東浩紀『存在論的、郵便的』ハイデガーvsフロイト
東浩紀の『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』を読了。
批評家・東浩紀のデビュー作です(実は博士論文を手直ししたもの)。読むのはこれで3度目です。
最初に読んだときは「あのデリダをこんなにわかりやすく解説できるなんて凄すぎる」という感想、2度目に読んだときは「なんて難解な本なんだ…こりゃ売れんわ」という感想、そして今回は「なんて明晰な本なんだ…何度も読むに足る本だし哲学ジャンルの基本書としても推せる」という感想でした。
このようにその時期の頭の冴えや関心の方向性によって感想にはバラつきが出るため、人の評価というものはあまり当てにならなかったりします。
この有名な本、いったいどんな内容なのでしょうか?
一言で言えば、20世紀フランスの哲学者ジャック・デリダを論じる作品です。デリダの中期に着目するところが特徴。
伝統的なアカデミズムに比較的近い文章を書いていた前期デリダ、政治的な実践を意識するようになった後期デリダ。これらについてはよく論じられるのですが、中期デリダを論じる本はめずらしいです。
中期デリダは破天荒で奇妙奇天烈な文章および著作を連発したことで知られます。「なんで中期デリダはあんな奇妙な文章ばかり書いたの?」。これを解き明かすのが本書の一大テーマになります。
デリダと違って文章自体は明晰でわかりやすい
内容は難しいけれども、文章はわかりやすいです。哲学研究者と文芸批評家の中間みたいなノリ。論理も明晰で、話の本筋を追いかけるのは比較的たやすいです。
デリダの研究する人って変にデリダから影響を受けて無駄に難解な文章を書き始めたりすることがありますが、本書に関してはまったくデリダ的ではない平易な文体です。
難点は参照項がやたらと多い点でしょうか。デリダはもちろんのこと、他にもフロイト、ハイデガー、柄谷行人、ラカン、クリプキ、ウィトゲンシュタイン、カルナップ、ドゥルーズなど色んな哲学者の議論が参照されていきます。
全部について行こうとすると頭がパンクするので、話の本筋をつねに意識して、そこだけを見失わないように読むのが重要になると思います。
僕はハイデガー、ウィトゲンシュタイン、柄谷行人あたりにはそこそこ詳しいので、そこはしっかりと精読。逆にドゥルーズやフーコーについての言及は流し読みしました。
存在論的脱構築と郵便的脱構築の対比
では本書の話の本筋とは何か?存在論的脱構築と郵便的脱構築の対比がそれになります。
本書のテーマは「なぜ中期デリダは異様な文章ばかり書いたのか」でした。東浩紀はその問いに対して、「普通の脱構築とは異なる郵便的脱構築の発明と実践を行っていたのではないか」という仮説を立て、論証していきます。
存在論的脱構築と郵便的脱構築、この2つの脱構築の対比を意識しておくと、議論の流れがすっきり頭に入ってきます。
では存在論的脱構築と郵便的脱構築ってなんでしょうか?
存在論的脱構築はゲーデル的脱構築とも呼ばれます。柄谷行人の『内省と遡行』がこれを行ったことで有名。前期ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』もこれだと思います(違うかも)。
論理で語りうるものを明晰に語り尽くす、そして語り得ないものを神秘化する、という流れ。語り得ないものはただ一つのシンボルでイメージされ、「存在」とか「対象a」とかの名前で呼ばれたりします。
郵便的脱構築がこれと対比されます。柄谷行人の『探求』がこの方向性。後期ウィトゲンシュタインの思索もこれでしょうか。
語りうるものを明晰に語り尽くし、語り得ないものを浮き彫りにして示すのが存在論的脱構築でしたが、郵便的脱構築はむしろ語りうるものを明晰に語り尽くすことの不可能性を示します。
個々のあらゆる要素がアクシデント(誤配)の可能性にさらされ、システム全体が幽霊のようにボヤけているようなイメージです。
ハイデガーとフロイト
後半はハイデガーとフロイトが参照されます。存在論的脱構築のマスターとしてハイデガーが、郵便的脱構築の先駆者としてフロイトが。
本書のタイトルは『存在論的、郵便的』となっていますが、存在論的のほうはハイデガーを、郵便的のほうはフロイトを指していると考えても間違いじゃないと思います。デリダにはどちらの要素も色濃く内在していますが、東浩紀はそのうちの郵便的(フロイトの精神分析的)な面を活かそうとしているわけです。
デリダはとくにこの二人を意識して哲学していたようです。フロイトをハイデガー化したラカンに対抗して、別の方法でフロイトを読もうとしていた面もありそう。
一級のハイデガー解説書として読めますよここは。柄谷行人が『内省と遡行』で示した読み方を突き詰めています。個人的にフロイトとか精神分析にはあまり興味がないので最後のほうはついていけないのですが、まあともかく強力な本。
この本を熟読しておくと、色々な哲学書に応用可能な枠組みを入手できると思います。数学パズルを解いていくかのような形式的なノリに好みがわかれる可能性はありますが、哲学ジャンルの基本書の一冊としてもおすすめできる一冊です。