柄谷がボケで浅田がツッコミ『柄谷行人 浅田彰 全対話』【書評】
講談社文芸文庫はこれまで、柄谷行人の対談集をいくつか出しています。蓮實重彦との全対話と、中上健次との全対話ですね。
今回新たに発売されたのがこの『柄谷行人 浅田彰 全対話』。柄谷行人と浅田彰が行った対談を収録した本です。1987年から1998年にかけての6つの対談が収録されています。
ページ数は243ページと、以外なほど小ぶり。しかし値段は税別で1800円です。講談社文芸文庫の異常な価格設定がまたしても炸裂。いくらなんでも高すぎでは…
本書の目次は以下の通り
オリエンタリズムとアジア
昭和の終焉に
冷戦の終焉に
「ホンネ」の共同体を超えて
歴史の終焉の終焉
再びマルクスの可能性の中心を問う
最後の「再びマルクスの可能性の中心を問う」は1998年の対談で、柄谷の『トランスクリティーク』に関する話です。この時期の柄谷と話している浅田は初めて見ましたね。
柄谷行人がボケで浅田彰がツッコミ
本作でもっとも面白いのはあとがきとして書かれた柄谷の文章「浅田彰と私」。たった3ぺージの文章ですが、興味深い内容です。
柄谷は80年代と90年代の自分を振り返って、「別の人間がいるような気がする」と言っているんですね。
本来の内向的な自分とは異なり、80年代~90年代の自分は社交的かつ活動的だった。雑誌を編集し、会議に参加し、講演やインタビューの依頼にも応じていた。
そしてこれは浅田彰の影響だったらしい。浅田と出会ったことで活動的な面が目覚め、後に批評空間の終了によって浅田と別れたことで元の内向的な自分に戻ったと。
柄谷は次のように言います。
彼は私にとって最高のパートナーであった。漫才でいえば、私はボケで、彼はツッコミである。あらゆる面で助けられた。私が思いついた、いい加減な、あやふやでしかない考えが、彼の整理によって、見違えるようになったことも何度もある。
柄谷がボケで、浅田がツッコミという例えがわかりやすい。よくいえば、柄谷が天才で浅田が秀才ということになりますね。
天才と秀才の組み合わせ
こういう組み合わせが威力を発揮することは、歴史上よくあります。まず天才がインスピレーションを得る。次に秀才がそれを読み解いて、一般大衆にもわかるような言葉へと翻訳し、社会に流通させるわけです。
いちばん巨大な例でいうとイエスとパウロがそうかもしれません。
もっと身近なところではドゥルーズとガタリ。このふたりは見た目の印象に反して、ガタリが天才でドゥルーズが秀才だったらしい。ガタリが得たインスピレーションを、ドゥルーズが整理していたといわれています。