日本史学のカリスマ石母田正のおすすめ本3選
戦後日本史学を根底から作り替えた歴史家・石母田正。
その名は、日本史を学んだ者であれば一度は耳にする一方で、「難解」「マルクス主義史学の人」といったイメージだけで敬遠されがちでもあります。
しかし石母田の仕事は、特定の思想に閉じたものではなく、日本の古代国家はいかに成立し、中世とはいかなる世界であったのか、そして人びとはその現実をどのように生き、語ったのかという、今なお有効な問いを私たちに突きつけるものです。
以下、石母田正の思想と史学的意義を簡潔に整理したうえで、初学者にも手に取りやすいおすすめの著作を紹介します。
石母田正は何が凄いのか?
石母田正(いしもだ・しょう)の「凄さ」は、単に一人の優れた研究者だったというレベルをはるかに超え、日本史学という学問の枠組みそのものを作り替えた存在であった点にあります。
彼の影響力は、戦後日本史学の理論・方法・問題設定の三点すべてに及びました。
まず第一に、石母田の最大の功績は、日本史を「国家の物語」や「天皇中心史観」から引き剥がし、社会構造と人間の営みとして捉え直したことにあります。
戦前の日本史学は、王朝・政治史・制度史が中心で、歴史は上から与えられるものとして描かれがちでした。
石母田はこれに対し、マルクス主義歴史学の理論を本格的に導入し、歴史を「支配と被支配の関係」「生産と社会構造の変化」という視点から再構成しました。
これは単なる思想的選択ではなく、日本史を世界史的な理論水準で分析可能にしたという点で決定的でした。
第二に、彼は日本中世史研究を一段引き上げた人物でもあります。代表作『中世的世界の形成』において、古代から中世への移行を、政治制度の変化ではなく、社会構造の転換として捉えました。
荘園制、武士の成立、共同体の変質といった諸要素を、単なる制度史ではなく「中世的世界観」の成立として統合的に描いた点は、それ以前の研究と質的に異なります。
以後、「中世とは何か」という問いそのものが、日本史学における中心課題として定着することになります。
第三に、石母田は理論と実証を両立させた稀有な研究者でした。
マルクス主義史学というと、理念先行で史料を歪めるという批判を受けがちですが、石母田はきわめて厳密な史料批判を行いました。彼の議論は抽象的に見えて、実際には膨大な史料読解の上に成り立っています。
そのため、賛否はあっても「軽視できない論敵」として、非マルクス主義の研究者からも強い影響を受けました。
第四に、石母田の影響は学問の外にも及んだという点で特異です。彼は戦後民主主義の知的支柱の一人であり、歴史学を現代社会と切り離された専門知ではなく、「現在を理解し、未来を構想するための学問」として位置づけました。
歴史学が社会批判や政治意識と結びつくことを、正面から引き受けた姿勢は、多くの若い研究者・学生に決定的な影響を与えました。
最後に重要なのは、石母田正が「答えを与えた人」ではなく、問いの立て方を変えた人だったという点です。
彼以後、日本史学は「なぜこの社会構造が生まれたのか」「その変化は誰にとってどんな意味を持ったのか」という問いを避けて通れなくなりました。
理論的であること、世界史的視野を持つこと、そして歴史を人間の現実の問題として考えること——これらは今日では当たり前に見えますが、その基盤を作った人物こそが石母田正なのです。
だからこそ彼は、特定の学説が古くなった後もなお、日本史学における「巨大な存在」であり続けています。
石母田正のおすすめ作品
『日本の古代国家』(岩波文庫)
『日本の古代国家』は、石母田史学の出発点を示す著作です。
本書において石母田は、日本の古代国家を天皇制や律令制度の完成として肯定的に描く従来の国家史観を否定し、古代国家を「支配の装置」として捉え直しました。
律令国家は理念上は公地公民を掲げていましたが、実態としては農民を強く拘束し、租庸調や雑徭によって搾取する構造を持っていたと分析されます。
