グノーシスとキリスト教『トマスによる福音書』【書評】

2020年10月24日キリスト教

キリスト教の福音書といえば、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つが思い浮かぶかと思います。

しかし実はかつて、これらの他にも福音書が存在しました。

そのなかのひとつが『トマス福音書』です。

キリスト教最大の異端といわれるグノーシスの立場から編集された福音書。

 

そしてグノーシス研究の世界的権威、荒井献が『トマス福音書』を詳細に注解したものがこの『トマスによる福音書』(講談社学術文庫)です。

非常に専門性の高い本。ぜんぶを丁寧に通読しようとすると、ほぼ確実に挫折するかと思います。

第一部ではトマス福音書の背景が説明されます。グノーシス主義についてもざっと説明されます。後述しますが、これが大変わかりやすい。

第二部では『トマス福音書』からイエスの語録が引用され、著者がこまかく注解を与えていくスタイル。まずはイエスの言葉だけをざっと読むのがいいですね。

グノーシス主義とは何か?

キリスト教の異端にも色々ありますが、そのなかで最大のものとされるのがグノーシス主義です。

実はグノーシス主義にも色々あるのですが、全体に共通する思想を抜き出すことは可能。それはどのような思想なのか?

人間の本質と、宇宙の彼方にある至高者(ほんとうの神)の本質が、同一であること。そして人間はこれを認識することによって救済されると考えること。

これがグノーシス主義のコア思想です。

認識を意味するギリシア語がグノーシスなのですね。信仰ではなく認識によって救われるとするところが大きな特徴のひとつです。

さらに興味深いのは、この宇宙が偽りの神デミウルゴスによって創造されたと考えるところ。人間はいわば、創造神の宇宙に幽閉されているわけです。

この牢獄から認識(グノーシス)によって抜け出し、本来いるべき至高者の場所に帰ること。これがグノーシス主義の目的です。

 

グノーシスはどうやってキリスト教を取り込んだか?

キリスト教の異端といいますが、最初に正統的なキリスト教があって、後からグノーシスという異端が出てきたわけではありません。

グノーシス主義はもともと、キリスト教とは無関係に存在していたのです。それがキリスト教をも自らのうちに取り込もうとしはじめた。

そのグノーシスによるキリスト教解釈に抵抗する形で、キリスト教の正統派が形成されたとみるのが適切です。

いわば「異端」が先で、「正統派」が後なのですね。

 

では、グノーシスはどのようにキリスト教を解釈し、取り込んでいったのでしょうか?

まず重要なのが、旧約聖書に登場する神を創造主デミウルゴスと同一視することです。

そして次に、新約聖書に登場するイエスを、至高者から送られたメッセンジャーとして捉えます。

神とイエスの上下が逆転しているところに注目。

 

さらに興味深いことに、グノーシスにおいてはイブをそそのかした蛇の意味合いも変化します。

通常でしたら蛇は人類の堕落をもたらした存在なのですが、グノーシスからすると、あの蛇はむしろ人間に知恵(グノーシス)を与えることでデミウルゴスの牢獄から抜け出すことを援助する、至高者の勢力なのです。

 

教会や聖書についての解釈も大きく書き換えられます。

教会については、至高者を知らず、デミウルゴスを信仰していることが批判されます。さらに救済の手段として認識ではなく信仰をもってくるところも間違っている、と。

聖書についても批判的な姿勢が目立ちます。たとえばモーセの律法はデミウルゴスに由来するものであるとして否定される。

ただしこの世で暮らしていくための処世術としては、律法もある程度は受け入れられる模様。

興味深いことに、これはパウロの立場に近いそうです。パウロは律法を介することなく信仰だけで救われる道を説いたのですね。

実際、パウロはグノーシス主義から非常に高い評価を受けていたといいます。

正統派教会のシステムはパウロの教えではなく、パウロの名によって別の誰かが書いた手紙を基礎にしてなりたった面が強いようです。

 

ユダ福音書とマリア福音書も読んでみたい

このように、グノーシスは自らのコア思想を軸にキリスト教を解釈しなおし、その体型のなかに取り込んでいきました。

非常に興味深いグノーシス主義ですが、トマス福音書そのものはあまりおもしろくないという印象。

聞くところによると、ユダ福音書とかマリア福音書のほうが強烈らしいです。

そのうちそっちも読んでみたいですね。