老子の哲学をわかりやすく解説【3つの特徴に着目】
中国哲学史上でもっとも深遠な思想家といわれる老子。
森三樹三郎の『老子・荘子』などを参考にしつつ、彼の思想を以下の3つのポイントから解説してみようと思います。
・儒教をターゲットにした逆説的文章
・農村の暮らしを理想化
・無の哲学(インドの空の思想と対比)
なお老子の文章はすべて中公文庫版(小川環樹訳)から引用していきます。
儒教を仮想敵にした逆説的文章
老子の特徴として、まず独特のハイコンテクストな文章を挙げることができます。
まったく何も知らない人に、わかりやすく一から明快に説明するような文章ではないんですね。そうではなく、当時の常識を前提としたうえで、断片的な情報を投げつけてくるようなタイプです。
では前提となっている当時の常識とは何か?色々ありますが、そのコアは儒教です。伝説に反し、老子の時期にはすでに儒教の教えが世間に普及していたと考えられています。
老子の文章の多くは、その儒教をターゲットにした逆説的な発言です。たとえば次のような。
大道廃れて仁義あり、知恵出でて大偽あり、六親和せずして孝慈あり、国家昏乱して忠臣あり。(『老子』小川環樹訳)
孔子は道徳や礼儀を重んじ、それを大切にすることで乱世が平定されると説きました。しかし老子はそれを逆手に取り、むしろ礼儀だのなんだのは社会が病的状態におちいったことで現れる症状にすぎないと説きます。
儒教的な常識がまずあって、それを明確に意識しつつ放った逆説の矢が上記のような文章になるわけです。
農村の暮らしを理想化
超現実的なイメージのある老子哲学。しかし実は、彼の思想には現実的なベースがあります。それは当時の中国における農村の暮らしです。
道義的な儒教を批判した老子は、人為的な礼儀だの風習だのは捨てて「自然に帰れ」と主張しました。あたかもルソーのような趣ですが、ルソーと違うのは、頭のなかで原初の自然状態みたいなのを思い浮かべてそれを称揚しているわけではないことです。
老子の理想とする暮らしは、中国の辺境に実際に存在していました。広大な中国では、皇帝の力がいくら強大であろうと、国のすみずみまでにはその支配力は及ばない。農民たちは権力など関係なく、勝手につましく暮らしていたのです。
老子はそれを観察し、この社会を中国全土に広げればそれで万事オーケーじゃないかと考えたわけです。それが無為自然という哲学のベースにあります。
老子はよく水のメタファーを使いますが、これも農村社会の特徴が反映したものといわれています。
無の思想(空との対比)
老子といえば無の哲学。西洋哲学が存在をコアに置くのに対して、東洋哲学は無を核にしているとよく言われます。そして中国哲学における無の思想の創始者は老子です。
反る者は、道の動なり。弱き者は、道の用なり。天下の万物は有より生ず。有は無より生ず。(同書)
老子の思想は強烈な影響力をもちました。中国人がインドから仏教を輸入したとき、インドの空の哲学を老荘思想の無の哲学をベースに理解したほどです。
ここで重要なのが、老子のいう無とインド仏教の空の違い。
インド哲学における空とは数学のゼロ記号のようなもので、文字通りのゼロ、すなわち実体ではありません。
それに対して老子のいう無はむしろ、万物の根源にあり、万物を生み出すエネルギーのようなものとしてイメージされています。真の実体といった感じです。
こうして中国仏教は老荘思想的なトーンを帯び、それが日本にも伝播しました(日本の仏教は中国仏教を輸入したものです)。空の哲学の中身が変質している点がポイント。
このへんは立川武蔵の『空の思想史』という本にわかりやすく解説されています。
日本の哲学でもよく無が持ち出されますが、それは言うまでもなく中国的な無です。インドの空の哲学ではなく、老荘思想に近いんですね。
ちなみに老子の無が存在と相対的な関係に立つ悪無限(ヘーゲルのことばを借用)であるのに対して、莊子のそれは存在をも包み込む真無限だという違いがありますが、それはまた別のお話になります。
まとめ
以上、老子の思想を3つの観点から解説しました。
・儒教をターゲットにした逆説的文章
・農村の暮らしを理想化
・無の哲学(インドの空の思想と対比)
ちなみに老子を理解するなら森三樹三郎の『老子・荘子』(講談社学術文庫)が強力な本です。同じ著者の『中国思想史(上巻)』でもオーケー。