柄谷行人『哲学の起源』古代ギリシアにおけるアテネvsイオニア【解説】
現代日本を代表する思想家ともいわれる柄谷行人。
実際には現代日本を代表するというより、日本という土地にはぐれメタルのように生息する希少種ないし特殊個体と捉えたほうが適切かもしれません。
その柄谷が語る古代ギリシア哲学史がこの『哲学の起源』(岩波現代文庫)です。2012年に出た本で、2020年に文庫化されました。
ふつうの哲学史とは異なり、柄谷オリジナルの交換様式論と絡めつつ、古代のギリシア思想が解釈されていきます。
どんな内容なのか?ざっくりと解説します。
アテネ vs イオニア
この『哲学の起源』ですが、根底に置かれるのはアテネとイオニアの対比です。
アテネというのは古代ギリシアの中心地として有名ですね。ソクラテスやプラトンが活躍した都市国家です。
イオニアというのは今のトルコにあった都市国家で、ペルシア帝国に攻め入られるまではこっちが中心地でした。いわゆるソクラテス以前の哲学者(タレスとかアナクシマンドロスとか)とされる人たちは、だいたいイオニアの出身です。
制度に注目してみると、アテネの体制はデモクラシー、イオニアの体制はイソノミアと呼ばれます。
デモクラシーは共同体が強く、自由>平等の社会。公と私が明確に分離し、私の領域に閉じ込められた奴隷の労働力によって経済がまわります。
逆にイオニアのイソノミアは個人主義で、自由かつ平等の社会です。
ざっくりといえば、柄谷としてはイオニアを持ち上げ、アテネを批判したいわけです。そして自らの交換様式論でいうところの交換様式Dの実現を、イオニアのイソノミアに見出す。
このような流れになっています。
こうした社会政治的な文脈のなかで、古代ギリシアの哲学者が解釈されていきます。
柄谷によると、イオニアの哲学者たちは単なる「自然哲学者」なのではありません。そうではなく、彼らの思想は政治的意味合いを含んでおり、それはイソノミアを肯定するものとして機能したというのです。
そして同時にそれは、イソノミアを否定する思想を批判するものとしてあった。たとえばヘラクレイトスやパルメニデスは、ピタゴラスの二重世界論への批判者として解釈されます。
このへんを細かく見ていくと、独創的なアイデアがぽんぽん提示されている印象を受けます。
ソクラテスは何者か?
『哲学の起源』にはさまざまな哲学者が登場しますが、最大のキーマンはソクラテスです。
ソクラテスは何をしたのか?
ソクラテスはアテネの住人なのですが、彼はそのアテネのデモクラシーを批判しました。具体的にいうと、公と私の区別を批判したのです。
アテネにおいては公の価値は絶対のものでした。政治的なフィールドに登場し、そこで議論を戦わせること。これがアテネ市民としての正義であり、そこから外れるものは市民ではないとされた。
ソクラテスはこれに真正面から突撃しました。
彼は決して公の政治的フィールドに参加しなかった。かといって、私の領域に閉じこもり、非政治的な活動に従事するのでもなかった。
そうではなく、私であることがそのまま公であるような生き方を実践したのです。ソクラテスは国会のような場所に行きませんでした。むしろアゴラに行き、そこで議論をふっかける。
柄谷行人は、これをイソノミアの回帰とみなします。
個人主義的な、そして自由かつ平等なイオニアの原理がソクラテスにおいて回帰し、アテネの差別主義的な体制を批判させていると捉える。
柄谷に言わせると、ソクラテスをアテネの哲学者の一員とみることは誤りなんですね。ソクラテスはむしろ、思想的にはイオニアの一員というわけです。
ソクラテスってなんか毛色が違うなと思う人は多いと思うんですよね。しかしそれをイオニアの哲学とこのような形で接続するというのは、そうとうに独創的な仕業じゃないかと思う。
関連:ソフィストとソクラテスの違いとは何か?山川偉也『古代ギリシアの思想』【解説】
ところでこの「私人でありつつ公的たれ」というメッセージは、最近の東浩紀の思想と共鳴するものがありますね。
東はここから着想を得たのか、あるいはソクラテス的な実践をしたジャック・デリダを介してつながっているのか。気になったところです。
プラトンによるソクラテスの抹消
もう一人、注目しておきたい哲学者がいます。ソクラテスの弟子のひとり、プラトンです。
プラトンはプラトンでアテネのデモクラシーを批判しました。ソクラテスを死刑に追いやった衆愚政治が許せなかったんですね。
しかしプラトンによるデモクラシー批判は、イオニア的なソクラテスとはまったく異なる路線をとります。
プラトンはソクラテスの教え子ですが、実は思想上の師はピタゴラスなのです。
ピタゴラスは数学にもとづく二重世界論を説き、哲人王の理想を追求しピタゴラス教団を設立した伝説の思想家です。彼もイオニアの出自ですが、その内容はイソノミア的なものとは大いに異なります。
プラトンがこの二重世界論をイデア論として発展させ、哲人王の理想をそのまま受け継いだことは明らかですね。
プラトンによるデモクラシー批判は、哲人王の追求という形をとります。優れた哲学者が頂点に立ち、トップダウンで社会を支配する。
アテネのデモクラシーが自由>平等、イオニアのイソノミアが自由かつ平等だったのに対し、プラトンの哲人王国家は平等>自由の体制です。
そして注目すべきことは、プラトンがソクラテスをこの思想の主唱者としてでっち上げたところです。
プラトンの作品は対話篇と呼ばれ、どれもソクラテスが主人公として登場しますよね。そしてそのソクラテスがイデア論とか哲人王理想とかを説いて回るわけです。
しかしこれは、真実のソクラテスの抹消に等しい。
柄谷によると、ソクラテスとはイオニアのイソノミアが回帰した存在なのでした。プラトンが描くソクラテスは、それとは真逆の存在です。プラトンのソクラテスが語る哲学は、ピタゴラス由来の思想なのですから。
プラトンは自身のピタゴラス的思想をソクラテスの名において語り、哲学の起源を捏造したわけです。
現代世界に当てはめてみると…?
アテネ、イオニア、そしてプラトン(ピタゴラス)。これらを現代の文脈で考えることもできます。
現在主流の自由民主主義がアテネのデモクラシーです。一方で、プラトン的な哲人王はレーニンの社会主義ですね。
その社会主義が失敗したことで、デモクラシーしかなくなった。それが1990年代以降の状況です。フランシス・フクヤマはそれを歴史の終わりと呼びました。
ここに現代の行き詰まり感の正体があります。
柄谷行人としては、ちょっと待てなんか忘れてると言いたいわけです。イオニアのイソノミアを、そしてその回帰としてのソクラテスを思い出せ、と。
社会主義の理想が潰えたからといって、他の選択肢がないわけではない。イソノミアには現代の行き詰まりを突破するためのカギがある。
本書は哲学史の本ですが、上記のような文脈で書かれているわけです。