戯曲のおすすめ本はこれ【喜劇から悲劇まで古今東西の名著8冊】
演劇の脚本を元にした文芸作品のことを戯曲といいます。シェイクスピアが一番有名でしょうか。
キャラクターの台詞だけで物語が進行するため、テンポがよく、小説よりも読みやすかったりします。僕は小説とあんまり相性のよくない人間なんですが、戯曲はスイスイ読めます。
とくにおすすめの戯曲作品はどれか?
以下、海外と日本の名作を紹介したいと思います。
ギリシア悲劇の代表作 ソフォクレス『オイディプス王・アンティゴネー』
ギリシア3大悲劇詩人のひとりソフォクレスの傑作。古さを感じさせず、意外と読みやすいです。
神と人とが対置され、神の手のひらの上で転がされる王の没落を描いた『オイディプス王』。神の摂理にしたがうアンティゴネーと社会の摂理にしたがうクレオン王の対比を描いた『アンティゴネー』。
新潮文庫バージョンは2作品のセットで、訳者はシェイクスピアでおなじみの福田恆存です。
ちなみにこの2作は内容的につながっていて、アンティゴネーはオイディプス王の娘です。どちらの作品も人間たちの壮絶な没落が一周回ってむしろ心地良い。
アリストテレスがその『詩学』のなかで、悲劇のお手本として挙げたのはソフォクレスの『オイディプス王』でした。またヘーゲルいわく『アンティゴネー』はあらゆる芸術作品のなかでも最高傑作のひとつとのこと。
おお、テバイの人々よ、見るがよい、これがあのオイディプス、名高きスフィンクスの謎を解き、この国を禍いから救い、人々を巧みに支配してきた最も偉大な男、一人として、その幸運を羨まぬ者がいたろうか?よく見るがよい、それが今、嵐の吹きすさぶ苦難の荒海に、呑みこまれようとしているではないか!
人の運命は計りがたい、誰にせよ、最後の日を迎えるまでは、それを幸福な男と呼んではならぬ、苦悩の巷を脱して、黄泉の国に赴くまでは。(ソフォクレス『オイディプス王』福田恆存訳)
四大悲劇の一角 シェイクスピア『マクベス』
戯曲といえばシェイクスピア作品が世界でもっとも有名でしょう。
この人の作品は伝説的な名作ばかりですが、個人的には四大悲劇の一角たる『マクベス』が最高傑作だと思っています。
まず非常にコンパクトで読みやすい(文庫本で100ページちょい)。そしてハムレットなどと異なり話も理解しやすいです。
スコットランドの武将マクベスは、超常的な3人の魔女の予言にそそのかされ、王位を簒奪してしまいます。偽りの地位に不安を感じるマクベスとその妻は没落への道をたどり…という筋書き。
中盤、衛兵が扉を叩くシーンの緊迫感は異常。後期ドストエフスキーの緊迫的場面に匹敵するものがあります。
関連:シェイクスピアはどれから読めばいい?【この順番がおすすめ】
チルチルとミチルの大冒険 メーテルリンク『青い鳥』
ベルギーの世界的詩人による夢幻劇。
貧しい木こりの小屋に暮らすチルチルとミチルの兄妹。妖女ベリリウンヌの娘の病を治すため、ふたりは青い鳥を探しに遠い旅に出ます。
光、水、火、イヌ、ネコ、砂糖にパン。身近にあったものたちは擬人化され、チルチルとミチルのお供に。一行は思い出の国(あの世のこと)、夜の神殿、墓場、未来の王国(これから生まれてくる魂たちの場)などを巡り歩きます。
後半になるほど深さが増し、とくに終盤は異様な感動を読者に与えます。
日本の漫画やゲームなどは相当この作品から影響を受けているんだろうなっていうのがわかりますよ。
ロシア文学を代表する劇作家 チェーホフ『三人姉妹』
ロシア文学を代表する劇作といえばチェーホフの作品でしょう。文学史のうえで眺めても、チェーホフはドストエフスキーとトルストイに次ぐ存在感を放っている作家です。
彼がテーマにするのは「退屈」です。
先人たちの熱狂的な時代が終わり、いまやわびしい日常だけが残された。目標も意味もなく、ただ労働に明け暮れる毎日。この退屈とのけだるい死闘がチェーホフ作品のコアにあります。
チェーホフには四大演劇と呼ばれる作品があって、本書に収録されているのはそのうち晩年の2作です(残りは『かもめ』と『ワーニャ伯父さん』)。
没落する貴族階級、容赦なく流れる時間、衰えゆく身体、わびしい労働、将来の空虚、それでも続いていく人生。独特のトーンに感動する現代日本人はまちがいなく多いはず。
やがて時が来れば、どうしてこんなことがあるのか、なんのためにこんな苦しみがあるのか、みんなわかるのよ。わからないことは、何ひとつなくなるのよ。でもまだ当分は、こうして生きて行かなければ……働かなくちゃ、ただもう働かなくちゃねえ!あした、あたしは一人で発つわ。学校で子供たちを教えて、自分の一生を、もしかしてあたしでも、役に立てるかもしれない人たちのために、捧げるわ。(チェーホフ『三人姉妹』神西清訳)
