コールリッジの『シェイクスピア論』詩人とは何者か
コールリッジの『シェイクスピア論』を読了。
英国ロマン派を代表する詩人コールリッジが、シェイクスピアについて語った講演録です。
かなりレアな本ですが、昨年中古屋でたまたま見つけました。ずっと積ん読状態でしたが、グリーンブラットの『暴君』(岩波新書)でシェイクスピア熱が再燃した今こそチャンスと思い、なんとか読破。
この岩波文庫版は文字遣いが古めかしいので読むのが非常に大変。
また単なるシェイクスピア批評というよりコールリッジ自身の哲学や詩人論が随所に飛び出すため、内容的にもかなりヘヴィなものになっています。やや哲学書寄りな本ですね。
まあシェイクスピアに興味がある人なら楽しめるでしょう。
コールリッジは批評家としても有名でした。ブラッドレーの『シェイクスピアの悲劇』(これも岩波文庫で読める)にも影響を与えたらしく、ブラッドレーの同書とコールリッジの本書が英国におけるシャイクスピア論の双璧と言われてたそうです。
正直シェイクスピアに作品の批評部分よりも、詩人論について語られた箇所のほうが面白かったような気もします。
コールリッジは「敬虔の念なき詩人はありえない」とし、詩歌と宗教の根源に同一のエネルギーを見定めます。
そして詩人については次のようにいいます(文字遣いは現代文にアレンジしてあります)
詩人とは成人してなお童子のような純情と素朴さとを失わない人、習慣に屈服し、あるいは俗習に拘束されることのない魂を有し、童子のような新鮮な気持ちと、驚異の念とを持って事象を観照する人、さらにこれとともに、成人した時の聡明な研究能力をも併せ持ち、知識の発見につれてますます驚嘆の念を加え、知識がもはや驚嘆を許さなくなる時は、再び嬉々として童子のような畏敬の念に満ちた驚異の感情に帰る人である。(コールリッジ『シェイクスピア論』)
詩人とは、宇宙の謎を解くための人であるとともに、彼はまたその謎が解かれていない所をも感ずる人でなければならない。物それ自身においてではなくして、世俗的な熱情や業務による知性の眼の曇りゆえに、陳腐になったものを斬新にする者は詩人である。(同書)
扱われるシェイクスピア作品は多岐にわたります。前編と後編にわかれているのですが、前編では一般的な批評が、後半では個別の作品論が展開されます。
後半の作品論では以下の6つの作品が論じられていきます。
・ロミオとジュリエット
・ジュリアス・シーザー
・ハムレット
・オセロ
・リア王
・マクベス
シェイクスピアについての批評部分では、キャラクターについて永遠性を指摘するところがもっとも印象的でした。「何人といえども、シェイクスピアの作品中に、見るとはなしに自分の姿を見せつけられる」(同書)
詩人は過去のことを記録していながら、そこに不思議なほどまでに未来の影をも投じ、そして、過去でもなければ未来でもなくして、人間性そのもののなかに存する永久不変なものの状態をどんなにかすかにでも必ず感じさせ、またどんなに朧げにでも必ず見せるのである。(同書)
これはシェイクスピアの読者であれば納得すると思う。そういえばドストエフスキーにも同じような能力がありますよね。
ブラッドレーの『シェイクスピアの悲劇』もそうですが、できれば現代の文字遣いに直した新しいバージョンで出てほしいですね。関心さえあれば読めますが、かなりの忍耐力を要するので。
ついでに言っておくとコールリッジの詩が読みたいならこれまた岩波文庫から出ている対訳詩集シリーズが圧倒的におすすめです。
左ページに英語、右ページに日本語訳という構成。日本語訳で意味を汲み取りながら、原文にふれることができます。
詩は翻訳で読んでもほとんど意味がないですからね。原文で味わえる対訳シリーズこそが至高。
このシリーズは他にもワーズワースとかポーの対訳詩集も出ています。海外の詩を読みたいなら活用を強く推奨します。