石母田の眼差しは、制度の美しさや法体系の整合性ではなく、それが社会の中でどのように機能し、どのような矛盾を内包していたかに向けられています。
この書は、古代史研究を政治制度中心の叙述から、社会構造の分析へと転換させた画期的な著作でした。
『中世的世界の形成』(岩波文庫)
『中世的世界の形成』は、石母田の代表作であると同時に、日本中世史研究の方向性を決定づけた書物です。
本書の核心は、「中世とは単なる時代区分ではなく、一つの世界像である」という認識にあります。石母田は、荘園制の展開や武士の成立を、古代国家の崩壊の結果としてではなく、新たな支配関係と共同体意識の成立として捉えました。人々が生きる現実の秩序、信仰、暴力、連帯のあり方が変化し、古代とは異なる価値体系が形作られていく過程を描き出しています。
この著作によって、「中世の開始」を制度変化ではなく社会構造と精神構造の転換として考える視点が、日本史学に深く根付くことになりました。
『平家物語』(岩波新書)
『平家物語』は、歴史学者としての石母田が、文学作品を通して中世世界の内面に迫った異色の代表作。
石母田は『平家物語』を単なる軍記物語や無常観の文学として読むのではなく、中世社会の価値観と矛盾が凝縮された歴史的テキストとして解釈しました。
貴族的秩序の崩壊、武士の倫理、仏教的無常観が交錯する物語世界を分析することで、中世人がいかなる現実を生き、何を恐れ、何を正当化しようとしたのかを明らかにします。
この書は、歴史学と文学研究の境界を越え、思想史・社会史として『平家物語』を読む道を切り開いたものといえます。
最新の知識へとアップデートするための本
石母田正の研究は戦後日本史学に大きな影響を与えましたが、その理論的前提や時代背景が戦後〜冷戦期のマルクス主義史学に強く根ざしているため、現代史学の方法論・対象意識とは異なる点もあります。
そのため、今の視点で評価・批判・アップデートするための書籍として、以下のようなものを読むのがおすすめです。
📘 1.『石母田正――暗黒のなかで眼をみひらき』磯前順一(評伝)
・石母田の生涯と思想を、戦後史学・社会思想の文脈から丁寧に分析した評伝です。
・石母田が戦後社会の変動とともにどのように思想を形成し、変えたのかを理解することで、彼の史学が持つ限界やその背景を知る手がかりになります。
・歴史学だけでなく、思想史・戦後日本の知的史の問題として読める一冊です。
📕 2.『石母田正と戦後マルクス主義史学 ― アジア的生産様式論争を中心に』原秀三郎
・戦後史学のもう一つの大きな潮流である「アジア的生産様式論争」を軸に、石母田の位置づけを考察した本です。
・石母田自身の史学だけを扱うのではなく、当時の理論的論争や他の学者との関係から「石母田史学とは何か」を問う構成になっています。
・現代の歴史学が戦後マルクス主義からどのように脱し、何を課題としているのかを理解するのに役立ちます。
📙 3. 戦後日本史学一般の評論・教科書的批判・方法論解説書
石母田の研究は、現代史学の方法論(史料批判・比較史・社会史・文化史・ジェンダー史など)と比べると偏った部分があるとされます。たとえば…
都市史・地域史・民衆史・生活史などの現代的アプローチの本
→ これらは従来の階級史中心・政治史中心から離れ、当時の石母田史学では十分に扱われなかった視点を補完します。
「歴史学とは何か」を問う方法論書(史学理論の入門書)
→ 石母田が旧来の史学を批判したように、現代の史学理論や哲学的背景を知ることで、彼の位置づけと限界がより明確になります。
(上記は具体書名を挙げませんが、岩波「歴史学講座」、歴史学入門書・史学理論書などの最新版を併読するのが良いでしょう。)
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