なぜヒュームは近代哲学の臨界点なのか【哲学・政治・経済・歴史・宗教を貫く経験論の思想】
デイヴィッド・ヒュームは、たいてい「経験論の哲学者」として紹介され、それで済まされてしまいます。
しかし彼の仕事は、認識論にとどまりません。
政治、経済、歴史といった領域にまで射程を広げ、人間とはどのような存在か、社会はいかに成立しているのかを、徹底して現実的な視点から考え抜いた思想家だったのです。
そして、その思考の射程は現代にまで及びます。
ラッセルはヒュームのことを「もっとも重要な哲学者のひとり」と書き、廣松渉は「近代哲学はヒュームで行きつくところまで行った」と評しています。
この記事では、そのヒュームの全体像を整理し、わかりやすく解説していきます。
主著『人間本性論』
ヒュームの主著『人間本性論(A Treatise of Human Nature)』は、彼の思想の出発点であり、後の政治・経済・歴史理解を支える基礎理論が展開された著作です。
彼の著作のなかではもっとも難解なものですが、問題意識は明快です。それは「人間とは、いかなる存在か」を、形而上学ではなく経験に即して解明することでした。
『人間本性論』は三つの篇から成ります。
・第一篇「知性について」
・第二篇「情念について」
・第三篇「道徳について」
ヒュームはこの順序にも意味を込めています。
人間を理解するには、まず知性の働きを分析し、次に感情や欲望を扱い、最後に道徳や社会秩序を考察すべきだ、という立場です。
第一篇「知性について」
第一篇「知性について」でヒュームが行ったのは、近代合理主義への根本的な批判でした。
彼は人間の心的内容を「印象」と「観念」に区別し、すべての観念は最終的に感覚や感情という印象に由来すると主張します。
ここから、因果関係や実体、自我といった伝統的な哲学概念が厳しく検討されます。
特に有名なのが因果性批判で、私たちが「原因と結果」を必然的な関係だと信じているのは、理性による把握ではなく、繰り返しの経験から生じた習慣にすぎない、とされます。
この見方は、人間の思考が論理よりも経験的パターンに依存していることを示しています。
第二篇「情念について」
第二篇「情念について」では、人間行為の原動力としての感情が分析されます。
ヒュームはここで「理性は情念の奴隷である」という有名な立場を明確にします。
理性は手段を計算することはできても、目的そのものを与えることはできません。欲望や嫌悪、誇りや同情といった情念こそが、人間を動かしているという理解です。
この点は一見すると副次的に見えますが、後の道徳論や政治思想を理解するうえで重要な前提になります。
第三篇「道徳について」
第三篇「道徳について」では、善悪の判断が理性ではなく感情に基づくことが論じられます。
私たちは道徳的行為を「論理的に正しいから」評価するのではなく、「是認したくなる感情」を抱くから評価するのです。
ここからヒュームは、正義や所有権、約束といった社会制度が、抽象的な理性設計ではなく、人間の性向と社会的必要性の積み重ねによって成立してきたものだと説明します。
有名な「黙約(tacit convention)」の発想も、この文脈で登場します。
『人間本性論』は出版当時ほとんど評価されませんでした。ヒューム自身が後年「死産だった」と語ったほどです。しかし、その内容は後の著作すべての基盤となりました。
理性万能主義を退け、人間を習慣・感情・社会的慣行の束として捉えるこの視点は、政治学者・経済学者・歴史家としてのヒュームを理解する鍵ともなっています。
ここでは細かな議論には立ち入りませんでした。主著『人間本性論』のくわしい解説は、noteに書いています。
政治学者としてのヒューム:保守主義のルーツ
ヒュームはおもに認識論の文脈で語られますが、同時に、重要な政治思想家でもあります。
そしてその政治思想は、後世の保守主義の源流の一つとして位置づけられることがあります。
ただし、ヒューム自身は体系的な政治理論を構築したわけではなく、むしろ人間本性の分析から「政治とは何が可能で、何が不可能か」を冷静に見極めた思想家でした。
ヒュームの政治思想の前提にあるのは、人間理性に対する深い不信です。
『人間本性論』以来、彼は理性が世界や社会を設計できるという発想を一貫して疑ってきました。人間は理性的存在である以前に、習慣や感情、利害によって動く存在です。
この見方は、政治においても決定的な意味を持ちます。社会制度を抽象的な理念から一挙に設計し直そうとする試みは、人間の実際のあり方を無視しており、必然的に混乱を招くとヒュームは考えました。
ヒュームが重視したのは、歴史の中で徐々に形成されてきた制度や慣行です。
所有権、法、政府の権威といったものは、理性による契約や明示的な合意から生まれたのではありません。
