退屈について考えるためのおすすめ本13冊
現代ほど退屈が深刻な時代はありません。
動画を見て、SNSを眺め、ゲームをし、音楽を聴く。われわれは一日中刺激に囲まれています。それにもかかわらず、「暇だ」「何をしても面白くない」という感覚はむしろ強まっているのです。
AIの発達によって仕事のあり方が変わり、自由な時間が増えていくと、この問題は今後ますます多くの人にとって切実なものになるでしょう。さらに、高齢化がそれに拍車をかけます。
退屈は単なる暇つぶしの問題ではなく、人間の生き方そのものに関わる根本的なテーマです。これを軽んじることは、われわれにとって命取りになるでしょう。
今回は、そんな退屈について深く考えるためのおすすめ本を紹介します。
パスカル『パンセ』
17世紀の哲学者による不朽の古典『パンセ』。
短い断章で思考を書き連ねていくこの作品は、実は退屈論の先駆でもあります。
古代や中世にも退屈はありました。が、現代のわれわれが直面するような実存的・心理的な退屈をはじめて言語化したのは、パスカルだったといえるでしょう。
ショーペンハウアー『幸福について』
「人生は苦痛と退屈との間を、時計の振子のように揺れ動いている」
19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアー。彼は退屈を「人間の宿命」としてシステム化し、哲学の表舞台へと引きずり出した主役です。
パスカルが退屈の心理メカニズムを見抜いた先駆者だとしたら、ショーペンハウアーはその知見をさらに推し進め、「この世界の構造上、人間は絶対に退屈から逃れられない」という壮大な哲学のレベルへと昇華させました。
主著『意志と表象としての世界』も美しく読みやすい作品ですが、最初に読むならエッセイの『幸福について』がおすすめです。
関連:なぜショーペンハウアーは哲学史の「異端」であり続けるのか【全体像を解説】
キルケゴール『あれかこれか』
キルケゴールは19世紀デンマークの哲学者。実存主義のボス的な存在として有名です。
初期の著作『あれかこれか』はタイトルだけよく知られた本ですが、実はこのなかに有名な退屈論が展開されています。
本書では、美的な生き方を象徴する人物が、人生に忍び寄る退屈から逃れるためのさまざまな工夫を論じます。なかでも有名なのが「輪作法」という考え方。農業で作物を植え替えるように、環境ではなく自分自身の見方や楽しみ方を変えることで、同じ日常の中にも新鮮さを見いだせると説きます。
もっとも、著者キルケゴールはこうした方法だけでは根本的に退屈を克服できないことも示唆し、美的な人生を超えた生き方へと議論を進めていくのですが。退屈を人間の実存に関わる問題として捉え、後世に大きな影響を与えた一冊です。


ハイデガー『形而上学の根本諸概念』
主著『存在と時間』と近しい時期に行われた講義の記録。のちに紹介するスヴェンセンや國分功一郎の著作でも大々的に取り上げられる、有名な作品です。
本書のテーマは多岐にわたりますが、そのなかで退屈論を展開しています。哲学史上でもっとも質の高い退屈論ともいわれる箇所。
時期が時期だけに、論理構成が『存在と時間』と似ています。『存在と時間』では「死」が担った機能を、本書では「深い退屈」が担っています。
平凡社ライブラリーあたりに収録されてほしいところ。
関連:『存在と時間』の次に読むべきハイデガーの本【おすすめ7冊】
スヴェンセン『退屈の小さな哲学』
ノルウェーの哲学者ラース・スヴェンセンによる良書。日本では2005年に集英社新書から発売されました。
哲学だけでなく文学、アート、心理学、社会学など様々な分野を参照しながら「退屈」という現代的な現象に光を当てていきます。著者いわく退屈は近代以降の現象であり、ロマン主義と深く関係しているとのこと。
なお本書は、次に紹介する國分功一郎にも影響を与えています。
関連:ロマン主義が退屈を生んだ スヴェンセン『退屈の小さな哲学』
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
哲学書としては異例のヒットとなった作品。
本作のメインは、前述したハイデガーの『形而上学の根本諸概念』を批判的に読み解いていくところ。
当時のハイデガーは『存在と時間』と同型の論理構成を使っていました。退屈をトリガーにして「決断」へと至る、みたいな話です。退屈という現象のおかげで人間は真に覚醒するきっかけを与えられる、といったニュアンス。
