ミスリードの霧の中を進むような読書『十二国記 白銀の墟 玄の月』【書評】

2021年2月4日

小野不由美の名作ファンタジー「十二国記」シリーズ。

2020年3月時点での最新刊が、全4巻からなる『白銀の墟 玄の月』(新潮文庫)です。

物語は『黄昏の岸 暁の天』の続き。同書が発売されたのは2001年のこと。なんと続きが出るまでに18年が経過しています。

エンディングで泰麒と李斎が戴国に向けて飛び立ってから、読者は18年も待たされたことになるわけですね。

ぼくが『黄昏の岸 暁の天』を初めて読んだのは2009年ですが、それでも11年が経過しています。

こないだ2013年の短編集『丕緒の鳥』を読んだのですが、作風が変わっていたので心配していました。

十二国記はキャラに重点を当てハイスピードで物語が展開するシリーズだったのですが、『丕緒の鳥』ではむしろ世界観の掘り下げを重視し、キャラがあまり前面に出てこない純ファンタジー的な構成だったのですね。

それが非常に読みにくく、新作もそうなっていたらどうしようかと思っていました。

長い年月を空け再開された結果、作風が大幅に変わり、しまいには初期の作品を否定してかかるようなゲド戦記モードすらありうるんじゃないかと。

 

ただそれは杞憂でしたね。従来の十二国記と同じパワーをもつ作品になっているかと思います。

ただ世界観の重視という『丕緒の鳥』の方針もまた受け継がれていますね。

地理、産業、宗教組織などの設定を事細かに書き込み、戴国の世界が掘り下げられます。

その結果、巻数が膨大なわりに物語はなかなか進みません。「こんだけ読んだのに話がぜんぜん進展しとらんやんけ」という気分になることも多いかと思います。

 

張り巡らされる伏線とミスリード

十二国記は作品ごとに話の切り口が変わりますが、本作もまた過去にはなかった構成になっています。

敵の手中に落ちた世界、各地に潜伏する仲間たち、仲間を求めてさすらう主人公…ファイナルファンタジー6を思い出したのは僕だけではないでしょう。

本作のメインBGMはFF6の「仲間を求めて」で決まりかと思います。

 

そして本作では過去にも増して伏線が張り巡らされています。

厄介なのは、それと同じくらいのミスリードが仕込まれていること。読者は迷宮に迷い込むこと必定。作中の登場人物同様に、読者も疑心暗鬼の霧の中をただようことになります。

 

以下ネタバレになりますが、もっとも印象的なシーンは第3巻の最初のほう、流れ着いた供え物を、驍宗が拾い上げる場面。

誰かが匿っていたのではなく、偶然が王を生きながらえさせていた。この「偶然」というところが素晴らしいんですね。

非常に美しいシーン。シリーズでも屈指の名シーンかと思われます。

 

泰麒の使令が登場しなかったのは期待はずれでしたね。汕子と傲濫が見たかったです。

まあこれは話の都合上しかたのないところでもあります。泰麒に使令(とくに傲濫)がいたら、お話が成立しなくなりますからね。

赤子の手をひねるように驍宗と李斎のふたりを圧倒した傲濫ですから、泰麒は本来の状態であれば敵対する勢力をかんたんに殲滅できてしまうわけです。これでは物語が成立しない。だから切り離したんでしょうね。

十二国の世界は国同士の戦争ができないように設計されているようですが、仮に戦争が行われたとしたら、傲濫のいる戴国が飛び抜けた軍事力をもつと考えてよさそうです。

 

気になるのは、耶利の主公が、泰麒が推測したとおり琅燦なのかという点。

耶利が主公と会話をするシーンがあります。読み返してみると、たしかに琅燦だとしてもおかしくないですよね。

ただそうなると、琅燦の言ってることとやってることがだいぶ食い違ってくるのが不思議です、

ここをどのようなロジックでつなぐのか?続編の見どころとなりそうです(続編が出るとして)

 

黄朱の民がこれほど大きな役割を担うようになるのは予想外。

十二国記には妖魔関連の伏線が張り巡らされていて、そのうち妖魔を主軸にした巻が出てくるんじゃないかと思ってたんですよね。

しかし本書を読む限りでは、妖魔というより、黄朱のほうに主軸が置かれそうな予感。

そうだとすると、『東の海神』や『図南の翼』といった作品の立ち位置も変わってきますね。

これらはどちらかというと外伝的なポジンションと目されてきましたが、十二国記の主軸に黄朱が置かれた場合、上記2冊はむしろメインテーマにがっつり関係する作品ということになるからです。

文学の本

Posted by chaco