日本ではポストモダン思想が機能しない 柄谷行人『差異としての場所』
柄谷行人の『差異としての場所』(講談社学術文庫)を読みました。
『隠喩としての建築』と『批評とポストモダン』を合成した本です。残念ながら現在では絶版になっている模様。
僕は『隠喩としての建築』はもっているのですが、『批評とポストモダン』は読んだことがありませんでした。
東浩紀がどこだったかで「批評とポストモダン」(本書にも収録されている論考)を激賞していて、いつかは読んでみたいと思っていたんですよね。というわけで、中古屋で本書を見つけた時すぐに買いました。
批評とポストモダン
本書の目玉はやはり「批評とポストモダン」。
東浩紀がどこかでこれに言及していて、それ以来ずっと興味をもっていました。
内容を一言でいえば、80年代日本のポストモダンブームへの批判です。そしてその批判が最終的には、日本の思想界における批評性の欠如の指摘へとつながります。
1980年代の日本ではフランス由来のポストモダン哲学がブームになりましたが、柄谷はそれを批判します。
どのように批判するのか?
哲学と、それがもつ意味とのズレを指摘することによってです。
哲学は理論の外部から意味を汲み取ってくる
アルチュセールが指摘したように、哲学とはその内部を見ればただの形式の戯れにすぎません。同じような話を延々と繰り返しているだけ。
では哲学に意味がないのかというと、そういうわけではありません。
哲学とは閉じたシステムではなく、その時々の時代や社会状況と関係し、そこから意味を汲み出してくるのです。
ある時は唯物論が破壊的な影響力をもち、またある時には観念論が破壊的な作用をする。
それは理論の内部だけを見ていたのではわからない。その理論が外部の社会状況といかに関連しているのかを見定める目が必要です。
ポストモダン哲学にも同じことが当てはまります。1960年代以降のフランスで興隆したポストモダン思想は、脱中心化をテーマにしていました。
何からの脱中心化か?仮想敵はだれか?
それは西洋哲学の全体であり、ソ連の社会主義であり、アメリカとソ連の冷戦構造(二項対立)でもあります。
これらの強大な権力に対して、位置をずらすこと。それがポストモダン思想の意味であり、このことは理論の内部だけを見ていたのでは理解できません。
日本においてポストモダン思想は批評性を持てない
さて1980年代の日本はこのポストモダン思想(フランス現代思想)を輸入し、一大ブームを引き起こしました(見てきたかのように書いていますが、僕はまだ生まれていません)
では当時の日本において、ポストモダン哲学とはなんだったのでしょう?
ポストモダン思想がもつ意味は、強大な権力からの戦略的逃避にあるのでしたよね。
では日本人がポストモダン思想をうんぬんするとき、それはどのような権力に対して発動されていたのでしょうか?
実は、当時の日本においてポストモダン思想はなんら批判的効能を発揮していなかったのです。いやそれどころか、既存のイデオロギーを強化する役割を果たしさえした。それが本書における柄谷行人の主張です。
ポストモダン思想がイデオロギーの強化につながるとはどういうことでしょうか?
日本の社会システムというのは、もともとトップダウン式の強権が存在しない仕組みになっています。空気が支配し、すべてが成り行きで決まっていく。いわば構築への拒否が伝統としてあるわけです。
ところでポストモダン思想というのは、強大な権力へのゲリラ的批判なのでした。強権的な構築を批判し、脱中心的かつ流動的なシステムを志向する。
実はこのポストモダン的理想は、日本の社会システムとそっくりなのです。
西洋において制度への批判として機能したポストモダン思想は、日本に移植されるやいなや、現状の肯定として機能してしまう。
内容は同じでも、それが置かれた文脈によって、意味するものがまったく違ってくるのです。
したがって日本においては、ポストモダン思想は西洋においてもっていた批評性を有し得ない。
これが柄谷による批判の肝だといえるでしょう。
西洋のポストモダン哲学者たちがもっていた批判性を日本で発揮したいと思うのなら、西洋人と同じように神や超越者に立ち向かうのではなく、空気の支配に立ち向かわなくてはいけないということ。
ポストモダン思想云々は昔の話ですが、日本という国はどのような思想的土壌をもっているのか、そしてそこで批評性を有するにはいかなる思想が必要なのかという問いは、現在でも大きな意味をもっていると思われます。