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シェイクスピアのリア王はどう読まれてきたか【解釈の歴史】

2026年2月11日シェイクスピア

シェイクスピア四大悲劇の一角にして、最高傑作候補にも名前が挙がる『リア王』。

善人が救われず、悪が必ずしも罰されないこの作品は、時に「暗すぎる悲劇」として拒絶され、時に「人類最高の悲劇」として称賛されてきました。

以下、『リア王』が時代ごとにどのような意味を与えられてきたのかをたどりながら、この作品が持つ異様な力の正体を考えていきます。

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リア王はどんな作品か

『リア王』は、シェイクスピア四大悲劇の一つに数えられる作品であり、人間存在の根底を揺さぶるきわめて過酷な悲劇です。

物語は老いた王リアが、自らの王国を三人の娘に分け与えるという決断から始まります。愛を言葉で測ろうとしたリアは、率直に愛を誇示しなかった末娘コーディリアを退け、甘言を弄する二人の娘に権力を委ねます。が、この判断の誤りが、家族の崩壊と国家の混乱、そして取り返しのつかない悲劇へと連鎖していくのでした。

『リア王』では、親子関係、権力、老い、狂気、言語の欺瞞といった主題が幾重にも重なり合い、人間が拠って立つはずの秩序が次々と崩壊していきます。

とくに印象的なのは、王という社会的役割を失ったリアが、嵐の荒野をさまよう中で、裸の人間として世界と向き合わざるを得なくなるシーンです。ここで描かれるのは、苦しみと恐怖にさらされた、裸の実存です。

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雷鳴の荒野をさまようリアの姿には、おそらくは全文学でも屈指のカタルシスがあります。

また、『リア王』は善と悪の明確な対立を描く作品でもありません。誠実な人物が必ずしも救われるわけではなく、悪意に満ちた行為が即座に罰されることもありません。物語の終盤においてさえ、世界が道徳的に回復したという感触は与えられず、観る者・読む者に強い不安と空虚感を残します。

この点において本作は、後の時代に「救済なき悲劇」「不条理の先駆」として読まれる素地をすでに備えています。

同時に、『リア王』は読み手の時代や価値観を鋭く映し返す作品でもあります。道徳的教訓の物語としても、宗教的救済のドラマとしても、あるいは意味の崩壊を描いた冷酷な悲劇としても読めてしまう。

その解釈の振れ幅の大きさが、『リア王』をシェイクスピア作品の中でもとりわけ危険で、挑発的なものにしています。

 

18世紀的解釈:道徳悲劇・秩序回復の物語

18世紀イギリス、いわゆるネオ・クラシシズムの時代において、『リア王』は現在私たちが読む姿とはかなり異なる作品として受け取られていました。

当時の批評家や観客にとって、シェイクスピアの原作はあまりにも暗く、残酷で、救いがなさすぎると感じられていたのです。悲劇であっても、最終的には道徳的秩序が回復されるべきだ、という古典主義的な価値観が強く共有されていました。

その代表例が、1681年にナフム・テイトによって改作された『リア王』です。

このテイト版では、原作の最も衝撃的な要素が大胆に書き換えられました。コーディリアは処刑されることなく生き延び、リア王も狂気から回復します。そして物語の最後には王権が回復され、世界は再び安定した秩序のもとに置かれるのです。

いわば『リア王』は、悲惨な結末をもつ悲劇ではなく、苦難を経て正義が回復する物語へと変えられました。

この時代の読み方において、リア王は根源的に悲惨な存在ではありません。むしろ彼は、誇りと短慮ゆえに判断を誤った王であり、その過ちによって罰を受け、苦しみのなかで徳と自己認識を学ぶ人物として理解されました。

悲劇の意味もまた、世界の不条理を示すものではなく、人間に道徳的教訓を与えるものと考えられていました。すなわち、過剰な自尊心が破滅を招き、罰と苦難を通して悔悟に至るという、分かりやすい倫理的図式が前提とされていたのです。

このような解釈の背後には、世界は最終的に合理的であり、正義と秩序は必ず回復されなければならない、という強固な世界観がありました。

18世紀的な『リア王』理解は、作品そのものよりもむしろ、その時代が共有していた「悲劇とはこうあるべきだ」という規範を、鮮やかに映し出しています。

 

ロマン主義的解釈:宇宙的・形而上学的悲劇

19世紀前半、ロマン主義の時代に入ると、『リア王』に対する評価は劇的に変化します。

18世紀的な道徳悲劇としての読みは後退し、この作品はむしろ、人間精神の極限と存在の深淵を描き出した、比類なき悲劇として称揚されるようになりました。

その転換を主導したのが、コールリッジ、シェリー、キーツといったロマン主義の詩人・批評家たちです。

彼らにとって『リア王』は、道徳的教訓を与えるための物語ではありませんでした。そこに見いだされたのは、人間が世界と向き合うときに避けがたく直面する、圧倒的な苦悩と孤独です。

