病気と健康からニーチェを読み解く 清水真木『ニーチェ入門』【書評】
ニーチェほど体系的な解説を拒む思想家もめずらしいです。
ニーチェの著作は短い断章を書き連ねるアフォリズム形式を採用することで有名です。ある時はこう言ったかと思うと、またある時にはそれと矛盾したことを言い出す。
したがってニーチェの文章をひとつの観点から整理し、「ニーチェはこんなことを言いました」と要約するのはきわめて難しいのです。
僕が知る限り、それに成功しているように見えるほとんど唯一の例外が清水真木の『ニーチェ』です。
元は講談社選書メチエから発売されていた本。いまではちくま学芸文庫で入手できます。
ニーチェは病人だった
ニーチェは重度の病人でした。後年の発狂が有名ですが、実は若い頃から病気に悩まされっぱなしの生活を送っていたのです。
20代前半で大学教授になる天才でしたが、病気を理由に退職。その後は年金をもらいながら、療養もかねてヨーロッパを彷徨します。
そんなニーチェですから、自身の哲学でも健康と病気がキーワードになります。身体に健康と病気があるように、認識にも健康と病気がある。
清水真木によると、こうして病気とその反対概念である健康こそがニーチェ思想のコアになります。
これは著者の独断ではなく、ニーチェ本人が、自身の著作に与えた序文のなかで「健康と病気」が自分の思想の核心だとコメントしています。
本書は「健康と病気」という観点からきわめて明晰にニーチェ思想のキーワードと著作を整理し、読者に明確なニーチェ像を提出してみせる良書です。
超人とは何か?永劫回帰とは何か?
一例として超人と永劫回帰を取り上げてみましょう。
健康な人間は大きな負荷に耐えることができる。逆に病人は負荷に耐えられません。
これは認識においても同じだとニーチェは考えます。健康な認識を有する人間は、より大きな負荷の思想に耐えられる。
精神が健康であればあるほど、大きな負荷を人は求めるとニーチェは判断します。そして、最大の負荷に耐えられるほど健康な人間が超人と呼ばれます。
では最大の負荷とは何か?
それが永劫回帰のアイデアです。この一生が永遠に繰り返す。ニーチェにとってこれは耐えるのが不可能なほどに大きな負荷を意味しました。
この極限の負荷に耐えられる健康体、それが超人というわけです。永劫回帰とは、人が超人であるか否かを測るための試金石、作業仮説にすぎません(宇宙の存在構造とかを述べているわけではない)。
こうしてみると永劫回帰を最大の負荷と考えるところにニーチェの特徴が見て取れますね。
たぶん人によっては、たとえば死とか自我の消滅のほうが負荷を感じると思います。永遠にこの人生が繰り返すならむしろラッキーと感じるような人。
逆にニーチェは、死というものに恐怖を感じないタイプだったんでしょうね。この人生が何回も繰り返すほうがよっぽど嫌だわと感じるタイプ。だから永劫回帰が最大の重しになるわけです。
読む価値があるのはジンメルとハイデガーとハーバーマスのニーチェ論
本書の後書きで清水も認めているように、ニーチェ解釈に定説はありません。
とはいえ強大な影響力をもつニーチェ解釈というものは存在します。著者によると、読む価値があるのはジンメルとハイデガーとハーバーマスの3人だそうです。
僕はハイデガーのニーチェ論だけ読んだことがありますね。これは平凡社ライブラリーで入手できます。
ハイデガーは清水とは真逆に、深淵で壮大な哲学体系をもった形而上学者としてニーチェを描き出します(そしてそれを自分で倒す)。
権力への意志が本質存在に、永劫回帰が事実存在に対応し、この枠組を使って存在をとらえるニーチェは西洋形而上学の終着点である、というのがハイデガーの理解。
またこれは大学での講義を元にした著作になっていて、ハイデガーの講義録は『存在と時間』に比べるとだいぶ読みやすいです。
ジンメルとハーバーマスのニーチェ論は読んだことがなかったですね。
とくにジンメルの『ショーペンハウアーとニーチェ』という作品については初めて知りました。これはいつか読んでみたい気持ち。