トルストイも認めた名作 ドストエフスキー『死の家の記録』
ドストエフスキーの『死の家の記録』(新潮文庫)を再読しました。
たぶんこれで3回目。いずれもこの新潮文庫バージョンで読んでいます。
新潮文庫版は、訳文の美しさがすばらしい。ただ、文字がページにぎっしりなのが短所か。目が疲れます。
『死の家の記録』はどんな作品か?
ドストエフスキーの『死の家の記録』は、彼自身のシベリア流刑体験をもとに書かれた作品です。
若き日のドストエフスキーは、過激な思想をもつ青年たちの集まりに参加し、ロシア政府によって逮捕されました。死刑判決を受けたものの土壇場で恩赦が与えられ、代わりにシベリアでの重労働刑に服するという、異常な体験をすることになります。
この出来事は彼の人生観と思想に大きな影響を与え、後の文学に深く反映されていきます(『白痴』にはこの体験をアレンジしたエピソードが収録されている)。
『死の家の記録』は、その流刑体験を小説の形で描いたものです。
語り手はアレクサンドル・ペトローヴィチという架空の人物で。貴族出身の罪人として刑務所に送られたという設定になっています。
作中では、過酷な労働、監視と暴力、囚人たちの多様な人間模様、そして極限状況のなかで見られる人間の尊厳や優しさなどが、淡々とした語り口で描かれます。
『死の家の記録』の写実性とトルストイ
『死の家の記録』は、ドストエフスキーの作品群のなかでも異色の存在です。
のちの『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』のような心理的葛藤や思想的対決を描いた小説とは異なり、この作品は非常に抑制された筆致で、写実的な描写に徹しています。
とくに特徴的なのは、作者の思想や感情を前面に出さず、観察者としての立場を保ちながら、囚人たちの日常や労働、官吏たちのふるまい、人間関係の細やかな機微を淡々と記録している点です。
このような写実性と人間観察の鋭さは、トルストイをはじめ多くの同時代の作家たちから高い評価を受けました。
トルストイはドストエフスキーを「キリスト教的人間愛を体現する作家」として尊敬していましたが、その中でも『死の家の記録』は、もっとも「真実を語る文学」として高く評価していたと言われています。
誇張や観念を排し、ありのままの人間を見つめる視線が、トルストイの文学観と共鳴したのでしょう。
監獄体験はドストエフスキーのインスピレーションの源
この作品、僕の中ではあまり大きな存在ではなかったのですが、今回の再読でまったく印象が変わってしまいました。
この作品こそがドストエフスキーを読み解くカギなんじゃないかとさえ思えます。というのも、おそらくドストエフスキーは、この監獄体験をインスピレーションの源にしているからです。
わかりやすいのはキャラクター。
本作にはタタール人のアレイと呼ばれる人物が登場しますが、おそらくこの人物こそが『カラマーゾフの兄弟』に出てくるアリョーシャ(アレクセイ・カラマーゾフ)のモデルでしょう。
悪人もそうですね。監獄だから当然ですが、本作には常軌を逸した悪人や変人が次々に登場します。彼らがドストエフスキー作品に登場する悪人たちのモデルになっているに違いありません。
ドストエフスキー作品に登場する人物はそのリアリティで有名ですよね。異常な人物像ばかりなのに、なぜかリアリティがある。
その創作の秘密はここにあると思います。ドストエフスキーは過去に出会った人物を引っ張ってきて、彼らを作品のなかで動かしているのです。「あの人物ならどう動くだろう」とか「あの人物をこういう体験に直面させたらどうなるだろう」というふうに。だから血肉を感じられるのだと思う。
埴谷雄高の『死霊』と比較してみるとわかりやすいです。
埴谷の『死霊』はドストエフスキーのスタイルを真似た「思想小説」だと言われます。しかし実際に読んでみればわかるように、その感触はまったくドストエフスキー的ではありませんね。
哲学的な対話を無理に小説の形式に落とし込んでいるだけという感じがするのです。登場人物にしても、観念に服を着せただけという感じ(本人もそう認めている)。
これはドストエフスキーの行き方とはまったく違いますね。ドストエフスキーの場合、思想的な内容を語る場合でも、観念に服を着せただけというふうにはならない。
そうではなく、過去の実在人物を持ち出してきて、彼らに思想を語らせるのです。すると、作品のなかでそれぞれの思想が受肉化されて動き回っているような感じになる。
そして持ち出してくる人物モデルがやたらと豊富で深みがあるのは、彼の獄中体験のおかげに違いありません。
どんな不幸にも必然の意味があるとはよく言われることですが、ドストエフスキーの監獄体験ほどその意味が明快に浮かび上がってくる例は珍しいと思います。
ドストエフスキーが監獄に囚われるに至った経緯をくわしく知りたい人は、彼の伝記を読むのがいいです。
おすすめはアンリ・トロワイヤの『ドストエフスキー伝』。一つの文学作品としても楽しめる、美しい伝記です。
それにしてもドストエフスキーの作品は読んでいて心地が良いです。
なんというか病院とか保健室に通じるものがある気がする。社会の外、時間の外にある世界、という感じ。
カントの言葉を借りて「崇高」さがあると表現してもいいかも。カントによると、人間のスケールに収まるものが「美」で、そのスケールを超越すると「崇高」になるんですね。なんだかわかんないけどとにかくすげえ、みたいな。
ドストエフスキーの作品には明らかにそのレベルのパワーがあると思う。
他にそのようなエネルギーを秘めた作品を生み出す作家というと、僕が知る限りではシェイクスピアぐらいしかいませんね。
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