デカルトの哲学をざっくり解説【方法序説・省察・解析幾何学】
「われ思う、ゆえにわれあり」
一度は聞いたことがあるこの言葉、実はデカルトという人物の思想全体からすると、ほんの入り口に過ぎません。
近世哲学の土台を作り、同時にあの座標系(x軸・y軸)を発明した数学者でもあるルネ・デカルト。中世の神学的な世界観と、近代の数学的な世界観。この二つがぶつかり合う、まさに時代の転換点に立っていた哲学者です。
すべてを疑い尽くした先に何を見出したのか。そしてその思考は、なぜ「神の存在証明」という意外な結論にたどり着くのか。
今回は、そんなデカルトの人生と思想を、なるべくわかりやすく解説していきます。
デカルトの生涯
1650年2月、スウェーデン・ストックホルム。一人のフランス人が、肺炎で息を引き取ります。享年53。
名前はルネ・デカルト。「近世哲学の父」とも呼ばれる人物です。
不思議なのは、彼がなぜこんな北の果てで死ぬことになったのか、ということ。実はこの死に方、デカルトという人間の生き方そのものを裏切るような、皮肉な結末でした。
その理由は、あとで種明かしすることにして。まずは彼がどんな人生を歩んできたのか、順番に追いかけてみましょう。
デカルトが生まれたのは1596年。フランスの、それなりに裕福な家の子でした。
時代背景としては最悪です。ヨーロッパはカトリックとプロテスタントが殺し合う、宗教戦争の真っ只中。
そんな時代に、病弱な少年として育ったデカルト。ここで一つ、彼の人生を語る上で外せないエピソードがあります。
学校の先生たちは、体の弱いデカルト少年に、ある特別ルールを認めました。「朝は起きたい時間に起きていい」。つまり、他の生徒が礼拝や授業に出ている間、デカルトはベッドの中にいてよかったわけです。
単なる甘やかしのエピソードとして片付けられがちなんですが、本人はこの朝の時間について、のちにこう振り返っています。哲学と数学のひらめきは、だいたいこのベッドの中で生まれた、と。
つまりデカルトにとって、思考とは「頑張って机に向かって絞り出すもの」ではなく、「横になって力を抜いた状態で降ってくるもの」だったんですね。この感覚は、現代のクリエイティブワークにも通じるものがあるかもしれません。
学生時代のデカルトは優等生でした。ただし、内心では学校で教わることへの不信感を募らせていたようです。「これを勉強して、本当に確実な知識にたどり着けるのか?」という疑問ですね。この違和感が、のちの彼の哲学の出発点になります。
学校を出たあとのデカルトの行動が、けっこう突飛です。
素行の悪い遊び仲間から逃げるために、志願して軍隊に入るのです。
冷静に考えるとおかしな話で、デカルトは生涯を通じて「隠れて生きよ」を座右の銘にしていた人物です。本人いわく、欲しいのは平穏と休息だけ。
友達と縁を切りたいなら、普通は引っ越すとか、連絡を断つとか、もっと穏便な方法がありそうなものですが。よりによって選んだ逃げ場が戦場だった、というのが面白いところです。
そしてこの軍隊生活の中で、デカルトの人生を決定づける出来事が起こります。
1619年の冬、ドイツのある町で、デカルトは一晩のうちに三つの夢を見ます。
この夢について、デカルト自身が「自分の使命を告げるものだった」と、かなり真剣に語っています。夢の具体的な内容は記録が曖昧で、はっきりとは分かっていません。ただ研究者の多くは、図形と数式を結びつける新しい学問の構想、のちの解析幾何学につながるアイデアが、このとき芽生えたのではないかと見ています。
ここで少し寄り道して、デカルトが数学史に残した最大の功績について触れておきます。
みなさんが中学・高校で必ず習う、あの縦横の座標軸。x軸とy軸を引いて、点の位置を(3, 5)みたいに数字で表すやつです。あれの発明者が、デカルトです。だから正式には「デカルト座標」と呼ばれます。
この発明の何がすごいのか。それは、図形の世界と数式の世界を、初めて橋渡ししたことにあります。
たとえば円という図形。座標を使えば「x² + y² = 25」のような、ただの数式として表せてしまう。逆に言えば、数式をいじるだけで、図形の性質を調べられるようになったということです。
これは、当たり前のようでいて、とんでもない発想の転換なんです。目に見える形と、目に見えない数字。この二つが、実は同じものの裏表だった。デカルトはそれを証明してしまったわけです。
