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網野善彦は日本史をどう変えたのか【業績&おすすめ本解説】

私たちが学校で学んできた日本史像は、実はきわめて限定された視点に基づいていた。この事実を、最も鮮烈なかたちで突きつけた歴史学者が網野善彦でした。

海や川、山を生業の場とした人びと、国家や領主の支配から自由な空間、そして後醍醐天皇に象徴される「異形」の王権。

網野の仕事は、日本史の周縁に追いやられてきた存在を中心に据え直し、日本社会と権力の構造そのものを問い返します。

本記事では、具体的に網野善彦の何が凄いのかを解説し、さらに読みやすい代表作を紹介していきます。

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網野善彦は何がすごいのか?

日本列島

網野善彦のすごさは、一言でいえば、「日本史の前提そのものを問い直したこと」にあります。

彼は新しい事実を少し付け加えたのではなく、私たちが当たり前だと思ってきた「日本社会とは何か」「日本人とは何か」という枠組み自体を揺さぶりました。

農民=日本社会の基礎という通念を崩した

まず最大の功績は、農民=日本社会の基礎という通念を崩したことです。

戦後日本史学では、網野以前からマルクス主義史学の影響もあり、農民を生産の担い手・社会の中心として描く見方が強くありました。

網野はこれに対し、中世史料を丹念に読み直すことで、海民・河民・山民・職人・芸能民・商人など、農業に直接従事しない人びとが社会の中枢を担っていた現実を浮かび上がらせました。

日本社会は決して「農民一色」ではなかった、という指摘は、教科書的な歴史像を根底から変えました。

「無縁・公界・楽」という概念の再発見

次に重要なのは、「無縁・公界・楽」という概念の再発見です。

網野は中世日本において、国家や領主の支配から部分的に自由な空間や人間関係が存在していたことを示しました。寺社の境内、港、市、遊女や芸能民の世界などは、単なる周縁ではなく、権力秩序とは異なる論理で動く社会的空間だったとされます。

これにより、中世日本は「抑圧的な封建社会」一色ではなく、流動性と多様性をもった社会として再構成されました。

天皇・国家・日本という概念を歴史化

また網野のすごさは、天皇・国家・日本という概念を歴史化した点にもあります。

彼は「日本」「日本人」「天皇制」を不変のものとして扱うのではなく、特定の時代に形成された歴史的産物として分析しました。

たとえば、天皇が常に全国を支配していたわけではなく、地域社会では天皇や国家がほとんど意味を持たない場合もあったことを、史料に基づいて示しています。これは、ナショナルな歴史観への強烈な批判でもありました。

史料の読み方そのものを変えた

さらに、網野の仕事は史料の読み方そのものを変えた点でも画期的です。

彼は文書に書かれていることを額面通りに信じるのではなく、「なぜこの言葉が使われているのか」「書かれていない人びとは誰か」という問いを徹底しました。

その結果、従来の歴史学では「取るに足らない」とされがちだった断片的な記録から、周縁に追いやられていた人びとの姿を復元することに成功しました。

学問の成果を社会に開いた

最後に、網野善彦は学問の成果を社会に開いた歴史家でもありました。

『無縁・公界・楽』『日本の歴史をよみなおす』『日本社会の歴史』などの一般向け著作を通じて、専門研究の成果をわかりやすく提示し、「歴史は専門家だけのものではない」という姿勢を貫きました。

その影響は、研究者だけでなく、教育現場や一般読者にも及び、日本人の歴史意識そのものを変えたと言ってよいでしょう。

 

網野善彦史学はどこが批判されているか?(最新研究の視点)

理論的・方法論的な抽象性・論理の難解さ

網野史学の中心概念である「無縁・公界・楽」「非農業民の自由と平和」といった説明は、具体的歴史事実との結びつきが弱く、抽象論に終始しているとの批判があります。

例えば、石井進などの歴史学者は、「無縁」と「有主」の相互規定に関する論理は抽象的すぎて、具体史料に基づいた再現性が低いと指摘しています。具体的には、「私的所有=近代的所有権」の位置づけや、「無縁性=自由・平等」といった網野の解釈が現実の史料像と乖離している可能性が議論されています。

こうした批判は、網野の無縁論の具体的な歴史像が必ずしも明確ではないことを問題視しています。

実証主義的観点からの疑義

近年の中世史研究では、「実証主義的な史料の精密な分析」が重視されるようになっており、網野が提示した大局的・全体像型の叙述が個別史料の裏付けとして弱いという批判が出ています。

