

神曲 地獄篇

あの世見学はいきなり地獄から始まります。作者のダンテ(35歳)が作中の主人公となり、一人称であの世の見聞を読者に伝えていきます。

人生の道の半ばで
正道を踏みはずした私が
目をさました時は暗い森の中にいた。
その苛烈で荒涼とした峻厳な森が
いかなるものであったか、口にするのも辛い。
思い出しただけでもぞっとする。
(ダンテ『神曲 地獄篇』平川祐弘訳)

現世で罪を犯した極悪人のみならず、プラトンやアリストテレスといった異教の哲人たちも地獄にいます。キリスト教徒でないと天国には入れないことになっているからですね。

言うまでもなくマホメットは地獄の最下層にいます。このへんの独善性を批判した訳者あとがき「ダンテは良心的な詩人か」は必読。

ほかにもダンテ自身の政敵を下層に落として罰していたりと、なんとも趣味の悪い幼稚さのようなものがあるといえば言えないこともない。

実際本書の注には、西田幾多郎のダンテについてのコメントが引かれています。

あの人はあまりにはつきりした物の見方を有つている。そして捌く勿れといつた基督の教を奉ずる彼はあまりに人を捌くやうに思はれる。(西田幾多郎「煖爐の側から」)

この平川訳はこのように日本の哲学者や文学者のダンテ評をそこかしこに引用して紹介してくれるので、知見が深まります。

 

神曲 煉獄篇

地獄を抜けたダンテとヴェルギリウスは、現世的な美しい世界に入ります。

暁闇の時は朝の光に追われて
その前を逃げていった。そしてはるかに
わだつみの震えが認められた。
私たちは人気のない原を進んだ。
まるで道を見失って引き返す人のように、
探しあてるまでは五里霧中だった。
(ダンテ『神曲 煉獄篇』平川祐弘訳)

煉獄というとおどろおどろしいイメージがあるかと思います。火炎、業火みたいな。

しかしダンテの描く煉獄はそこまでどぎつい世界ではなく、表現にしても地獄篇とは打って変わって、星や光といった明るいイメージが繰り返されるようになります。

天国に行くほどの聖人ではない、けれども地獄に落とされるような悪人とも違う。そういう普通の人が暮らすのが煉獄です。彼ら彼女らは、魂が完全に浄化され天国にランクアップさせてもらえる日を待ちわびています。

煉獄篇を読んで「なんか現世っぽいな」と感じる読者は多いはず。実際ダンテはそれを示唆したいのかもしれません。われわれが住むこの世界が本当に煉獄である可能性、そこそこあると思ってます。

 

神曲 天国篇

煉獄篇の最後、ヴェルギリウスと別れたダンテはついに天国へと足を踏み入れます。

おお君たち小さな船にいる人よ、
君たちは歌いつつ進む私の船の後から、
聴きたさのあまりついて来たが、
君たちの岸を指して帰るがいい、
沖合に出るな。君たちはおそらく
私を見失い、途方に暮れるにちがいない。
私が乗り出す海はかつて人が走ったことのない海だ。
(ダンテ『神曲 天国篇』平川祐弘訳)

冒頭でダンテがこう忠告するように、天国篇は抽象的で難解な内容になっています。このへんはまともに読もうとすると心折れるので、流し読みするのがおすすめです。

ちなみにダンテは、思想的にはトマス・アクィナスの神学をベースにしているそうです。

外側へ外側へと天国の階層を登り、やがて最上層へ到達するダンテ。そこから下を見下ろすと地球が見え、上を見上げれば神と天使の世界が存在します。光と天使が構成する球面が宇宙を包囲し、また同時に光と天使からなる球面が宇宙によって包囲されている。

わけのわからないイメージですが、物理学者のカルロ・ロヴェッエリによると、これは三次元球面と呼ばれる事象を正確に直観したものらしい。アインシュタインが「宇宙は三次元球面だ」と主張するはるか昔に、ダンテは同じような着想にたどり着いていたとされます。

 

それにしても、前述のエベン・アレグザンダーの著作を読んだ後だと、神曲の内容がすべて作り事とは思えなくなってきますね。とくに天国篇はそう。地獄篇なんかはダンテの完全な創作でしょうけれども、天国篇の一部は、この宇宙にそれと対応する現実が本当にある気がしてくる。

さすがにダンテ本人があの世を見聞したことはないでしょうが、誰かがあの世ツアーを体験して、それを伝え聞いたダンテが脚色しまくって作品化したんじゃないかと思えてきます。

さて次は、ヨーロッパにおいて『神曲』と双璧をなす、ミルトンの『失楽園』を再読したいと思います。

文学の本

Posted by chaco