インド仏教と中国・日本仏教は何が違う?『空の思想史』【書評】

2021年1月28日仏教

立川武蔵『空の思想史』(講談社学術文庫)を読みました。

仏教の「空」の概念を中心に据えて、インド、中国、チベット、日本の東洋思想を概観する本です。


大まかな流れをつかむにはいいですね。ただし情報が圧縮されているため、個々の思想の説明はかなり難しいです。

個々の思想を深堀りしたいときには、角川ソフィア文庫から出ている「仏教の思想」シリーズ(全12巻)を参照にするのがいいと思います。

ヒンドゥー教と仏教の違い

この『空の思想史』、まずおもしろいと思ったのがヒンドゥー教と仏教の対比。ヒンドゥー教と仏教の思想的な違いを、はじめて明確に理解できたような気がする。

インド人は基本的に、基体とその属性という対概念で世界を捉えます。これはギリシア人と同じですね。

たとえば目の前にあるコップを例にとってみましょう。コップには色の白さ、素材の硬さ、形状の丸さなどさまざまな属性がある。そしてそれらの属性を受け止める基体が、その根底に存在すると考えます。

ここで、コップから属性を一つずつ取り除いていったらどうなるでしょうか?白さ、硬さ、丸さなどの属性を一つ一つ取り除いていく。最後に何が残るか?

 

なにも残らない、と考えるのが仏教です。

いや、唯一の基体が残る、と考えるのがヒンドゥー教。そしてその唯一の基体とは、世界の根底にあるブラフマン(神)にほかなりません。

ヒンドゥー教の観点からすると、実在するのはこのブラフマンだけであり、それ以外のすべては幻想(マーヤー)です。

 

このヒンドゥー思想もだいぶ常識はずれですが、仏教はさらに過激なのですね。現象が実在しないというだけでなく、それらの根底に基体すら存在しないというのですから。

現象もまぼろし、基体もまぼろし、実体なんてどこにもない、すべては空だ。これが仏教の立場です。

 

中国人は老荘思想をベースに仏教を受容した

仏教の空の概念は、中国で実体化されます。どういうことか?

中国は老荘思想の「無」の概念をベースにして空を受容しました。ここで重要なのは、空と無はまったく異なる概念だということ。

老荘の無は存在しないことではなく、あらゆる存在を成り立たせる根底的な力を意味します。いわば汎神論の神にちかい。

この老荘的な無の概念をベースに、中国人は仏教の空を理解した。

こうして、中国仏教における空の思想は、老荘思想に近い汎神論的な性格を帯びることになります。

中国の仏教は、空思想の観点からみた場合、インド仏教よりはむしろヒンドゥー教に近いのですね。

 

日本の仏教は中国に媒介されている

日本に伝わってきた仏教は中国の仏教です。したがって、空の概念もインドではなく中国のそれに近い。

仏教思想をベースにした日本の「無の哲学」などは、やはり汎神論的な性格がありますよね。

無意識のうちに、中国の仏教哲学を繰り返している面があるのです。

日本における仏教思想は、やはり老荘思想やヒンドゥー教との親和性が高いといえます。

 

インド仏教の異質さ



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中国の仏教は老荘的な思想。日本もそれに近い。そして本場インドではやがて汎神論的なヒンドゥー教が仏教を飲み込んでしまう。

西洋や中東では一神教の思想(たまにスピノザのような汎神論が出てくる)。現代のスピリチュアリズムもヒンドゥー教の汎神論に近い。

こうしてみると仏教の異質さが際立ちますね。めちゃくちゃ変わっていると思う。世界のどこを探しても、(インドの)仏教に似た思想は見当たらない気がする。

あえて近いものを挙げるなら、現代の物理学でしょうか?ただし、物理学を研究しても精神の解脱には近づかないとは思います。