つまり、地域・時期による差異を詳細に検討する実証研究が進む中で、網野史学のような総体的説明は史料解釈の細部との整合性で再検討が求められているという問題提起です。

これは、歴史学界全体の方法論の変容とも関連しています。

政治的・イデオロギー的傾向の検討

呉座勇一らによる史学史研究では、網野が戦後左派史学・マルクス主義的な影響を受けつつも独自の歴史像を展開した点を史学史的に批判的に再検討する動きがあります。

これらの研究では、網野史学の形成過程として、マルクス主義的な枠組みや戦後日本社会の知的背景がどのように作用したかを検証し、網野の理論的前提が思想史的文脈と切り離せないことを明らかにしようとしています。

これは、網野史学の価値を否定するものではなく、その構築過程をより厳密に理解しようとする最新の史学史的批判です。

教科書的な受容とのズレ

実務的な教育現場において、網野史学が標準的な教科書叙述に取り入れられるには至っておらず、批評的歴史学としての影響力と教育的普及のギャップが存在するという見方もあります。

これは直接の学術批判ではありませんが、網野史学が「象徴的影響」を持つ一方で、歴史教育全体にはまだ浸透していないという現代的な評価の一側面です。

 

網野善彦のおすすめ本5選&合わせて読みたい本

『日本の歴史をよみなおす』

『日本の歴史をよみなおす』は、網野の思想と方法を最も分かりやすく示した入門的な著作です。

本書で網野は、日本史が長らく「農民を基礎とする国家の歴史」として語られてきたことに疑問を投げかけます。

中世社会を支えていたのは農民だけではなく、商人、職人、海民、芸能民、宗教者など、農業と距離をもつ多様な人びとでした。にもかかわらず、彼らは史学の中で周縁化されてきた。

本書は、そうした人びとを歴史の中心に据え直し、「日本社会とは本来どのような構成をもっていたのか」を問い直します。

平易な文章で書かれている一方で、国家・天皇・日本という概念が歴史的に形成されたものであることを明確に示しており、一般書でありながら強い批判性を備えた一冊です。

『無縁・公界・楽』

『無縁・公界・楽』は、網野史学の理論的中核をなす著作。

中世日本において支配や身分秩序から部分的に自由な空間や人間関係が存在していたことが、膨大な史料をもとに論じられます。

寺社の境内、港、市、遊女や芸能民の世界などは、「無縁」「公界」「楽」と呼ばれ、領主的支配の論理とは異なる原理で成り立っていました。網野は、こうした空間が単なる例外ではなく、中世社会を構成する重要な要素であったことを明らかにします。

中世を閉鎖的な封建社会とみなす通俗的理解を覆し、日本社会に内在していた流動性と多様性を鮮やかに描き出した点で、網野の代表作中でも最も学術的影響力の大きい一冊と言えるでしょう。

『異形の王権』

『異形の王権』で網野善彦が正面から取り上げるのは、建武政権を樹立した後醍醐天皇です。

後醍醐は、武家政権のもとで形式化していた天皇権威を実質的な政治権力として回復しようとした人物であり、日本史の中でも例外的な存在でした。

網野は、この「例外性」を単なる失敗した改革者として片づけるのではなく、王権が本来もっていた異質な性格が露呈した瞬間として捉え直します。

この書は、「正常な国家」「合理的な政治」という近代的基準そのものを相対化し、日本史における権力の成立条件を根本から考え直す契機を与えました。

その意味で『異形の王権』は、単なる天皇論でも中世政治史でもなく、日本の権力とは何かを根底から問う思想的著作であり、網野史学が到達した最も挑戦的な成果の一つだと言えます。

『日本社会の歴史』

岩波新書から上中下の三巻で出ている通史です。

日本史は一人の著者が全部を書く通史はまれです。キャッチーさのない研究書が多いんですよね。

その点、網野の筆で日本史の全体像を追える本書は貴重です。

『網野善彦 対談セレクション』シリーズ

こちらは著作ではなく網野善彦が行った数々の対談を集めた本。最近、岩波現代文庫で文庫化されました。

対談集は気楽に読めて面白いものです。一種の耳学問というのか、著作を読むよりも負荷が少なく、内容がスルスル入ってきます。

歴史学者だけでなく、司馬遼太郎や永井路子といった小説家も対談相手に登場し、すこぶる面白い。

呉座勇一『戦後歴史学の史学史的研究―日本中世史の政治的性格を中心に』

呉座による網野善彦の研究史的再検討。

網野がどのような思想史・史学史的背景から史学を展開したかを分析しています。

 

以上、網野善彦の解説&おすすめ著作紹介でした。

石母田正の解説記事はこちら↓

その他、日本史のおすすめ本まとめはこちら↓

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Posted by chaco