ジェイン・オースティンの最高傑作はエマなのか?
ジェイン・オースティンの最高傑作と言われることもある『エマ』。
一般人気では『高慢と偏見』に劣りますが、批評家からの評価が高い点が特徴です。
僕が読んだのは岩波文庫版でした。まず言えるのは、「岩波文庫版で読むのはやめておけ」ということ。
訳がかなりひどいです。一人の登場人物に複数の訳語をあてるため、誰が誰だかわからなくなり頭が混乱します。文章の流れもよくない。
日本語訳で読むのなら、評判のいいちくま文庫版にしておくのがベターでしょう。
内容はどうだったか?
正直、つまらなかったですね…。オースティンの6大小説は『マンスフィールド・パーク』以外すべて読んでいますが、つまらないと感じたのはこれが初めてです。ひょっとすると訳のせいかもしれませんが。
登場人物に魅力がなかったと思います。あまりキャラが立っていないと感じました。
逆に、登場人物にやたら魅力があるのが『高慢と偏見』なのですね。ここに一般人気の差の理由がある気がします。
なぜ最高傑作と言われるのか?
では批評家はなぜこの『エマ』をオースティンの最高傑作に挙げるのでしょうか?
その理由は語りの技巧にあります。
小説というのは語り手がいますよね。それは神の視点をもつ作者だったり、あるいは一人称で主人公が語り手だったりします。
この『エマ』の場合、語り手の視点が複数存在します。
まず作者オースティンがいます。神の視点から物語を見下ろし、語っていくわけですね。
次に各種登場人物。主人公エマだけでなく、ハリエットやナイトリーまでもが語り手の視点の位置に来ます。
そして注目すべきことに、この語り手の視点の移動が、物語の謎を解き明かす上で重要な装置として使われているのです。
作者の視点から主人公の視点へ、さらには主人公の視点からサブキャラクターの視点へ。
視点を切り替えて読者に多様なパースペクティブを与え、その奥にある真実を少しずつ明らかにしていきます。
この技巧性が『エマ』高評価の理由といわれています。
なかには技巧的に完璧すぎることが本作の欠点だと述べる批評家もいるほどです。
批評家ウケするのは何故?
しかしこの『エマ』、一般人気は低いようです。それはよくわかりますね。僕もぜんぜん面白いと思えませんでしたから。
極端な話、批評家がこの作品を持ち上げる理由の一つとして、「あまり面白くないから」というのもあると思います。
批評家というのはみんなと同じことを言っていたんじゃ商売になりませんよね。多数の意見に同意するだけでは批評になりようがありません。みんなと違うことを言わなくてはいけない。
この論理にしたがって批評をすると、「面白い作品の粗を探し、つまらない作品の長所を持ち上げる」という傾向が出てきます。
別に性格がひねくれているというのではなく、みんなと違う意見を言わなくてはならないという論理にしたがうと自然にそうなるのです。
これはどのジャンルでもよく見られる現象です。
オースティンを理解するならこの本
オースティンの作品を深掘りして理解したいのなら、廣野由美子の『深読みジェイン・オースティン』がおすすめ。
この記事でも同書を部分的に参照しています。
オースティンの6大小説をすべて取り上げ、それぞれの作品に秘められた根本テーマを明らかにする良書です。
ちなみに『ノーサンガー・アビー』については以下の記事で取り上げました。
この手の本では新潮選書の「謎解き」シリーズが有名ですが、正直こっちのほうがおもしろいと感じました。
こっちも「深読み」でシリーズ化してほしいですね。