むしろ、人々が互いの利害を調整する過程で、便利だから、安定するから、という理由で受け入れてきた「黙約」によって支えられています。
ここで言う黙約とは、明文化された社会契約ではなく、長い時間をかけて共有されるようになった暗黙の了解のことです。
この点でヒュームは、社会契約論の典型であるホッブズやロック、さらにはルソーとも距離を取ります。
国家や政府の正当性を、理性的な契約というフィクションに還元することは、歴史的事実にも人間心理にも合致しないと考えたのです。
人々が政府に従うのは、原初の契約を覚えているからではなく、従う方が秩序と利益をもたらすという経験的理解が共有されているからにほかなりません。
このような考え方は、後の保守主義思想と強く共鳴します。
とりわけエドマンド・バークが強調した、伝統や慣習、漸進的改革の重要性は、ヒュームの人間観と深い共通点を持っています。
もっとも、ヒュームは感情的な伝統崇拝者(=政治的ロマン主義)ではありません。彼は既存の制度が常に正しいとは考えず、有害であれば修正されるべきだとも認めています。
ただしその改革は、理論先行ではなく、経験に根ざした慎重なものでなければならない、という点が重要です。
ヒュームを保守主義のルーツと呼ぶとき、それは彼が「現状維持」を絶対視したからではありません。
人間理性の限界を直視し、社会秩序が抽象的原理ではなく、脆く不完全な人間たちの長期的な試行錯誤によって支えられていることを見抜いていたからです。
この現実主義的な政治観こそが、ヒュームを政治思想における重要なルーツの一つに位置づけています。
経済学者としてのヒューム:マネタリズムのルーツ
ヒュームは、近代経済思想の形成にも重要な役割を果たした人物です。
彼自身は経済学者を名乗っていたわけではありませんが、貨幣、貿易、人口、財政といった問題について残した論考は、後の古典派経済学やマネタリズムに先行する洞察を数多く含んでいます。
ここでも彼の思考の特徴は、抽象理論よりも人間の欲望と経験に根ざした現実主義にあります。
欲望の肯定
まずヒュームは、奢侈、すなわち人間の欲望に基づく消費を否定的に捉えませんでした。
伝統的な道徳観では、奢侈は堕落や腐敗の原因とされがちでしたが、ヒュームはむしろそれが経済活動を活性化させると考えます。
人々がより良い生活を求め、快適さや楽しみを欲することで、生産や商業が刺激され、社会全体の富が増大する。禁欲によって社会が豊かになるのではなく、適度な欲望こそが経済成長の原動力になるという見方です。
人口論
この経済成長は、人口の増加とも結びつきます。
ヒュームによれば、産業や商業が発展し、人々の生活水準が向上すれば、結婚や子育てを可能にする条件が整います。結果として人口は自然に増加していく。
人口増加には貧困や混乱をもたらす必然性はなく、経済的基盤が整っていれば、むしろ社会の活力を高める要素になります。
この点でもヒュームは、人口を単なる重荷として捉える悲観的な見方から距離を取っていました。
貨幣数量説のルーツ
ヒュームの経済思想でとりわけ重要なのが、貨幣に関する考察です。彼は貨幣数量説の源流とされる立場を明確に打ち出しました。
貨幣の量が増えれば、短期的には景気が良くなったように見えることはあります。しかし長期的に見れば、貨幣の増減は財やサービスの実体的な生産力そのものを変えることはできません。
貨幣が増えれば物価が上がり、減れば下がるだけで、社会がどれだけ働き、どれだけ生産できるかという「実体経済の実力」は、勤労、技術、制度といった要因によって決まると考えました。
ここでもヒュームは、貨幣を魔法のように扱う発想を厳しく退ける現実主義者です。
政府の財政政策を批判
この貨幣観は、当時の財政政策への批判にもつながります。
ヒュームは、ウォルポール首相のもとで進められた国債の乱発に強い懸念を抱いていました。
国家が借金によって一時的な繁栄を演出することは可能ですが、それは実体の裏付けを欠いた成長にすぎません。
国債への盲信は、人々に虚偽の安心感を与え、経済をバブル的に膨張させ、最終的には深刻な調整を招く危険がある。ヒュームは、金融操作によって富が生み出されるという幻想に、早い段階で警鐘を鳴らしていたのです。
アメリカ植民地はイギリス経済の重荷
さらにヒュームは、帝国経済のあり方にも批判的でした。
彼は、アメリカ植民地の維持がイギリス経済にとって重荷になりつつあると考え、植民地支配に固執することは得策ではないと見ていました。
そのため、当時としては例外的に、アメリカの独立を支持する立場を取ります。
これは道徳的理想主義というよりも、経済的・現実的な判断でした。遠隔地の植民地を軍事力と財政負担で支え続けるよりも、独立を認めた方が長期的には双方にとって合理的だという見通しです。
このようにヒュームの経済思想は、欲望、人口、貨幣、財政、国際関係を一体として捉える広い視野を持っています。