この発想がなければ、その後のニュートン力学も、現代物理学の数式だらけの宇宙論も存在しなかったでしょう。世界を「計算できるもの」として扱う、その第一歩をデカルトが作ったと言っても過言ではありません。

さて、話を人生に戻します。
夢のお告げを受けたあとも、デカルトの放浪生活は続きます。三十年戦争にも従軍し、ヨーロッパ各地を転々としました。
そして30代の終わり頃、デカルトはオランダに腰を落ち着けます。以降、約20年間をこの地で過ごし、主要な著作の多くをここで書き上げることになります。
この時期、ボヘミアから亡命してきた王女エリザベートとの文通、交流も始まります。エリザベートはデカルトの哲学に鋭い疑問を投げかけた人物として知られていて、二人のやり取りは今も貴重な資料として残っています。
そして、ここで冒頭の謎に戻ります。
なぜ、このオランダで平穏に暮らしていたデカルトが、遠く北のスウェーデンで命を落とすことになったのか。
きっかけは、スウェーデン女王クリスティーナからの招待でした。彼女は「デカルト本人から直接、哲学の講義を受けたい」と言い出したのです。
このクリスティーナ、とにかくバイタリティの塊のような人物でした。極寒の国に生まれ育ったせいか寒さをまったく苦にせず、朝5時から仕事や学問に打ち込む生活スタイル。現代で言えば、超ハードワーカーの経営者タイプでしょうか。
デカルトは招待に応じてスウェーデンへ渡り、女王のリクエストどおり、朝5時から講義をすることになります。
ここで、冒頭のエピソードを思い出してください。デカルトは子どもの頃から「昼まで寝ていていい」という特例つきの生活を送り、それによって思考力を育ててきた人間です。朝5時起きなど、彼の生活リズムとは対極にある働き方でした。
その無理がたたったのか、慣れない極寒の気候のせいか、デカルトは体調を崩し、肺炎を発症。そのままスウェーデンの地で息を引き取ってしまうのです。
朝寝坊によって育まれた哲学者が、朝5時起きの生活によって命を落とす。なんとも皮肉な最期ですが、生涯を通して「休息」と「静けさ」を求め続けた彼らしい人生だった、とも言えるかもしれません。
さて、ここまでがデカルトという人間の生涯です。
次は、この人物がどうやって「疑いようのない真理」にたどり着こうとしたのか。あの有名な「我思う、ゆえに我あり」の中身に踏み込んでいきます。
われ思うゆえにわれあり、方法的懐疑とは何か
デカルトが哲学でやろうとしたこと。それを一言でいえば、「絶対に揺るがない真理を一つ見つけること」です。
そのために彼が採用した方法が、かなり変わっています。真理を見つけるために、まず手当たり次第に疑ってみる。これがデカルトのやり方です。
普通に考えると逆効果に思えますよね。疑ってばかりいたら、何も見つからないんじゃないかと。
デカルトの狙いはこうです。疑えるものは全部疑い尽くしてみる。それでも最後まで疑いきれずに残ったものがあれば、それこそが本物の土台になるはずだ、と。
いわば、建物を建てる前に地盤をひたすら掘り返して、絶対に崩れない岩盤を探すようなイメージです。
さて、実際に何を疑っていくのか。
まず、目や耳から入ってくる情報。これは信用できません。目の錯覚なんて誰でも経験がありますよね。
次に、目の前に広がる世界そのもの。もしかしたら、これは精巧に作られた幻かもしれない。
さらに厳しいことに、自分の身体すら疑いの対象になります。手や足があると感じていること自体が、勘違いかもしれないわけです。
極めつけは数学です。1+1=2のような、一見絶対に正しそうな計算ですら、デカルトは疑いの対象にします。何か悪意ある存在が、自分にそう錯覚させているだけかもしれない、と。
ここまで疑い尽くすと、もう何も残らないように思えます。ところが、デカルトはたった一つだけ、絶対に否定できないものを見つけます。
それは「今、自分が疑っている」という、その行為自体です。
何かを疑っているという事実だけは、いくら疑おうとしても、疑うこと自体がその事実を証明してしまう。矛盾するわけです。
これが、あの有名な言葉の正体です。「我思う、ゆえに我あり」。
疑うという営みが確かに存在する以上、そこには何らかの「考える何か」がある。だから精神の存在だけは確実だ、というのがデカルトの結論です。
こうしてデカルトの哲学では、「考える精神」こそが、あらゆる確実性の出発点として据えられることになります。
寄り道:「我」をめぐる論争
ただ、ここで一つ、ツッコミどころがあります。