リアの苦しみは個人的な失敗の結果ではなく、人間存在そのものが背負わされた根源的な運命として理解されました。この解釈において、リア王は特定の歴史的な王ではなく、「人間」という存在の象徴とみなされます。

とりわけ象徴的に読まれたのが、荒野に吹き荒れる嵐の場面です。ロマン主義的解釈では、嵐は単なる自然現象ではなく、リアの内面に渦巻く激情と混乱を外化したものであり、同時に、人間の理性や道徳を容易に打ち砕く宇宙的混沌そのものを示しています。自然と精神、内と外が呼応し合うこの場面に、ロマン主義者たちは強い魅力を感じました。

また、コーディリアの存在も特別な意味を帯びます。彼女は雄弁な言葉によって愛を誇示することを拒み、沈黙を選びます。その沈黙は欠如ではなく、言語以前の純粋な真理、条件づけられない愛の表れとして理解されました。言葉がしばしば虚偽や欺瞞に堕する世界において、コーディリアは人間がなお保持しうる最も高貴な可能性を体現する存在と見なされたのです。

ロマン主義的解釈において、『リア王』は、世界が合理的秩序や道徳的意味によって支えられているという前提そのものを揺るがす作品として読まれました。

それは、世界が意味をもたないかもしれないという根源的な恐怖を、文学として初めて真正面から描き出した悲劇であり、その点にこそ『リア王』の偉大さがあると考えられたのです。

 

20世紀前半:キリスト教的悲劇/救済の物語

20世紀前半になると、『リア王』は再び別の角度から読み直されるようになります。

この時期に強まったのが、作品をキリスト教的な悲劇、あるいは救済の物語として理解する解釈です。この読みはT.S.エリオット以前から芽生えていましたが、彼を含む20世紀初頭の批評によって、より体系的に語られるようになりました。

この解釈において、リアの苦難は単なる不幸の連鎖ではありません。それは受難、すなわち意味をもった苦しみとして理解されます。

権力と虚栄に満ちた王としてのリアは、娘たちの裏切りと狂気、そして荒野での放浪を通じて、徹底的に打ち砕かれていきます。その過程で彼は、王であることに依存していた「虚偽の自己」を剥ぎ取られ、肩書きも権威も持たない、裸の人間へと変えられていきます。

この裸の状態に至ってはじめて、リアは他者の苦しみを真に理解できるようになります。嵐の中で彼が貧者や弱者の存在に思いを向ける場面は、その象徴です。

かつては見ようともしなかった人間の痛みに気づくこと、それ自体が、苦しみを通じて得られた認識であり、精神的な成長と見なされました。

そして物語の終盤、コーディリアとの再会と和解は、この解釈において決定的な意味を持ちます。それは失われた愛の回復であると同時に、魂の救済の瞬間でもあります。

たとえ外的な世界においては破滅が避けられず、最終的にコーディリアが死に、リア自身も命を落とすとしても、その内面では和解と赦しが成就していると考えられたのです。

このような読み方に立てば、『リア王』の世界はたしかに残酷で、理不尽に満ちていますが、しかし同時に、その残酷さのただ中でこそ、人間は恩寵に触れる可能性を与えられている、ということになります。

救済は現世的な成功や秩序の回復としてではなく、苦しみの経験を通じて、内面的に訪れるものとして理解されているのです。

 

戦後的解釈:不条理劇・救済なき世界

第二次世界大戦後になると、『リア王』はそれまでとは決定的に異なるトーンで読み直されるようになります。

アウシュヴィッツや広島を経験した後の世界において、苦しみが救済へとつながるという前提そのものが強く疑われるようになりました。その文脈の中で、『リア王』はしばしばベケット以後の不条理劇に通じる作品として理解されるようになります。

この戦後的解釈では、物語の中に道徳的な因果関係や神の正義を見いだそうとする試みは、ほとんど意味を失います。善人であろうと悪人であろうと、人は同じように無残に死んでいきます。

コーディリアの死はとりわけ象徴的であり、そこには徳が報われるという保証も、超越的な正義の介入も存在しません。世界は沈黙しており、神の正義はどこにも姿を現さないのです。

また、リアが苦しみを通じて得た認識も、この解釈では救いとはみなされません。彼はたしかに多くを学び、他者への共感や自己認識に到達しますが、その理解はあまりにも遅すぎます。世界はすでに破壊され尽くしており、認識はもはや何一つをも変える力を持ちません。学ぶことと報われることのあいだに、必然的な結びつきはないのです。