20世紀劇作の最高傑作 サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』
20世紀を代表する劇作といえばこれ。ベケットはアイルランド出身の劇作家&小説家で、本作は不条理演劇の最高傑作とも呼ばれます。
夕暮れの田舎道。一本の木を前にして、ふたりのホームレスが救済者ゴドーを待ちわびている。通りかかる暴君と、犬のように鎖につながれた男。そしてゴドーからの伝言をたずさえた謎の少年。
退屈や人生の無意味がテーマになっています。テーマ性はチェーホフの後継者みたいなところもあります。
しかしチェーホフが日常生活を描いたのに対して、ベケットはもっと異様な世界観を提示します。そして聖書を暗示させるシンボルがそこらじゅうに散りばめられる。ちなみにベケットはショーペンハウアーの熱心な読者だったそうで、これも形而上学的なトーンに影響をもたらしているのかも。
かといって批評家だけに評価されるようなつまらない作品かというとそうではなく、なぜかやたら面白いです。感動的ですらあります。
関連:退屈との格闘 サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』【書評】
テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』
20世紀アメリカを代表する劇作家テネシー・ウィリアムズ。彼の最高傑作が『ガラスの動物園』です。
舞台は不況期セントルイス。母、姉、弟の3人家族が貧しい生活にあえいでいる。主人公が過去を追憶するかたちで劇は進行します。
物語の主役は主人公の姉ローラ。病的なほどに内気なローラが、自分の世界を守るかのようにガラス細工の動物たちを並べています。母はローラのことが理解できず、彼女を「健常者」として扱うのですが、ローラはどうしてもそれが演じられない。やがて他者の侵入によってガラスの動物園は壊れ…
ローラのモデルは作者テネシー・ウィリアムズの実姉とのこと。精神病だった実姉は、アル中の父親から強制的にロボトミー手術を受けさせられてしまいます。この事件と実姉への追憶がこの作品を成立させたらしい。
繊細な人間であれば、ローラの精神生活に自分自身の姿を見出すことでしょう。
魔術的な天才 泉鏡花『夜叉ヶ池・天守物語』
泉鏡花といえば、異様としかいいようのない文体を操る孤高の天才(ほかの人が彼の文章を真似しようとすると盛大な事故が起こります)。彼は戯曲も残していて、もっとも評価の高い作品がこれでした。
妖怪たちが登場するのが本作の特徴。人間の世界と妖怪の世界が隣り合わせになっていて、『夜叉ヶ池』では人間の視点から、『天守物語』では妖怪の視点から劇が進行します。
人間たちの世界を堕落したものと描くのが鏡花の特徴で、逆に妖怪たちの世界は人間たち以上に人間らしいポジティブなものとして描かれます。そして倫理的に正しい選ばれた人間だけが妖怪たちの世界に参入させえもらえる…という話の構造。
現代日本のマンガとかにも影響を与えている気がしますね。
その夜、丑満の鐘を撞いて、鐘楼の高い段から下りると、爺は、この縁先で打倒れた――急病だ。死ぬ苦悩をしながら、死切れないといって、悶える。――こうした世間だ、既う以前から、村一統鐘の信心が消えている。……爺が死んだら、誰も鐘を鳴らすものがない。一度でも忘れると、掌をめぐらさず、田地田畠、陸は水になる、沼になる、淵になる。幾万、何千の人の生命――それを思うと死ぬるも死切れぬと、呻吟いて掻く。虫より細い声だけれども、五十年の明暮を、一生懸命、そうした信仰で鐘楼を守り通した、骨と皮ばかりの爺がいうのだ。……鐘の自から鳴る如く、僕の耳に響いた。……かつは臨終の苦患の可哀さに、安心をさせようと、――心配をするな親仁、鐘は俺が撞いて遺る、――とはっきりいうと、世にも嬉しそうに、ニヤニヤと笑って、拝みながら死んだ。その時の顔を今に忘れん。(泉鏡花『夜叉ヶ池』)
戦後日本喜劇の最高峰 井上ひさし『父と暮せば』
戦後の日本を代表する劇作家といえば井上ひさしの名前がよく挙がります。
『父と暮せば』は終戦直後の広島を舞台に、戦争の死者と、戦争で生き残ったものの対話を描く劇作です。丸谷才一は書評集『快楽としての読書』のなかで、本作を戦後日本における喜劇の最高傑作と呼んでいました。
主人公の美津江と、原爆で亡くなった父竹造の幽霊の対話で劇は進んでいきます。自分だけが生き残ったことに罪悪感を感じる美津江は、父との対話を通して前向きな気持ちを取り戻していく。
広島弁の駆使が本作に唯一無二の個性を与えています。妙に心地良い。谷崎潤一郎の『細雪』は関西弁を駆使したことで有名ですが、本作は広島弁によって同様の効果をあげているといえるでしょう。
以上、おすすめ劇作の紹介でした。新しい名作に出会ったらアプデしていきます。