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言いますが、その「我」って、一体どこから急に出てきたんでしょうか。
疑うという行為が存在すること自体は、たしかに否定できません。でも、そこから「わたし」という主体の存在まで導き出せるかというと、話は別のはずです。
この点を鋭く突いたのが、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルでした。ラッセルは、デカルトは「思いがある」とだけ言うべきだったと指摘しています。英語や仏語の文法上、主語がないと文が作れないから「我」が紛れ込んだだけで、論理的にそれを導出できているわけではない、という批判です。
似たような疑問は、臨床の現場からも出てきます。精神科医の木村敏は、統合失調症の患者の症例を研究する中で、思考の積み重ねから、それを統括する「主体」がうまく立ち上がってこないケースを報告しています。「考えがある」ことから「考える私がいる」ことへ、自動的に橋渡しできるとは限らない、というわけです。
一方で、ドイツの哲学者ヘーゲルは、また違う角度からこの言葉を読み解きます。「我思う、ゆえに我あり」の「ゆえに」は、論理的な証明の接続詞ではないというんですね。「思いがある」から「我がある」を証明しているのではなく、思考することと精神が存在することは、そもそも同じ一つの出来事なのだ、という解釈です。
日本の批評家、柄谷行人は、この言葉のややこしさを面白い形で指摘しています。「思うわ、ゆえにあるわ」と、関西弁で訳せばいいのではないかと。主語をあえて消すことで、この言葉の本来のニュアンスが掴みやすくなる、というわけです。
このように、一見シンプルに見える「我思う、ゆえに我あり」ですが、掘り下げると相当ややこしい問題を含んでいます。
神という切り札
さて、デカルトはここまでで、「考える精神が存在すること」だけは確実だと突き止めました。
次に彼がやるのは、その「確実な精神」の中身を点検していく作業です。
精神の中を覗いてみると、いろいろな観念、つまりイメージや概念が浮かんできます。数字の観念、図形の観念、いろんな物の観念。
その中でデカルトが特に目をつけたのが、「神」という観念でした。
神の観念には、他のどの観念にもない特徴があります。それは「完全性」です。欠けたところが一切ない、無限の存在というイメージです。
ここでデカルトは、ある疑問にぶつかります。自分は不完全で、限りある存在のはずなのに、なぜ自分の中に「完全で無限な存在」というイメージが浮かんでくるんだろう、と。
不完全なものから、完全なものの観念は生まれようがない。だとすれば、この「完全性」の観念は、外側から自分に注ぎ込まれたとしか考えられない。そして、そんな完全な観念を与えられるのは、完全な存在、つまり神以外にありえない。
これが、デカルトによる神の存在証明の第一段階です。
さらにデカルトは、もう一つ、別角度からの証明を用意します。哲学史上かなり有名な「神の存在論的証明」というものです。
流れはこうです。神は完全な存在である。存在しないよりも存在する方が、より完全である。だから完全な神という概念には、当然「存在する」という性質が含まれているはずだ。ゆえに、神は存在する。
正直、何度聞いても丸め込まれたような気分になる議論です。何が引っかかるのか、少し整理してみましょう。
哲学の世界では、「存在する」という言葉に二つの意味があるとされます。
一つは、「そのものが何であるか」を表す存在。たとえば「三角形とは、三本の線で囲まれた図形である」というときの存在の仕方です。これを本質存在といいます。
もう一つは、「そのものが実際にこの世にあるかどうか」を表す存在。「わたしの財布の中に、今1000円札がある」というときの存在の仕方です。これを事実存在といいます。日本人が存在という言葉でイメージするのはこちらですね。
デカルトの議論の奇妙な点は、前者の意味の存在から、後者の意味の存在を導き出しているところにあります。「神とはこういうものだ、という定義の中に、実際にあるという性質が含まれている。だから神は実際に存在する」。この飛躍が、なんとも不思議なんですね。
この点を後の哲学者カントが鋭く批判しています。カントの反論は、本質存在から事実存在を導出することはできない、というものです。頭の中でどれだけ完璧な100万円を思い描いても、財布の中身が増えるわけではない。同様に、定義の中にどんな性質を書き込んでも、それだけで実際の存在は生まれない、というわけです。これは私たちの常識的な感覚にもよく合う批判だと思います。
