アメリカ哲学の源流ウィリアム・ジェイムズ『プラグマティズム』【書評】
アメリカ哲学の原点はどこか?
その一つはウィリアム・ジェイムズのプラグマティズムにあると言われています。実際、アメリカの思想家でジェイムズからまったく影響を受けていない人物はまずいないでしょう。
プラグマティズムとは、概念の真偽をその概念が現実に与える効果で測ろうとする考え方です。
たとえばある人物がなんらかの神概念をもち、善行を施しまくり、世の中をよくしたとしましょう。プラグマティズムの観点からすると、この人物がもつ神概念は「善」であるだけでなく、「真」でもあります。
ちなみにジェイムズは日本人にも影響を与えました。たとえば日本を代表する哲学者・西田幾多郎は、そのキー概念「純粋経験」をジェイムズから拝借しています。また夏目漱石がジェイムズを愛読していたことも有名な話ですね。
パースとジェイムズ
ただしジェイムズに先行者がいなかったわけではありません。実はジェイムズはとあるアメリカ哲学者の思想をアレンジして、その哲学を完成させました。
その人物というのがチャールズ・サンダーズ・パースです。
プラグマティズムという名前を発明したのはパースですし、その方法論もパースが考え出したものにほかなりません。
ジェイムズはパースのプラグマティズムを発展させ、さらに幅広い分野に応用したのです。
パースが科学や論理の対象に集中したのに対し、ジェイムズはプラグマティズムによって哲学や宗教、道徳の問題まで解こうとしました。
パースとジェイムズには直接の交友もあったのですが、パースは自身のプラグマティズムがこのように拡大解釈されることを、苦々しく思っていたようです。
論理実証主義系はパース、ローティ以降はジェイムズ
アメリカ哲学は20世紀の中頃に大きな変化を経験します。第二次世界大戦が勃発したことで、ヨーロッパから大量の学者が流れ込んできたのです。
それ以降、アメリカの学問はヨーロッパからの亡命者が主導することになりました。哲学の分野でもそれは変わりません。
ヨーロッパの哲学者がアメリカに持ち込んだのが論理実証主義であり、この論理実証主義と融合することで、プラグマティズムはパース的な性格を取り戻していきます。科学や論理だけに自らの作動範囲を狭めたのですね。
しかし20世紀も後半になると、リチャード・ローティらのネオプラグマティズムによって、この潮流はふたたび反転します。
プラグマティズムはその対象を、あらゆる分野に拡大していく。プラグマティズムがジェイムズ的な性格を取り戻したのです。しかもローティの思想はジェイムズ以上にライディカルな面があります。
ちなみにローティの考え方を知るには『リチャード・ローティ ポストモダンの魔術師』が鉄板です。
キリスト教とジェイムズ
ジェイムズはプラグマティズムの立場から宗教を尊重しました。宗教とは経験的な事実なのであり、人間からそれを取り去ることはできないと。
経験論者が宗教を否定し、合理論者が宗教を肯定する。この構図が当然だった当時において、ジェイムズはむしろ、経験論の徹底によって宗教の価値を取り出したのです。
ただしカトリック教会はジェイムズを認めませんでした。機能主義的な神の存在証明が問題となったのですね。
プラグマティズムはいわば、「役に立つから神の概念や宗教は必要だ」と言っているに等しい面があります。
教会からすればこれは冒涜であり、役に立とうが立つまいが、人間の利益とは関係なく真であるのが神なのだ、という主張になるでしょう。
ジェイムズの宗教論が展開された本が『宗教的経験の諸相』です。
こちらも古典的な名作。ウィトゲンシュタインが愛読したことでも知られます。
僕もこの本がいちばん面白い(そして重要)と思いますね。