國分はその「決断志向」を批判します。むしろ退屈から逃げない術を身につけることが重要なのではないかと。この考え方は、東浩紀が「平和」について行っている思考と通じるものがあります。
関連:ハイデガー退屈論の再解釈 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
チェーホフ『桜の園・三人姉妹』
ここからは文学作品の紹介。まずはロシア文学を代表する天才のひとり、チェーホフの作品から。
彼は退屈をテーマにした作品が多いです。とくに『桜の園・三人姉妹』は最高傑作候補。
『三人姉妹』では、地方都市の退屈に埋もれながら「モスクワへ!」と空しい憧れを繰り返す姉妹が描かれ、『桜の園』では、没落の危機に瀕しているにもかかわらず、具体的な行動を起こさずに無駄話と気晴らしに終始する貴族たちが描かれます。
終わってしまった生活、時間。それでも人生は続いていく。この空虚と哀しみを描かせたら、チェーホフの右に出る者はいないでしょう。
ベケット『ゴドーを待ちながら』
チェーホフが描いた「何事も起きない日常」という退屈を、さらに極限化してしまったのが、サミュエル・ベケットの不条理劇『ゴドーを待ちながら』です。
舞台にあるのは、一本の枯れ木だけ。二人の浮浪者が、いつやって来るかもわからない「ゴドー」という人物を、ただひたすら待ち続けます。
彼らには行くあてもなく、待つこと以外にするべき義務もありません。彼らが交わすちぐはぐな会話や、その場しのぎの他愛のないやり取りは、すべて「待つという終わりのない退屈」をやり過ごすための気晴らしです。
意味のわからない、それどころか意味があるのかすらわからない作品ですが、退屈に悩まされている読者は、不思議と、本書に自分自身の姿を見出すことになります。
ブッツァーティ『タタール人の砂漠』
20世紀イタリアの作家ブッツァーティの名作。
将校ドローゴは、いつか北方の砂漠から襲撃してくるという「伝説の敵」を迎え撃つため、国境の砦に赴任します。明日こそは、来週こそはと劇的な戦い(人生の輝かしい本番)を待ち望み、日々の単調なルーティンをこなす主人公。
しかし時間は恐ろしい速度で流れていき、結局、何事も起きないまま、彼は白髪の老人となっていくのです。
いつか自分の人生にも「本番」が来ると信じ、日々の退屈を「一時的な準備期間」と見なしてやり過ごしているうちに、その退屈な時間こそが自分の人生そのものになっていく。名作です。
太宰治『待つ』
日本の小説からも一つまみ。太宰治の小品です。
文庫本でわずか4ページの超短編。しかし読者に尋常ならざる印象を残します。
新潮文庫の『新ハムレット』に収録されています。
アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』
「スマートフォンが脳にどのような影響を与えているのか」を、精神科医であるアンデシュ・ハンセンが進化論や脳科学の知見をもとに解説したベストセラー。
退屈そのものをテーマにした本ではありませんが、「なぜ現代人は退屈に耐えられなくなったのか」を理解するうえで有益です。
SNSやゲームによるドーパミン中毒に着目するのが、現代における退屈を考えるうえできわめて重要です。刺激が多すぎるせいで感覚がマヒしてしまい、何に触れても満足できなくなってしまうということ。これがわれわれの退屈を生み出す最大の要因といえます。
ニューポート『デジタル・ミニマリスト』
テクノロジーを自分の価値観に合わせて主体的に使うための哲学と実践法を提案した一冊。
本書の中心的な考え方は「デジタル・ミニマリズム」です。これは、便利だからといってあらゆるアプリやサービスを使うのではなく、自分の人生に本当に価値をもたらすものだけを厳選し、それ以外は思い切って手放すという考え方のこと。
『スマホ脳』が「なぜスマホは脳を引きつけるのか」を脳科学から説明する本だとすれば、『デジタル・ミニマリスト』は「では、どうすればスマホと健全に付き合えるのか」を実践的に教えてくれる本だと言えます。
『退屈の哲学史』
最後に拙著から紹介。退屈の観点から哲学の歴史を辿っていく本です。登場するのは以下の7名。
・パスカル
・ルソー
・ショーペンハウアー
・キルケゴール
・ニーチェ
・ジンメル
・ハイデガー
キルケゴールの『あれかこれか』とジンメルの社会哲学をカバーする本はなかなかないと思います。















