保守主義の先駆としてのヒューム【なぜ哲学者は歴史家でもあったのか】

デイヴィッド・ヒュームといえば18世紀イギリスの哲学者。徹底的な懐疑論で有名な思想家です。代表作は『人間本性論』。

哲学史上では地味な扱いをされがちですが、実は強烈な存在です。バートランド・ラッセルはヒュームで一度哲学史は終わると語っていますし(ルソーで別種の哲学が始まる)、廣松渉はもっとも凄い思索はヒュームのそれだみたいなことを言っています。

このヒュームが実は保守主義的な思想の先駆としても認められているとご存知でしょうか?僕は最近知りました。

なぜヒュームが保守主義と結びつくのか?

彼の懐疑論は逆説的に慣習の尊重を要請し、それが社会・政治思想にも反映するためです。

ヒュームの懐疑論はその徹底さで有名です。理性を疑い、自己自身の同一性すら疑います。しまいには因果律も習慣の一般化にすぎないと言い出す(この議論に衝撃を受けたカントが「いやいや因果律は絶対的で普遍的な法則だ」と主張するのが純粋理性批判です)

しかし、なんでもかんでも疑って否定して虚無に至るのかというとそうではなく、ここからヒュームは慣習の尊重へと向かいます。慣習こそが理性や自己を支えている、だからその慣習を大事にしようと。

懐疑論というと、知性を尊重してそれ以外を否定しまくるみたいな印象があるかと思います。ヒュームは逆なんですね。極限まで論理を突き詰めて知性そのものを内破し、そこから逆説的に慣習の尊重へと向かうわけです。バートランド・ラッセルをして知性主義のデッドエンドと言わしめたゆえんです。

ヒュームの社会・政治哲学

ヒュームのこの態度は彼の社会・政治思想にも反映します。

社会は人間の理性が計算ずくで設計したものではない。比較的上手くいった手続きが結晶化したものが社会であり正義だ。慣習こそが正義や社会を支えているのである。ヒュームはこう考えます。

理性で進歩的なシステムを設計するのではなく、すでにそこにあり機能している制度を尊重するという態度が出てくるわけです。これが保守主義の先駆とされるゆえんです。

ハイエクの反設計主義に通じるものがありますが、実際ハイエクの再評価によってヒュームのこの側面は有名になりました。

 

ヒュームのこの思想はフランスの理性主義と対比されます。しかし考えてみると、置かれた社会状況が反映している面もある気がしますね。

フランス、あるいは後の日本やロシアみたいな国は、いわば負けた社会なわけですよね。イギリスみたいに自然と上手くいった社会じゃなく、問題にぶち当たり、このまま進んだらどうにもならないという局面に追いやられたわけです。

そういう社会が「すでにそこにある制度を尊重」とかは言ってられないと思うんです。どうしてももっと効率的なシステムを考え出す必要が出てくるはず。

そう考えると、保守主義は勝者の哲学なのかという気もしますね。イギリスはたまたま全てが都合よく進んだ社会ですから、すでにそこにあるものを肯定していればとりあえずなんとかなるみたいな面があったんじゃないかと思います。

 

歴史学者としてのヒューム

実はこのヒュームという哲学者は、歴史家としても有名です。『イングランド史』と呼ばれる全6巻の大著をものしています。

これ以前から不思議に思っていたんですよね。なんか違和感がありませんか?あのヒュームが歴史家でもあるなんて。どうもその思想家としての面とそぐわない気がする。まったく関係のない別々の活動をしていたにすぎないのでしょうか?

しかしヒュームの保守主義者としての面を知ったことで、この謎が解けたような気がします。慣習や既存の制度を尊重する思想家なら、自国の歴史を探求してもなんらおかしくないですからね。彼の思想がそのまま、彼を歴史の探求へといざなったのかもしれない。

おそらく哲学者としてのヒュームと歴史家としてのヒュームには、内的な関連性があると思います。

 

ちなみにヒュームの保守主義的な側面をわかりやすく解説した本なら、仲正昌樹の『精神論ぬきの保守主義』(新潮選書)がおすすめです。

一番最初にヒュームを扱っています。他に登場するのはバーク、トクヴィル、バジョット、シュミット、ハイエク。最終章では現代日本において保守主義がいかに機能しうるかを論じます。

保守主義の制度論的な側面に着目する良書です。

哲学の本

Posted by chaco