ところが、これをさらにヘーゲルが批判します。ヘーゲルは、カントの批判は正しいが、神だけは例外だと言い出します。神という存在だけは、「概念」と「実在」がそもそも分離していない、特別なケースなのだ、と。

とにかく、こうしてデカルトは神の存在を証明したことになっています。そしてこの一手によって、それまで抱えていた懐疑の問題が、一気に解決に向かいます。
神は完全な存在なのだから、人間を騙すような悪意を持つはずがない。ということは、神が人間に与えた理性という能力も、正しく使いさえすれば、対象を正確に捉えられるはずだ。
こうして、「理性がはっきりと明確に認識したことは、真実である」という原則が、デカルト哲学の中に確立されます。
逆に言えば、神の存在が証明されていなければ、この原則も成り立たず、私たちは最初の「疑い」から一歩も抜け出せなかったということになります。
デカルト哲学は、神という土台の上に、丸ごと乗っかっているわけです。
寄り道:デカルトと信仰
デカルトというと、主体、理性、近代といったキーワードが真っ先に浮かびますよね。でも実際の彼の思想を追いかけると、驚くほど神が中心に据えられていることが分かります。
数学史家のE.T.ベルは、著書の中でデカルトの信仰について触れていて、デカルトを無神論者と見なすのは実態からずれている、という趣旨のことを書いています。デカルト自身の信仰はむしろ素朴で、祖母から教わった信仰と、自分の理性的な懐疑主義とを、同じくらい大切なものとして両立させていた、というエピソードも紹介されています。優れた頭脳というのは、時に合理性と非合理性が奇妙に同居するものだ、という指摘です。
ついでに触れておくと、デカルト=近代科学の生みの親というイメージも、実は少しズレています。
デカルトのスタイルは、むしろ数学に近いんですね。一つの確実な原理を直感でガッと掴んで、そこから芋づる式に真理を演繹していく。高い場所に絶対の真理を置いて、そこから一直線に降りてくるようなイメージです。
この数学的なやり方をお手本にして、哲学から自然学まで、学問全体を組み立て直そう。これがデカルトの野望でした。
もし、どこか別の惑星に、地球よりもずっと進んだ文明があったとしたら、そこの科学はこういう性格をしているかもしれません。そう考えると、デカルトのスタイルはある種、未来的でもあります。
ただ、実際の近代科学が歩んだ道は、これとは違います。近代科学は、認識できる範囲とできない範囲をはっきり線引きし、限られた範囲の中で仮説と実験を繰り返し、統計的に一番マシな説を暫定的に採用していく。デカルトが夢見たような、確実な真理から一直線に演繹する学問とは、かなり性格が異なります。
むしろこちらの方向性の基礎を築いたのは、イギリス経験論のロックや、ドイツ観念論のカントだと言えるでしょう。
実体という考え方
ここまでの議論を整理すると、こんな流れになります。
すべてを疑う。疑っている自分の存在だけは否定できないと気づく。その精神の中に、神の観念がある。神の存在を証明する。神が誠実である以上、人間の認識能力は信頼できる。
デカルトはこの流れの先で、もう一つ重要な発見をします。神の次に確実だと言えるもの、それが「精神」と「物体」という、二つの実体です。
「実体」という言葉、日常ではあまり使いませんが、デカルト哲学のキーワードです。定義としては、「存在するのに、他のものの力を借りる必要がないもの」を指します。
厳密に言えば、この定義に完全に当てはまるのは神だけです。神だけが、何にも頼らず存在できる、正真正銘の実体です。
ただしデカルトは、神には及ばないものの、他の被造物に頼らずに存在できる、いわば準実体のようなものとして、精神と物体の二つを挙げます。
精神の本質は何かというと、「考えること」です。他の性質をどんどん削ぎ落としていっても精神は精神のままですが、「考える」という性質だけは削れない。これがなくなったら、それはもう精神とは呼べない。
一方、物体の本質は「空間的な広がりを持つこと」です。重さや色、手触りといった性質を取り除いても、物として考えることはできます。でも、広がりのないモノというのは、そもそも想像すらできません。
そして実体というものは、定義上、他から影響を受けて姿を変えたりしません。他のものにフラフラと左右されるようなら、それは実体とは呼べないわけです。