この読みを最も強烈に提示したのが、ポーランドの批評家ヤン・コットです。コットにとって『リア王』は、人類史に繰り返されてきた権力闘争の縮図でした。王が倒れ、次の支配者が現れ、再び暴力と裏切りが連鎖する。その過程に意味や進歩はなく、あるのは無意味なゲームの反復だけです。リアの物語は、歴史という巨大な装置が個人を踏み潰していく様を凝縮したものにほかなりません。

この戦後的解釈の結論は、きわめて冷酷です。最後に残るのは救済でも秩序でもなく、廃墟だけです。リアは学び、理解に到達したかもしれません。しかし、世界はその努力に対して何の報いも与えない。『リア王』は、人間の認識と世界のあり方が根本的にすれ違っていることを、徹底的に突きつける作品として読まれるようになったのです。

関連:サミュエル・ベケットとは何者か?全体像と代表作を解説

 

トルストイとリア王

ここでロシアの文豪トルストイのリア王評にもふれておきます。

トルストイの『リア王』批判は、シェイクスピア批評史の中でもとくに有名で、かつ極端なものです。

しかもこれは単なる好みの問題ではなく、トルストイ晩年の思想そのものと深く結びついているのでした。


1. トルストイのシェイクスピア批評の位置づけ

トルストイは1903年に「シェイクスピアとドラマについて」という長文の批評を書きました。

この論考で彼は、

  • シェイクスピアは過大評価されている
  • とりわけ『リア王』は最悪の作品である

と、ほぼ全面否定を行います。

当時すでに「シェイクスピア=人類最高の詩人」という評価が確立していたため、この批判は大きな衝撃を与えました。


2. トルストイによる『リア王』批判の核心

① 人物造形が不自然で不道徳

トルストイはまず、登場人物の行動が心理的に不自然だと批判します。

  • なぜリアは、あれほど簡単にコーディリアを追放するのか
  • なぜ娘たちは、ここまで残酷になれるのか
  • 行動の動機が誇張され、説得力を欠いている

彼にとってこれは、人間の真実を描いていない、人為的で芝居がかった人物造形でした。

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この点は、トルストイがドストエフスキーを評価しない理由とも重なりますね。

② 言葉遊びと修辞の濫用

トルストイは、シェイクスピアの文体そのものを強く嫌いました。

  • 比喩が過剰
  • 修辞が自己目的化している
  • 言葉が感情や道徳の真実を隠している

特に『リア王』については、

本来深刻であるべき場面が、大げさな言葉の洪水によって空虚になっている

と断じています。

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一般的に、異常なほど華麗な言葉の洪水を面白がれるかどうかで、シェイクスピアのファンになれるかどうかは決まってくると思います。

③ 道徳的中心が存在しない

トルストイにとって最大の問題はここです。

彼は文学に、

  • 明確な道徳的立場
  • 善悪の方向づけ
  • 人生をよく生きるための指針

を要求しました。

しかし『リア王』では、

  • 善が報われない
  • 悪が必ずしも罰されない
  • 苦しみが意味を持たない

ように見えます。

トルストイはこれを、道徳的に有害であり、人間を混乱させる芸術だと考えました。


3. なぜトルストイはそこまで否定したのか

この批判は、単なる文学論争ではありません。

① 晩年トルストイの芸術観

晩年のトルストイは、

  • キリスト教的無抵抗主義
  • 愛と隣人愛の実践
  • 民衆にとって理解可能な芸術

を強く重視するようになります。

彼の有名な芸術論では、

芸術とは、人を道徳的に善くするものでなければならない

とされます。

その基準から見ると、

  • 貴族的
  • 修辞的
  • 道徳的に曖昧

なシェイクスピアは、完全に失格でした。


② 「世界は不条理かもしれない」という思想への拒絶

とくに重要なのはここです。

『リア王』が突きつける、

  • 世界は必ずしも正義に沿っていない
  • 苦しみが報われる保証はない

というヴィジョンは、トルストイが人生をかけて拒否しようとしたものでした。

彼にとって文学は、

  • 世界は意味を持つ
  • 人間は善へ向かえる
  • 苦しみは救済につながる

という希望を示すものであるべきだったのです。


4. トルストイの批判は間違っているのか?

現在の評価では、

  • トルストイの批判は一面的
  • シェイクスピア理解としては偏っている

とされることが多いです。

しかし同時に、

  • なぜ『リア王』が恐ろしいのか
  • なぜこの作品が「救済なき世界」を感じさせるのか

を、誰よりも正確に嗅ぎ取っていたとも言えます。

皮肉なことに、トルストイが拒絶した理由そのものが、20世紀以降に『リア王』が評価される理由になったとも言えるわけですね。

 

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