シェイクスピアと双璧を成す男 ミルトン『失楽園』
ミルトンの『失楽園』(パラダイスロスト)。
英国においてシェイクスピアと双璧をなすともいわれる詩人の最高傑作です。英文学を代表する一作でもあります。
反逆の大天使サタンと神との戦い、そしてその帰結としてのアダムとイブの楽園追放が描かれる、一大叙事詩です。
ダンテの『神曲』を再読した勢いにのって、十数年ぶりに読み返してみました。岩波文庫版は平井正穂が翻訳しているのですが、この人の訳がかっこよくて、日本語としても読みごたえあります。
上巻は堕天使勢の会議からラファエルの回想まで
『失楽園』は地獄に落とされたサタンら一行の描写からいきなり始まります。
サタンの仲間にはベルゼバブ、モーロック、バアル、ケモシら高名な神々が名を連ねます。本書では彼らはみな堕天使の扱い。彼らは神の権力に反逆するも、その強大な反撃にあって地獄に追いやられたのでした。
眼を凝らして遥か彼方を
見てみれば、忽ち眼前に浮かび上がるのは、荒涼として
身の毛もよだつ光景、戦慄すべき一大牢獄、四方八方焔に
包まれた焦熱の鉱炉。だがその焔は光を放ってはいない。
ただ眼に見える暗黒があるのみなのだ。そして、その暗黒に
照らし出されて、悲痛な光景が、悲しみの世界が、鬼哭啾々たる
影の世界が、展開している……。(ミルトン『失楽園』平井正穂訳)
サタンらは会議を開き、どうやって神に復習するか策を講じます。神と直接相対するのは無理だとわかった。ということで、神が最近新たに創造した種、すなわち人間をターゲットにします。
サタンは自らアダムとイブの楽園を偵察。この動きに気づいた神は、楽園へ天使たちを派遣します。
こうして送り出された天使ラファエルは、アダムとイブに、サタン(当時はまだルシファー)と神の戦いを物語ります。このへんの構成は独特で、物語の中盤に前日談が挟み込まれています。現代の創作物でもこのパターンたまにありますよね。
大天使ミカエルとサタンの激突に始まり、両軍入り乱れて死闘は激烈を極めたといいます。
この激突たるや(壮大無比な
事象を卑近な事象に譬えて表すとしての話だが)、自然の調和が
破れ、星座群の間に戦いが生じた場合、恐るべき衝の悪しき相の
位置から二つの遊星が飛び出し、中空において激突し、入り交って
相争う天球層を粉砕するさまもかくあろうか、と思われるほどで
あった。(ミルトン『失楽園』平井正穂訳)
ついに神は御子イエス・キリストを戦場に派遣、キリストの稲妻が悪魔軍に炸裂し、サタンらは地獄へ封印されたのでした。
下巻はラファエルの昔話からアダムとイヴの楽園追放まで
ラファエルの話はまだ続いています。
神による宇宙創世のことが語られますが、正直このへんは退屈です。ダンテの神曲の天国篇を思わせる感じ。ここは読み飛ばしてもいいかも。
天使らの警備をかいくぐり、いよいよ人間への接近を開始するサタン。彼はその身を蛇へと変身させ、イヴのもとへと近づきます。
口にすることを神によって禁じられた禁断の果実。それを食べれば神にも匹敵する知恵が得られると、サタンはイヴをそそのかします。
誘惑に屈し果実を口にするイヴ。そしてイヴが犯した罪に愕然としながらも、アダムはその後を追います。こうして二人は神の恩寵を失い、死すべき存在へと変化したのでした。ここに人類の悲しみと労苦の歴史が始まります。
一切を失うことは、
もうそれだけでも十分に重い罰なのに、――主よ、なぜそれ以上に、
果てしなき苦しみをさらにつけ加えようとされるのでしょうか?
主よ、あなたの正義は不可解としか思われません。(同書)
イヴは子孫を残さないことを、あるいはいっそ自ら命を断ってしまうことを提案しますが、アダムはそれを退けます。始めは絶望にくれてイヴとの絶交をも考えた彼でしたが、今や気を取り直し、自分たちの子孫がサタンへの復讐を成し遂げるという神の予言に賭けたのでした。
やがて大天使ミカエルは、呪われた子孫たちの運命をアダムに物語ります。アベルを殺害するカイン、地上を押し流す洪水、生き延びたノアの末裔、神の御子イエス・キリストによる罪の贖い…。
ミカエルはふたりを地上へと送り出し、ここでミルトンの『失楽園』は幕を閉じることになります。
彼らは、ふりかえり、ほんの今先まで
自分たち二人の幸福な住処の地であった楽園の東にあたる
あたりをじっと見つめた。その一帯の上方では、神のあの焔の
剣がふられており、門には天使たちの恐ろしい顔や燃えさかる
武器の類が、みちみちていた。彼らの眼からはおのずから
涙があふれ落ちた。しかし、すぐにそれを拭った。
世界が、――そうだ、安住の地を求め選ぶべき世界が、今や
彼らの眼前に広々と横たわっていた。そして、摂理が彼らの
導き手であった。(同書)
物語の続きは旧約聖書と新約聖書を読むとわかります。