つまり、精神と物体は、まったく別次元の存在ということになります。これが、後世に絶大な影響を与えることになる、デカルトの「心身二元論」です。
ちなみにこの「実体」という概念、デカルト以降の近世哲学を理解する上で欠かせないキーワードになっていきます。
たとえばオランダの哲学者スピノザは、実体はただ一つ、神だけだと考えました。そして精神と物体は、その唯一の実体である神が持つ無数の性質のうち、人間が認識できる二つの側面にすぎない、という立場を取ります。
またドイツの哲学者ライプニッツは、実体は無数にあると考えました。世界を構成する最小単位である「モナド」というもので、これは物質的な粒子ではなく、むしろ魂に近い性質を持つとされます。精神も物質も、すべてこのモナドの組み合わせから成り立っている、という発想です。
デカルト、スピノザ、ライプニッツ。この三人を、実体という共通のキーワードを軸に見比べていくと、それぞれの哲学がずっと理解しやすくなります。
心と身体、その接続の謎
さて、精神と物体という二つの実体を認めたことで、デカルトは新たな難問を抱え込むことになります。
心と身体は、どうやって繋がっているのか、という問題です。
心は精神の側にあります。本質は「考えること」でした。
一方、身体は物体の側にあります。本質は「広がりを持つこと」でした。
ところが、実体同士は互いに影響を与え合わない、というのが実体の定義でした。だとすると、精神である心と、物体である身体は、本来、影響を与え合えないはずです。
でも、現実はどうでしょうか。転んで足を怪我すれば痛いと感じるし、緊張すれば手が震える。心と身体は、日常的に影響を与え合っているように見えます。
この矛盾を、いったいどう説明すればいいのか。これがいわゆる「心身問題」です。デカルト以降の哲学史はもちろん、現代の脳科学の議論の中にも、この問題は形を変えて何度も顔を出します。
デカルトが出した答えは、なかなか大胆なものでした。脳の中にある「松果体」という小さな器官。ここを窓口にして、精神と身体がドッキングしているのだ、というのです。
デカルトの考えでは、人間の本質はあくまで精神の側にあります。身体は、いわば精神が乗り込んで操縦するための乗り物のようなもの。そして松果体を接続ポイントにして、精神は身体という乗り物とつながり、この現実世界を動き回っている、というイメージです。
ただ、この説明は当時の哲学者たちからも、あまり評判が良くありませんでした。「では、精神と松果体は、どうやって繋がっているんですか?」という疑問が、当然出てきますよね。問題の場所がスライドしただけで、根本的には何も解決していないように見えます。
面白いのは、この松果体をめぐる発想が、神秘学や錬金術に近い雰囲気を持っていること。デカルトは中世の錬金術的な知識にも通じていたようで、そのあたりの発想がここに顔を出しているのかもしれません。
最後に、少し個人的な見立てを挟ませてください。
デカルトの弱点は、「精神の本質=考えること」と決めつけてしまった点にあるのではないかと思います。
人間の本質を、身体よりも精神の側に置くこと自体は、決して的外れな発想ではありません。むしろ現代の学問の方が、変な方向に迷い込んでいる部分もあるくらいで、そう考えるとデカルトはかなり先進的だったとも言えます。
問題は、その精神の中身を「考えること」だけに絞り込んでしまったこと。この決めつけが、その後の近代・現代の人間に、長い苦労を強いることになった気がします。
実は「我思う、ゆえに我あり」の「思う」という言葉、デカルト自身は当初、考えることに限らず、感じることや欲することまで含めた、精神活動全般を指すつもりで使っていました。
それが精神の本質を定義する段階になって、なぜか「考えること」だけに絞り込まれていってしまうんですね。
このズレが、後の哲学にどんな影響を及ぼしていくのか。それはまた別の記事で解説します。
参考文献&おすすめ図書
デカルトの生涯はベルの『数学をつくった人々』が面白いです。
本人の著作なら『方法序説』はコンパクトですぐ読めます。ただし意外と難しいとこもあります。
個人的にはちくま学芸文庫から出ている『省察』が読みやすいと感じますが、このへんは個人差が大きいかもしれません。
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