そこにあるのは、市場や貨幣への素朴な信仰ではなく、人間本性の限界を踏まえた冷静な分析です。
この現実主義的な経済観こそが、後の古典派経済学やマネタリズムへと連なっていく重要な起点ともなっています。
歴史学者としてのヒューム:『イングランド史』
ヒュームは哲学者として知られる一方で、18世紀イギリスを代表する歴史家でもありました。
彼の名声と経済的成功を実際にもたらしたのは、哲学書ではなく、大著『イングランド史』でした。この事実そのものが、ヒュームという人物の現実主義的な性格をよく示しています。
『イングランド史』は、古代から1688年の名誉革命に至るまでを扱った大部な通史であり、当時としては異例の規模と完成度を誇っていました。
それまでの歴史叙述は、王権側か議会側か、あるいは宗派の立場に強く偏ったものが多く、歴史はしばしば政治的プロパガンダの延長として書かれていました。
ヒュームはこの状況を強く意識し、特定の党派や宗教から距離を取った「冷静な観察者」として歴史を書こうとします。
ヒュームの歴史観の根底にあるのは、人間本性に対する洞察です。
彼にとって歴史とは、理念や正義が直線的に実現していく物語ではありません。
権力、恐怖、野心、習慣、利害といった、人間の感情と動機が複雑に絡み合った結果として出来事が生じる。その積み重ねが歴史なのです。
この見方は、『人間本性論』で展開された人間観が、別の形で応用されたものだと言えるでしょう。
『イングランド史』でとくに特徴的なのは、王権と議会の対立を単純な善悪の図式で描かない点です。
例えば、清教徒革命や王政復古、名誉革命といった出来事についても、ヒュームは「自由の勝利」や「専制の打倒」といった道徳的物語に還元しません。
それぞれの時代において、なぜ人々がそのように行動したのか、どのような恐怖や利害があったのかを丁寧に描こうとします。
この姿勢は当時、大きな反発も招きました。
とくにヒュームが王権側に同情的であり、議会や宗教的熱狂に批判的である点は、ホイッグ史観に慣れた読者から強く非難されました。
しかしヒューム自身は、現代的な自由や立憲主義を否定していたわけではありません。むしろ、現在の制度を過去の人物に投影し、歴史を道徳的裁判の場にしてしまう態度そのものを警戒していたのです。
ヒュームの歴史叙述は、政治思想とも深く結びついています。
歴史を振り返ると、社会秩序は理性的設計によって一挙に生まれたものではなく、偶然や妥協、試行錯誤の積み重ねによって形成されてきたことが分かる。『イングランド史』は、そうした漸進的な制度形成の記録でもあります。
この点で、彼の歴史学は保守的政治観の経験的な裏付けとして機能しています。
またヒュームは、歴史を単なる政治史にとどめませんでした。
法律、経済、宗教、風俗といった要素を織り交ぜながら、社会全体の変化を描こうとしています。
これは後の社会史や文明史に通じる視点であり、単なる年代記を超えた「総合的歴史叙述」への重要な一歩でした。
『イングランド史』を通じて示されたのは、ヒュームの哲学が抽象的思弁に閉じこもるものではなく、具体的な歴史理解へと展開しうることです。
人間は理性だけで動く存在ではない。この洞察を徹底したからこそ、ヒュームは歴史を、英雄や理念の物語ではなく、人間の弱さと現実が交錯する場として描くことができました。
ここに、哲学者ヒュームが歴史家としても高く評価される理由があります。
宗教学者としてのヒューム
ヒュームの思想を総合的に理解するためには、宗教論を独立したテーマとして捉える必要があります。
彼は単に神の存在を疑った哲学者ではなく、宗教という現象そのものを、人間本性の働きとして分析した最初期の思想家の一人でした。
その代表作が『宗教の自然史』と『自然宗教についての対話』です。
『宗教の自然史』
『宗教の自然史』でヒュームが行ったのは、宗教の「起源」を神学ではなく人間心理の側から説明する試みです。
宗教は理性的熟考の産物ではなく、恐怖、不安、希望、偶然への不安定な反応といった情念から生まれる。人間は未来を完全に予測できず、自然や運命に翻弄される存在であるため、見えない力を想定せずにはいられない。
ヒュームは、宗教を超自然的真理の反映ではなく、人間の感情と想像力の産物として描き出します。
ここで重要なのは、ヒュームが一神教を宗教の完成形として特別扱いしなかった点です。
むしろ彼は、宗教の原初形態として多神教を位置づけ、一神教はそこから派生した歴史的産物にすぎないと考えました。そして一神教は、純化された神観念を持つ一方で、不寛容や狂信に陥りやすいという危険も抱えていると説きます。
宗教史を人間史として捉えるこの視点は、当時としてはきわめて挑発的でした。
『自然宗教についての対話』
