ショーペンハウアーの読書論【多読をしてはいけない理由】
ショーペンハウアーには『パレルガ・ウント・パラリポメナ』と呼ばれる有名なエッセイがあります。
そこから読書に関連する文章を拾ってきたのが『読書について』。
久々に再読してみましたが、やっぱりこの人の文章は面白い。
どんな内容なのか?
ざっくりポイントをまとめれば以下の2つがメインの主張です。
・多読をするな
・新刊を追いかけるな
多読をするな
ショーペンハウアーは多読に反対します。
なぜというに、自分の頭で考える力が衰えるからよくないというんですね。
読書は、他人にものを考えてもらうことである。
(ショーペンハウアー『読書について』斎藤忍随訳)
ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。
(同書)
わずかな良書を、熟慮を重ねながら熟読することが大事だとショーペンハウアーは説きます。
とはいっても、彼の言葉は割引いて受け取る必要があるとは思います。
そもそもショーペンハウアーの基準って相当高いんですよね。博覧強記の学者みたいなのをイメージしたうえで、多読はダメといってるわけです。
したがって現代日本に生きる普通の人がちょっとやそっと本を読んでも、ショーペンハウアーのいう「多読」にはならないと思われます。
実際、ショーペンハウアー自身ものすごい教養の持ち主ですからね。古今東西の古典から縦横無尽に引用しまくるあの独特の美文を読めば、それは明らか。
平均的な現代人に比べれば、ショーペンハウアーは圧倒的な量の本を読んでいるはずです。
新刊を追いかけるな
ショーペンハウアーは新刊をむやみやたらと追いかける態度を戒め、「良書だけをじっくり読め」といいます。
ではどんな本が良書なのか?
これに対して彼は「古典を読め」といいます。
読書に際しての心がけとしては、読まずにすます技術が非常に重要である。その技術とは、多数の読者がそのつどむさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さないことである。
(同書)
新刊は悪書に当たる確率がめっぽう高くなるから、すでに評価の確率した古典を読んだほうが安全だという考えです。
ついでながらいっておくと、悪書に当たる確率は、当時のドイツよりも現在の日本のほうがはるかに高いと言えるでしょう。
出版社は数撃ちゃ当たる作戦に切り替えてますからね。
しかも悪書は役に立たないだけでなく、時間とお金を吸い取ります。時間やお金は有限ですから、悪書にリソースを割くほどに、良書からは遠ざかってしまうわけです。
すなわち悪書は、読者の金と時間と注意力を奪い取るのである。この貴重なものは、本来高貴な目的のために書かれた良書に向けられてしかるべきなのに、金銭めあてに、あるいは官職ほしさに書かれるにすぎない悪書が、横から略奪するのである。したがって悪書は無用なばかりか、積極的に害毒を流す。
(同書)
こうして、良書を読むコツは悪書を読まないことにあり、悪書を排除するには新刊を追いかけないことが重要だという話になります。
『幸福について』も必読
ショーペンハウアーのエッセイでは『幸福について』も名著です。
「幸福は幻想である」と説くショーペンハウアーの幸福論。
彼の文章や考え方が気に入ったのなら、こっちも読んでみることをオススメします。
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ショーペンハウアーの主著は『意志と表象としての世界』で、これは中公クラシックスから全3巻で出ています。
長いのが欠点ですが、カントとかヘーゲルに比べれば圧倒的に読みやすい。
美しい文章を綴る哲学者といえばプラトン、ニーチェ、ショーペンハウアーが三強じゃないですかね?
関連:ショーペンハウアー哲学をわかりやすく解説【意志と表象としての世界】
なお他の読書術の名著については以下の記事を参考のこと。