スピノザ『知性改善論』エチカへの導入
スピノザの主著といえば『エチカ』。
そして『エチカ』への導入となる重要な本がこの『知性改善論』(岩波文庫)です。
全体で120ページ、本文だけならおよそ80ページの小ぶりな書。
本書は次の有名な文章から始まります。
一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ前あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した、我々のあずかりうる真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるようなあるものが存在しないかどうか、いやむしろ、一度それを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるようなあるものが存在しないかどうかを探求してみようと。(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳)
スピノザの生涯をみると、彼はこの最高のものを、宗教者のように、見出していたのではないかと思えなくもありません。
本書のタイトルは『知性改善論』ですが、スピノザのいう知性の改善とは「もっと頭良くなるべき」みたいなニュアンスではありません。
そうではなく、「私たちが神の一部であることをはっきりと認識できるようになろう」といったような意味です。
スピノザの思想は汎神論と呼ばれ、存在する唯一の実体は神、それ以外の存在者はすべて神の様態(パーツみたいなもの)とされるのでした。
神の一部である僕たちが、神を認識できるようになること。そこに知性の役割はあるのであり、また人間の最大の幸福もある。
スピノザはそう主張します。
エチカへの導入が知性改善論
『知性改善論』で語られるのは方法論と認識論です。
エチカ的な形而上学は出てきません。神が実体でそれ以外のすべてはその一部で、みたいな話はほとんど出てこない。
本書が取り扱うのはその前段階となる議論です。正直かなり地味でマニアックな議論。読み物として楽しむのはきわめて難しいでしょう。
本文はわずか80ページほどなので、これなら今の僕にも読めるかと思いチャレンジしたんですね。
その結果、40ページ目あたりで無事挫折しました。年齢を重ねるにつれ、こういうガチガチの理論書がぜんぜん読めなくなってきた。
しかし巻末の訳者解説が有益で、得るものはありました。
実はこの『知性改善論』は失敗作で、未完に終わっています。
なぜうまく行かなかったのか?
訳者によると問題は、神と個物をつなぐロジックをスピノザが発見できなかったことに起因するそうです。
全体としての一なる神から、なぜ、どうして、無数の個物が流出してくるのか?
このテーマは古今東西の宗教や思想で問われてきたものですが、訳者のいうことが正しいとすると、スピノザにもこの問題が見られるということなのでしょう。
そして興味深いことに、この問題は『エチカ』でも解決されずに残っているとされます。エチカは幾何学の論証みたいな書き方をしているので、それがうまくごまかされているだけだと。
ここらへんをうまく解決しているのはヘーゲルだと思いますね。
ヘーゲル哲学は実はスピノザの神の動態化なのですが、彼の考えでは神は自分を展開することで成長し、己を知っていくのです。
この成長のために、個物への分化が必要とされるわけですね。
ちなみにニール・ウォルシュの「神との対話」シリーズで神が言うには、神がわざわざこの世へ分化するのは、「知っていることを体験するため」だそうです。
ということで、今回はスピノザの『知性改善論』でした。
ついでに紹介しておくと、スピノザに入門するなら上野修『スピノザの世界』(講談社現代新書)がおすすめ。
非常にわかりやすく、読み物としてもおもしろいです。