『自然宗教についての対話』では、宗教の起源ではなく、宗教的信念の理性的根拠が検討されます。
世界の秩序から神の存在を推論する自然神学は、経験論的に見て決定的な証明を与えられない。
ヒュームは、対話形式を用いながら、設計論証や神の属性論が、類推の限界や因果性の不確かさに突き当たることを示します。
ここでも結論は断定的な否定ではなく、理性による宗教的確信の不可能性です。
ヒューム宗教論の特徴
この二つの著作を合わせて見ると、ヒュームの宗教論の特徴がはっきりします。
宗教は心理的・社会的には説明可能であり、歴史的現象として理解できる。しかしその真理性を理性によって確定することはできない。
宗教は否定されるべき迷信でも、合理的に証明される知識でもなく、人間が不確実な世界を生きる中で自然に生み出してしまう信念体系なのです。
またヒュームは、宗教と道徳を切り離して考えました。
道徳秩序は、神の命令に依存せずとも、人間の共感や慣習によって十分に成立する。
宗教が社会秩序にとって有用である場合はあり得るものの、それは偶然的・歴史的な効果にすぎず、道徳の根拠ではありません。
この点でヒュームは、宗教を道徳の基礎とみなす伝統的見方を静かに解体しています。
ヒュームの宗教論は、破壊的無神論ではなく、徹底した懐疑と人間理解に基づく分析です。
神を否定することよりも、人間がなぜ宗教を信じるのか、そして理性がどこまで踏み込めるのかを明らかにすることに主眼が置かれています。
この姿勢は、近代宗教学や宗教社会学、さらには現代の宗教批評にまで連なる出発点となりました。
ヒュームと合わせて読みたい本(影響関係から)
ヒュームは思想史の「終点」であると同時に、多くの重要な思考を「引き起こした起点」でもあります。
ここでは、ヒュームの前後をつなぐ代表的な書物をいくつか紹介します。
ジョン・ロック『人間知性論』
まず、ヒュームに至る経験論の系譜として欠かせないのが、ジョン・ロックの『人間知性論』です。
ロックは、生得観念を否定し、知識の起源を経験に求めましたが、理性の役割についてはまだ楽観的でした。
ヒュームはこのロック的経験論を徹底し、その結果として因果性や実体、自我といった概念を根底から疑います。
ロックを読んだあとにヒュームを読むことで、経験論がどこまで進み、どこで行き詰まるのかが見えてきます。
バークリー『人知原理論』
次に挙げたいのが、ジョージ・バークリーの『人知原理論』です。
バークリーは物質実体を否定し、「存在するとは知覚されることである」という徹底した批判を行いました。
ヒュームはバークリーの議論を高く評価しつつ、その結論をさらに深化させ、物質のみならず精神の実体性をも疑問に付すのです。
カント『純粋理性批判』
ヒュームの影響を最も強く受けた思想家として、イマヌエル・カントは外せません。
カント自身が述べているように、ヒュームの因果性批判は彼を「独断のまどろみ」から目覚めさせました。
『純粋理性批判』は、ヒュームが突きつけた懐疑に正面から応答し、自然科学の客観性をどのように可能にするかを問う書物です。
ヒュームを読んでからカントを読むことで、近代哲学が直面した決定的な危機と、その再構築の試みを追体験できます。
アダム・スミス『道徳感情論』
道徳哲学の文脈では、アダム・スミスの『道徳感情論』が重要です。
ヒュームとスミスは親しい友人であり、道徳を理性ではなく感情に基礎づける点で共通しています。
ヒュームが示した「理性は情念の奴隷である」という発想は、スミスの共感理論に引き継がれ、より社会的な枠組みの中で展開されました。
ヒュームの第三篇を読んだあとにスミスを読むと、経験論的道徳思想の広がりが理解しやすくなります。
エドマンド・バーク『フランス革命の省察』
政治思想の分野では、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』がよい対照をなします。
ヒューム自身はフランス革命を目にしていませんが、理性主義的改革への警戒、慣習と歴史への重視といった点で、バークはヒューム的発想を政治理論として明確に言語化しました。
ヒュームの政治論を踏まえたうえでバークを読むと、保守主義が単なる感情論ではなく、人間本性に基づく思想であることが見えてきます。
現代哲学との接続
最後に、ヒュームを現代へと接続する読みとして、カール・ポパーの『推測と反駁』やクワインの経験論批判を挙げることもできます。
因果性や帰納の問題、常識と理論の緊張関係といったヒュームの問題提起は、20世紀哲学においても繰り返し再検討されてきました。
ヒュームは、いまなお思考を揺さぶり続ける存在です。
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主著『人間本性論』の詳しい解説はこちら↓

















