マルクスのヘーゲル批判をやり直す 柄谷行人『帝国の構造』【解説】
柄谷行人の『帝国の構造』(青土社)を読みました。
久々に柄谷行人の頭の良さが炸裂している気がしました。『トランスクリティーク』以降の仕事では、この独特の切れ味があまり見られなかった印象があるんですよね。本作ではそれが復活しているような気がします。
この本は理論的な大著『世界史の構造』を補完するものです。どのような内容なのか?なぜ帝国に着目するのか?
以下の3つのポイントから整理してみましょう。
①今の世界はヘーゲル的だ
②マルクスのヘーゲル批判をやりなおす
③来たるべき世界のヒントは「帝国」にある
①現代はヘーゲル的だ
柄谷行人によると、現在の世界は資本主義・ネーション・ステートの三位一体で作動しています。
資本主義が躍動し、それがもたらす格差をネーション(国民)が批判し、ステート(国家)が国民の要望に応えて再分配政策(社会民主主義)をおこなう。
今やこれはどこも同じですよね。そして日本やアメリカの現状をみればわかるように、このシステムは行き詰まっている。
このシステムを批判するには、まずしっかりのその仕組を理解する必要があります。では過去の思想家に、この仕組みを把握していた者はいないのでしょうか?
実はいました。それが19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルです。
ヘーゲルは『法の哲学』(中公クラシックス)において、資本主義・ネーション・ステートの3つを統合的に捉えようとした、と柄谷はいいます。ヘーゲルはこのシステムを理論的に基礎づけた。
実際、社会民主主義のモデルがヘーゲルに端を発しているとはよく言われることですね。
したがって資本主義・ネーション・ステートの三位一体が稼働し、社会民主主義的な政策以外の道行きが見えてこない現代世界は、もろにヘーゲル的なのです。
これを乗り越えるには、ヘーゲルを乗り越えなくてはなりません。
②マルクスのヘーゲル批判をアップデート
どのようにヘーゲルを批判するか?柄谷はマルクスに依拠します。なぜなら、ヘーゲルに対してもっとも痛烈な批判を遂行した思想家がマルクスだからです。
マルクスはヘーゲルの思想を唯物論的にひっくり返しました。ヘーゲルは精神(神のこと)が歴史を動かすと考えたのですが、マルクスは経済システム(生産構造)が歴史を動かすと考えた。
これが後のマルクス主義の史的唯物論につながります。生産構造の変化によって、社会システムは移り変わっていく。
原始的な共同体→専制的な国家→近代市民社会→共産主義社会というふうに。
そして政治や文化、宗教といった各システム(上部構造)は、絶対の基礎である経済システム(下部構造)のあり方を反映するにすぎない、とされます。経済が変われば、その他も勝手に変わるというわけです。
しかしこの思想は現実とうまく合致しませんでした。とくに国家とネーションは暴走をくりかえし、経済のあり方などおかまいなしに勝手に動きます。
これを受けて、マルクス主義の内部ではいろいろな反省がなされました。やっぱり上部構造(文化や宗教)が自律した動きをすることもあるんじゃないか、とか。
生産様式のかわりに交換様式をおく
柄谷行人もこの問題に着目します。しかしその解決法が変わっている。彼は下部構造と上部構造という見方を維持したままで、下部構造に生産様式ではなく交換様式をおくのです。
交換様式には次の4つがあります。
A互酬性
B略奪と再分配
C商品交換
D???
それぞれの要素のうちどれが優勢になるかによって社会システムのあり方が決まり、また社会システムが変動していきます。
現代社会はAとBとCの三位一体で動いていますね。具体的には次のようなかたちです。
Aネーション(互酬性)
Bステート(略奪と再分配)
C資本主義(商品交換)
帝国に交換様式Dのヒントを求める
注目すべきは、交換様式のうち4つめのDです。これはなんなのか?
柄谷は交換様式Dを、AがBとCによって解体された後で高次元で回復するものだと考えているようです。そしてそこに現代の資本主義・ネーション・ステートを突破するカギを求めています。
このDはさまざまなものに仮託して語られます。たとえばキリスト教や仏教のような世界宗教、あるいはカントが構想した世界共和国など。
そしてもう一つ、今回は「帝国」がそこに加わります。Dのヒントを「帝国」に求める。それが本書『帝国の構造』のテーマです。
③なぜ帝国にヒントがあるのか
柄谷行人は本書で、Dは帝国を高次元で回復するものだと言っています。
ここで注意すべきは、帝国と帝国主義は違うということ。
帝国主義は国民国家を前提としたものです。同一的な国民国家が、外部に膨張していく。それは異国を吸収し、自己に同化させることで領土を拡大します。
帝国はこれとは別のシステムです。帝国もまた外部に進出していきますが、それは異民族を自己と同化させることはありません。ある程度の自治を認め、体制を破壊しないかぎりは勝手にやらせておくのです。
たとえばペルシア帝国におけるユダヤ人の境遇をみるとわかりやすいですね。
国民国家というものは、この帝国とはまったく異なる原理をたずさえて後から出てきたものです。それは西洋という辺境地帯に発生し、世界を飲み込んでいきました。
言い換えると、国民国家に先立つ帝国には、国民国家にはない原理を秘めているということです。
資本主義・ネーション・ステートが行き詰まり、国民国家という前提そのものが疑われだした現在、新しいシステムのヒントを帝国に探れるのではないか。これが本書『帝国の構造』における柄谷の問題意識です。
この問題意識に基づき、本書の中盤以降は歴史上の帝国の分析が続いていきます。中国の帝国を中心に、ペルシア帝国、ローマ帝国、オスマン帝国、ロシア帝国などなど。
世界史の本としても楽しめますね。
中国は帝国の意義を再考すべき
おもしろいのは、中国に対して「帝国のあり方を再考せよ」といっているところ。いまさら国民国家の体裁を整えたところで、それは時代遅れなのだと。ましてや帝国主義に陥ったらそれは最悪のシナリオですね。
中国はむしろ帝国としてやってきた歴史を活かし、帝国のアップデートにつなげるべきだ。柄谷はそういいます。
本書は中国の清華大学(コンピュータサイエンスで世界一のとこ)で行われた講演が元になっているとか。中国の未来の知識人は、柄谷から影響をうけているかもしれません。
次は『哲学の起源』を読む
『帝国の構造』の基本線は以上のような感じです。他にもポイントはありますけどね。
たとえばサブタイトルの「中心・周辺・亜周辺」。これもマルクスを意識したものです。
直線的に進展するマルクス(というかエンゲルス)の史的唯物論に対し、柄谷はウォーラーステインの世界システム論をアレンジし、空間的な考え方をもってきます。
このへんも重要だと思いますが、これを組み込もうとすると収集がつかなくなるので、今回は省かせてもらいました。
以前から気になっていた『帝国の構造』をようやく読んだので、次は『哲学の起源』に進もうと思います。
これは図書館で借りて読んだことがあるのですが、2020年1月に文庫化されたので、今度は買って線を引きながら熟読します。