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一神教はいつどこでどうして生まれたのか『一神教の起源』

2023年11月22日

現代世界ではユダヤ教、イスラム教、キリスト教のいわゆる一神教の勢力が圧倒的であり、宗教といえば一神教的なものを思い浮かべる人も多いと思います。

しかし人類宗教史的に見れば、実は一神教のほうがマイナーな存在でした。

それはある時代のある場所で、民族の窮地を打開するために、起死回生の策として発明されたものなのです。

その次第をわかりやすく解説してくれる本が、山我哲雄の『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』。以前にもおすすめした『聖書時代史 旧約篇』と同じ著者です。

以下ざっくりと整理しておきます。

多神教と拝一神教と一神教の違い

古代イスラエル人は、もともとは「エル」という名前の神を信仰していました。

そこに外からもたらされた神がヤハウェです(おそらくエジプトから脱出してきた者たちがもたらした)。

ヤハウェはエルに取って代わり、いつしか古代イスラエル人の民族神へと変化します。日本でたとえると仏教伝来みたいな感じですかね。フロイトの『モーセと一神教』という有名な本がありますが、あれはこの内実を空想した論文です。

関連:フロイト『モーセと一神教』ユダヤ教の起源はエジプトか

しかしこのときのヤハウェ宗教はまだ一神教ではなかったのです。よくある拝一神教にすぎませんでした。

拝一神教とは何か?民族ごとに多数の神の存在を認め、そのなかでうちの神が一番だぞと主張する立場です。イスラエルにはイスラエルの神がいるように、エジプトにはエジプトの、アッシリアにはアッシリアの神がいます。

多神教と何が違うかというと、多神教は自分たちの信仰する神がたくさんいるのです。民族ごとに神がいるどころか、エジプトの神もイスラエルの神もぜんぶ取り入れて、ぜんぶ一緒に拝んどけみたいな立場です。

一神教はこれらと明確にことなります。それは多数の神の存在自体を認めず、そもそも神はひとつしかないと主張するからです。

拝一神教から一神教へ。これが古代イスラエル人のヤハウェ宗教がたどった道のりでした。

 

アッシリアの影響で普遍性に目ざめる

古代イスラエル人の宗教も最初から一神教ではありませんでした。各部族には各部族の神がいる。われわれにはわれわれの神が。そしてわれわれのヤハウェは最強。こんな感じの普通の宗教だったのです。

それが変わる最初のきっかけがアッシリアの影響だと本書の著者は見なしています。

アッシリアは紀元前8世紀に強大化した帝国。北部のイスラエル王国を滅ぼし、南部のユダ王国もその支配下におきます。

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当時はエジプトとアッシリアが東西の超大国であり、それに挟まれた古代イスラエルは、いわばドイツとロシアに挟まれたポーランド、あるいは中国とアメリカに挟まれた日本みたいなポジションでした。

アッシリアは多神教でしたが、その神は非常に普遍的な性格をもっていました。単なる部族の神ではなく、世界帝国に対応する世界神だったのです。

イスラエル人たちはアッシリアの支配を受けるなかでそのイデオロギーを学び、ホセアやイザヤといった預言者を通じてヤハウェの性質が変化したと著者は見なしています。

こうしてヤハウェは単なる部族神ではなく、異国民をも利用してイスラエルの罪を罰する世界神へと変貌を遂げます。とはいえまだ一神教ではありません。他の地域には他の神がいるという認識の拝一神教にとどまっています。

 

ちなみにアッシリアの影響は思想のみにとどまらず、文章の形式に対しても色濃く現れています。

旧約聖書といえば神と人の関係を「契約」の観点で捉えることが多いですよね。著者によるとこれはアッシリアの条約文書と形式が酷似しており、アッシリアとの法律関係を処理していたエリートが旧約聖書の文章にもちこんだ可能性が高いといいます。

申命記の著者たちは、明らかに自覚的・意識的に、アッシリアの条約文書の形式と用語を用い、それを自分たちとヤハウェとの関係を規定するために転用している。前八世紀の預言者たちが「世界神」という普遍的なアッシリアの神観念をヤハウェに転用したように、全七世紀の申命記の著者たちは、アッシリアの条約文書の様式と用語や観念を逆転させ、ヤハウェとイスラエルの関係を描くために用いたのである。(山我哲雄『一神教の起源』)

 

バビロン捕囚そして第二イザヤによる一神教発明へ

紀元前7世紀になると強国アッシリアは衰退していきます。

今がチャンスとばかりにイスラエル人たちは奮起。ヨシュア王を中心に申命記グループと呼ばれる神官たちが改革を主導し、ヤハウェへの信仰を揺るぎないものにしようとします。ヤハウェ宗教を根幹にもつ国家システムを固めてしまおうというわけです。

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日本でたとえると大化の改新みたいな感じ。

しかし間の悪いことに、エジプトとの戦いでヨシュア王は不慮の死をとげてしまいます。

それどころか新興の新バビロニア王国に攻め込まれユダ王国は滅亡(北のイスラエル王国はすでにアッシリアに滅ぼされています)。イスラエル人たちはバビロンへと連行されてしまいます。

これがかの有名な「バビロン捕囚」です。

当時の戦争は国家の神々同士の戦争でした。バビロニアに負けた時点でヤハウェは退場するのが自然ですよね。バビロニアの神(マルドゥーク)こそが最強なのだとの認識にいたりそうなものです。

 

しかしこの絶体絶命のピンチで人類宗教史で最大級の事件が発生します。それが第二イザヤと呼ばれる人物による一神教の発明です。

なぜ第二イザヤという変な名前かというと、本名が不明で、イザヤ書の2番目の書き手だからです。イザヤ書には3人の書き手がいて、この2番目の書き手によって書かれた部分(40~56章)こそが、旧約聖書においてもっとも強烈に一神教のトーンを打ち出しています。

バビロニアに負けたのだから、バビロニアの神が勝利しヤハウェは退場となりそうなものです。しかし第二イザヤはそうは考えませんでした。

むしろヤハウェの他に神はなく、そのヤハウェがバビロニアを動かして南ユダ王国を滅ぼしたというんです。

なぜヤハウェがそんなことをするかというと、悪行にばかり走るイスラエル人たちに対するヤハウェからの罰なんだと。普通だったら自分の民族を勝たせるのが神なんですが、ここではむしろ道徳的に堕落したイスラエル人を懲らしめるために異民族を動員して王国を滅ぼさせるという筋書きになっています。

さらに第二イザヤは、ペルシアのキュロス二世がバビロニアからイスラエル人を解放してくれると説きます(彼のこの予測は的中した)。

第二イザヤにとってはこれも単なる偶然ではなくて、異国の地で十分に反省したイスラエル人たちを見たヤハウェが「もう十分だな」と判断し、ペルシア帝国を動かして彼らをバビロニアから解放せしめているというのです。ペルシア帝国でさえヤハウェの動かす駒として見られています。

 

こうしてヤハウェ宗教は最大の窮地を脱し、消滅をまぬかれたのでした。しかもその過程で異次元の宗教へと変化しつつ。

やがてこの思想が波及し、ユダヤ教は一神教的な性格を強めていきます。そしてそれはこの宗教を民族宗教の枠組みから解き放ち、あらゆる人間を抱合しうる世界宗教(キリスト教、イスラム教)の母体となることを可能にしたのでした。

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Posted by chaco